再考「真理のことば」 の改訂を進めていますが、この文章は、追加章として執筆中の付録7「さとりと空」の原稿の一部です。記事さとりと解脱と涅槃と記事 空相色を合わせて 付録7「さとりと空」となります。
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仏道の「空の概念」は、「空」という漢字が、「全てを貫く穴」と、かなり真逆の「からっぽ」の意味があることから、議論が混 乱してしまったのだと思います。これは、悪魔崇拝教のトラップが入り込んだ結果でしょう。般若心経に登場なさるのは、観音様 とサーリプッタ尊者様です。これをお釈迦様は必死でお唱えしながら仏道をお広めになられたのだと、私は推察しております。あ らかじめ、般若心経が悪魔に侵されにくいように、また侵された時を想定なさって、お作りになられたと思われます。以下に、こ のように考える理由を二つ記します。
- 第一点 我々が目にする般若心経は漢文なのですが、とにかく意味を捉えるのが難しいことです。かけ言葉もあるようで、返り 点など打てる状況にないのです。さらに短いですから、本体への改ざんは至難の技です。原文から受け取る情報は、読んだ 人によって異なり幅が広くなると思います。よって、いい加減な解説を権威づけたり、文章の切れ目を変えたりして般若心 経の真理を覆い隠しているようです。
- 第二点 般若心経は、音を大切に編まれた詩で、読み上げるだけで功徳があると言われている点です。私が聞き及んだ限りでは、 この音自体に魔除けとしての役割があるとのことです。したがって、漢訳なさった玄奘三蔵法師様も細心の注意をお払いに なって、漢字をあてられたことだと思います。
神々様の仏弟子 等(人間 等)に対する愛情あふれるおはからいを感じる次第です。
般若心経について、以下の点について考慮し、当方が考えた切れ目に沿って、全文・読み方・意訳を記しました。
- 【三行目】 五蘊については、一般に「人間を成り立たせている五つの要素。色 (しき)(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行 (ぎょう)(=心の作用)・識(=意識)。」(Oxford Langueages さんより)となっています。しかし、当方では、色 (しき) は 肉体とは捉えず気の流れと捉えて、般若心経の読み取りも、十行目の「受想行識」を「想念、行い、知識を受け」と訳しました。これに伴い、色 (しき)(=肉体)...の「=」関係は成立しませんが、カッコ内の言葉を使うことが、現実に則してい ると考えました。したがって、本書では、五蘊とは 人間を成り立たせている五つの要素で、身体・五感・想念・行い・意識 であると再定義します。
- 【五感】 前述の五感は、一般に、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚とされています。
- 【十九、二十一行】 「眼」は「限」がかけ言葉となっているようですので、双方の場合の意味を記しました。「眼」は、一二三神示(日月神示)に出てくる艮(うしとら)金神様の目であり「霊能力」と考えました。
- 【十九、二十行】 この世は「色」が作る相にがあたかも真理のように横行し、人々を惑わしている訳ですが、「色」を最も認識する のが、五感の中でも「視覚」です。したがって、視覚(目)の情報により惑わされやすいから、聴覚(耳)・嗅覚(鼻)・味 覚(舌)・触覚(肌)・意識(額;前頭葉)からの研ぎ澄まされた情報を大切にするべきだと主張していると考えました。
- 【三十二行】 大いなる教え(般若心経)の真理(空)を得たことから、悟りを得て涅槃へ到達するという道筋が示されていますが、 この順序はとても大切だと思います。日頃の「努め励み」と「慎み」に気を付けて生活を送るうちに、(実は)真理は与えら れるのでしょうが、正しい道筋である場合、自分では与えられたのか? 自分で気づいたのか? 判別ができないというの が、大方の正直な感想ではないかと思います。
- 【*1、*2 】「垂」「圭」漢字はパソコンで出力できる字となりました。写経等で使用されている文字は「埵」と「罣」です。
- 【呪 】この字は、「真言」(真の言葉)という意味で、感覚的には「呪(のろ)い」とは逆です。
般若心経 (三蔵法師玄奘訳)
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm さん参照(深謝)
(一行) 観自在菩薩 (観音菩薩様が)
かんじざいぼさつ
(二行) 行深般若波羅蜜多時 (深遠な知恵を完成するための実践(熟考)されている時、)
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
(三行) 照見五蘊皆空 (人間を構成する五つの要素【=五蘊】と全ての空(真理)を熟考して)
しょうけんごうんかいくう
(四行) 度一切苦厄。 (すべての苦しみを渡ることができた。)
どいっさいくやく
(五行) 舎利子、 (舎利子よ、)
しゃりし
(六行) 色不異空 (色は空とは異らず、)
しきふいくう
(七行) 空不異色 (空は色とは異らず、)
くうふいしき
(八行) 色即是空 (色は空でもあり、)
しきそくぜくう
(九行) 空即是色 (空は色でもあり、)
くうそくぜしき
(十行) 受想行識 (【各自の】想念、行い、知識を受け、)
じゅそうぎょうしき
(十一行) 亦復如是。 (色は空に、空は色に帰せられるのである。)
やくぶにょぜ
(十二行) 舎利子、 (舎利子よ、)
しゃりし
(十三行) 是諸法空相、 (諸々の真理(法)は空相であり、)
ぜしょほうくうそう
(十四行) 不生不滅 (【空相は、】もともと、生じたり滅んだりするものでもなく、)
ふしょうふめつ
(十五行) 不垢不浄 (よごれていものでも、浄らかなものでもなく、)
ふくふじょう
(十六行) 不増不減 (増えることもなく、減ることもないのである。)
ふぞうふげん
(十七行) 是故空中無色。 (なぜならば、空は色ではない部分であるからだ。)
ぜこくうちゅうむしき
(十八行) 無受想行識 (各自の想念、行い、知識を受けなければ、)
むじゅそうぎょうしき
(十九行) 無限(眼)耳鼻舌身意 (創造主の艮金神の目【霊能】が無くとも、耳と鼻と舌と肌と意識が限り無く【研ぎ澄まされ】)
むげんにびぜつしんに
(二十行) 無色声香味触法 (色のない聴覚・嗅覚・味覚・触覚・法を理解する。)
むしきしょうこうみそくほう
(二十一行) 無限(眼)界 乃至無意識界。 (創造主の艮金神の目【霊能】が無くとも、「限」限界がなくなり、意識界とは異なる 世界へと至ることができる。)
むげんかいないしむいしきかい
(二十二行) 無無明 亦無無明尽 (そこに到れば、無明もないので、無明が尽きるということもなく)
むむみょう やくむむみょうじん
(二十三行) 乃至無老死 亦無老死尽 (老と死がなくなるので、老と死が尽きることもなく)
ないしむろうし やくむろうしじん
(二十四行) 無苦集滅道 (苦しみを集めることも、真理を滅ぼすことも無くなるので、)
むくしゅうめつどう
(二十五行) 無知亦無得 (【真理を】知ることもなければ、得ることもなく)
むちやくむとく
(二十六行) 以無所得故。 (したがって、【真理を】与えられることもない。)
いむしょとくこ
(二十七行) 菩提薩垂 依般若波羅蜜多 (悟りを求めている人々は、大いなる教えに依拠し、)(*1)
ぼだいさった えはんにゃはらみった
(二十八行) 故心無圭礙。 (よって、心に疑いと妨げがない。)(*2)
こしんむけいげ
(二十九行) 無圭礙故無有恐怖。 (疑いと妨げがなければ、さらに、これにより恐怖が無くなる。)(*2)
むけいげこむうくふ
(三十行) 遠離一切転倒夢想 究境涅槃。 (一切の逆転した夢想(色)から遠く離れている究極の境地が涅槃である。)
おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん
(三十一行) 三十世諸仏 依般若波羅蜜多 (過去・現在・未来にわたる仏様たちは、大いなる教えに依拠しているので、)
さんぜしょぶつ えはんにゃはらみつた
(三十二行) 故得阿耨多羅三十藐三十菩提。(この上なき真実を得たので、悟られているのである。)
ことくあのくたらさんみゃくさんぼだい
(三十三行) 故知 (したがって次のように知るがよい。)
こち
(三十四行) 般若波羅蜜多 (大いなる教えこそが)
はんにゃはらみった
(三十五行) 是大神呪 (偉大な真言であり)
ぜだいじんしゅ
(三十六行) 是大明呪 (悟りのための真言であり)
ぜだいみょうしゅ
(三十七行) 是無上呪 (この上なき真言であり)
ぜむじょうしゅ
(三十八行) 是無等等呪 (比較するものがない真言なのである。)
ぜむとうどうしゅ
(三十九行) 能除一切苦 (これこそが、あらゆる苦しみを除き)
のうじょいっさいく
(四十行) 真実不虚。 (真実そのものであって虚妄ではないのである、と。)
しんじつふこ
(四十一行) 故説般若波羅蜜多呪 (そこで最後に、大いなる教えの真言を述べよう。)
こせつはんにゃはらみつたしゅ
(四十二行) 即説呪曰 (すなわち次のような真言である。)
そくせつしゅわつ
(四十三行) 羯帝羯帝波羅羯帝 波羅僧羯帝 菩提。 (往き往きて、涅槃に到り、さらに涅槃に入りしことが、悟りである。)
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじ
(四十四行) 僧莎訶 般若心経。(めでたし、大いなる教えの般若心経。)
そわか はんにゃしんぎょう