再考「真理のことば」 の改訂を進めていますが、この文章は、追加章として執筆中の付録7の原稿の一部です。記事さとりと解脱と涅槃も同様です。今後は、般若心経についての記事を記す予定です。
「空」という漢字は、穴かんむりと工からなります。工は巧みなものという意味がありますが、上下の横棒(―)は、それぞれ上の世界と下の世界を表し、結ぶ縦棒(|)により連絡されている世界を表していて、これにより巧みな物を表すようになったのでしょう。巧みな物の中で穴のようなものを「空」と呼んだのでしょう。つまり、私たちが上を見上げた時に見える空(そら)は、巧みな物の一部である地球に通っている穴という意味から「そら」に「空」があてられたのだと思います。ちなみに、地上にいる人間にとっては、空は広大で穴なんかじゃないので、創造神様が上から見た状況を表してらっしゃるのでしょう、きっと(汗)。
議論を戻すと、「本来、空という字の意味は虚しいとか空っぽという意味ではなく、全てを貫く穴という意味なのです。全てを貫く穴とは不変なもの、つまり創造主(神様)がお創りになった真理であると解釈することもできるのです。実は我々が暮らすこの世の物質的な事物ですら、真理で作られていると考えています。科学は限定的ではあり、まだまだ未熟ですが、この世の中の物質的現象を不変的に説明する真理(法または法則)を探究する学問です。つまり、私の捉えた「空」は真理です。
「空」の対局をなす「色」ですが、これはこの真理(巧みな穴の空)を、覆い隠しているもので、いわゆる気とも表現できる(エーテルでも良いのでしょう。)媒質の流れ(エネルギー流みたいなもの)ではないかと考えています。なお、この「空」は、穴なのでこのような気や気の流れは存在していないようで、次章に載せた般若心経の十七行目でも、「それゆえ、空の中には色がないのである。」と書いてあります。「相」という漢字は、目で見る木(気)と書きます。枝葉が張り巡らされた大きな木とその背景を含めた部分を母相(マトリックス)と見立てた時、このマトリックスは「空」と「色」の部分から成っていると捉えます。そして、それぞれの部分を、空相と色相と表現します。
このマトリックスを見て、真理部分の「空相」を認識するのが人間の務めです。しかし、次節に記した般若心経では、十行目の「受想行識」で記されている通り、各個人の想念と行いと知識により、「色」が「空」にもなるし、「空」が「色」にもなると十行目の「亦復如是」で教えてくださっています。この意図を受けている行が、六行~九行の「色不異空空不異色色即是空空即是色」だと思います。
「色」は、人間の意思で無くすことができない、人間にとっては既存のものと考えて差し支えないと考えています。ただし、「色」は人間の念いによって流れ方が変わり、良い念いは良い流れ(色)を作り、悪い念いは悪い流れ(色)を作ります。しかし、一度形成された色は、善悪の性質を問わず、時間と共に姿を変え、場所により異なってしまいます。一方、空は時間や場所には左右されません。つまり、仏教で言う諸行無常とは、「色」の持つ特性であって、「空」の持つ特性はこの真逆の絶対不変であると考えられます。
木であれば、木漏れ日をたよりに「空」を見い出すことは可能ですが、この世のマトリックスから空相を見分けるためには、人間は、自分の思い込みや先入観(色眼鏡)を外して、与えられた感覚全てを使い、マトリックスを観測するよう努めなくてはならないでしょう。各個人の想念と行いと知識により、「色」が「空」にもなるし、「空」が「色」にもなるので、心の汚れを取り払ってこの世の中を見なくてはならないのです。このために、お釈迦様は、煩悩や心の汚れがどんなものであるか、事細かに説かれ、その除去方法を説いてくださっているのでしょう。そして、人間には本来、それを正しく理解する力が備わっているのでしょう。どのような心の汚れが自分の中に存在するのか?を常に気にかけ認識し、なくす努力を続けることが大切なのです。
ちなみに、私の経験では、空を認識した時(空を体現するともいう)は、必死で思考していた時でした。その時認識した空は、「物事も分別」もはっきりした答えが現れたというイメージです。これらが、自分がぼやっと普通にそれまで考えて(見て)いた「物事や答え(分別)」とは、かなり異なったことも事実です。ですから、空を体現することは、色相を取り除いて、実相である空相、すなわち真理を認識する事だと考えています。本来、禅定は真理を探求するために行うものですから、空を体現するために行うものでしょう。「禅定のためには心を空っぽにする」という説明は正しくなく、「心の汚れを取り払って、丹田に集中して、熟考する。」というのが正しいアドバイスだと思います。もちろん、思考などが上手くいかないときに立ち止まって頭や心を休憩することは非常に重要ですが、心をからっぽにするのではなく、邪念を捨てることが必要なのです。また、無相は「相を無くしてください。」となりますので、空相(実相、真理)までなきものにしてしまう呪文になりかねませんので、今後は、「無色相」という言い方などの工夫が必要かもしれないです。