2019年11月19日火曜日

日月神示 黄金の巻~第2帖

黄金の巻~第2帖より

「骨なし日本を、まだ日本と思って目さめん。」

①骨なし日本 = 現皇室メンバーとエセ保守、エセ愛国者、アカ
②十のお役は、百のお役は、インチキ霊能に身を預け、情報をバラす、墓穴を掘らせる御用、お疲れ様。


(月夜の意見)
→自分が追える現実をよく見ましょう。
・大東亜戦争終了までは、昭和天皇は国家元首だったから、戦争による国民の犠牲の責任は、当然、昭和天皇が一番重い(異論ないですよね。)。

・他の戦争責任者、総理大臣など閣僚や軍部の上層部は、一応、東京裁判で審議され、必要に応じて罰せられた。しかし、一番罪の思い昭和天皇は東京裁判にすらかけられなかった。

・昭和天皇は、その後も生きながらえて象徴天皇として約50年間仕事をした。事実上、100万人近い戦没者の責任を負うこともなくです。

以上は紛れもない事実です。それを指摘すると、
「そんなことを言う奴は、昭和天皇にあって人柄を確認したのか?素晴らしい人格だったぞ!」
と、エセ保守が言います。でも、
「そういうあんたはどうなんだい?天皇なんて簡単にあって話すわけないじゃん!カルトみたいな天皇個人崇拝を押し付けるんじゃねぇ!」
とこの場で言い返させてください。
 怪しい宗教は、どれもこれも胡散臭い人への個人崇拝を強要するのですから、上記のエセ保守連中はカルトと同じ手法なのです。
 ちなみに、人間をだまくらかす悪い宗教の大元締めは皇室であると私の師匠は言っていました。昭和天皇の個人崇拝押し付け論を聞くとあながち嘘ではないのかもしれないです。

 でも、(エセ白ユダヤのエセ保守、お節介、戦争屋の)ケント氏は、平成天皇にあったことがあるけれど、良い人だったてさ。日本の庶民とは会わないが、悪い奴らとは会っているのが平成天ちゃんでした、大爆笑!


→外野で見ているだけですが、取り巻きの霊能糞尿連中には、腹が立ちます。でも、百のお役目さん、そろそろ本当にやめてください。とにかくマンセー女界隈とは距離を置いてください。もう、元には戻らないとサルーサさんは言っている気がします。もしかしたら、最後通告かもしれないです。

「世界の日本と口で申しているが」
 習近平が日本に国賓で来ようが来まいが、大した問題ではない。
為政者以外の口出し無用。

(月夜の意見)
→先がドタキャンする可能性大だと思います。でも、どっちでも良いです。世界がうまく移行するために、必要な手段を安倍首相にとっていただきたいです。

「古いことが新しいことと思っているなれど、新しいことが古いのであるぞ。」

 これ、日本国憲法なり

(月夜の意見)

→GHQから突如提示された日本国憲法がどうやって生まれたのか、当時、戦後処理の対応した人たち(白洲次郎さんは知らないと言っていました。)ですら、知らなかったのに、どうして当時を知らない現代の人たちがこれを語れるのか?こうなると、語っている内容は、全てデマと考えるべきです。なるほど、竹田氏は、現在でも「天皇は元首」とか言う本を書いたり、この手の嘘を吐くから「デマ野郎」と言われるのですね。



************黄金の巻~第2帖 全文************     
日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉とらわれているぞ。
世界の日本と口で申しているが、生きかえるもの八分ぞ。
八分の中の八分は また生きかえるぞ。
生きかえっても日本に捉とらわれるぞ。
おわりの仕組みはみのおわり。
骨なし日本を、まだ日本と思って目さめん。
九十九十ことことと申してカラスになっているぞ。
古いことばかり守っているぞ。
古いことが新しいことと思っているなれど、
新しいことが古いのであるぞ。
取り違い致すなよ。
【神は生命いのちぞ】。
秩序ぞ。秩序は法則ぞ。
為なせよ。行ぜよ。考えよ。
考えたらよいのじゃ。
為なすには先ず求めよ。
神を求めよ。
己に求めよ。
求めて、理解した後 為なせ。
為なして顧かえりみよ。
神の生命いのちそこに弥栄いやさかえるぞ。
今までの日本の宗教は日本だけの宗教、
このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。
教えでないぞ。
八分の二分はマコトの日本人じゃ。
日本人とは世界の民のことじゃ。
一度日本捨てよ。日本がつかめるぞ。
日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。
悪の大将も、そのことよく知っていて、
天地デングリ返るのじゃ。
物の食べ方に気つけよ。
皆の者、物ばかり食べてござるぞ。
二分の人民、結構に生きて下されよ。
喜び神ぞ。

2019年11月12日火曜日

2019年 ウィーンの旅行(5)シュテファン大聖堂、モーツァルトハウス、ハイリンゲンシュタット

更新 2019/11/12 その他の関連記事を記事の最後に付記 

シュテファン大聖堂

TABI JOZU さんより引用
シュテファン寺院はウィーン旧市街の中心部に建つ、ゴシック様式の教会です。日本ではシュテファン寺院という呼び名が一般的ですが、正式にはシュテファン大聖堂と言います。シュテファン寺院には北塔と南塔があり、展望台からは街を一望することができます。南塔は約350段の階段を登らなければならないので、エレベーターがある北塔に登るのがおすすめです。
シュテファン大聖堂の宝物館 さんより引用(多少、修正)
 ウィーンのシュテファン大聖堂は街の真ん中に立っているので、観光の皆様だけでなく、このウィーンの地元の人にとっても重要な意味を持っています。そして、1147年の建立からオーストリアの歴史を見続けて来ています。
 シュテファン大聖堂だけでもしっかり見たら、大変時間がかかります。
 今までもシュテファン大聖堂の有名な
① 説教壇、
② 当時のステンドグラス、
③ 記念プレート、
④ 涙を流す聖母マリア、
⑤ プンメリン、
⑥ ローマ時代の墓石、
⑦ モーツァルト最後のお別れの場所、
⑧ 祝福と幸運を授かるコロマニ石
などが話題にのぼりますが、ここでは、今日は普通の人が気づかないちょっとしたシュテファン大聖堂の宝物館について話をしましょう。

 シュテファン大聖堂の宝物館は"DOM SCHATZ" (ドームシャッツ)と言われ、入口が全く
目立たない所にあるわりには、内容は中々おもしろいです。DOM SCHATZは2012年から再びオープンしています。
 第2次世界大戦で、屋根が焼け落ちる被害を受けたシュテファン大聖堂は、その後地元の力で急いで修復され、1948年にはすでにミサを行うことができました。そして1952年4月26日に新たにオープニングがあったわけですが、2012年と言えば、そこから60年後ということになります。

 宝物館は"DOM SCHATZ" (ドームシャッツ)の入り口は、西側正面入口から右側に行って、大聖堂内に入る手前にちょっとした案内板が立っていて、そのすぐ右横にエレベーターがありそれに乗って上に行きます。エレベーターを降りると、係りが座っている窓口があり、そこでここの入場料を払います。現時点では大人4ユーロです。西側正面入り口から入り、順路通りに右側に行って、そのまま大聖堂内に入ってしまったらこの入り口は永久に見つかりません。

 私たちが訪れた時は、一部外装工事していて、シートが貼ってありましたが、やはり圧巻でした(写真5-1、5-2)。この前にはシュテファンプラッツ(シュテファン広場)があって、通りが交差する広場があります。この広場は、日本人から見ると、通りなのですが、オーストリアの人たちは広場と名付けていて、そこにはカフェがあり、シュテファン大聖堂を眺めながら、食事やお茶がいただけます。夜のシュテファンプラッツのカフェと大聖堂の写真を写真5-3、5-4に載せます。
写真5-1  シュテファン大聖堂
写真5-2  シュテファン大聖堂のタイルで彩られた屋根
これは素敵です。

写真 5-3 夜のシュテファン大聖堂 ライトアップしてます。

写真5-4  夜のシュテファンプラッツ
 私たちはシュテファン大聖堂について、大して調べていかなかったので、①〜⑧は全く見学しませんでした。礼拝堂はとても綺麗でした。実物を見るととても感動するのですが、写真だと伝わりにくいので残念です。写真5-5に礼拝堂を載せます。でも、十字架にかけられているキリスト様を見るのは辛いです。
写真5-5 シュテファン大聖堂の礼拝堂

 私たちは、宝物館に行きたいと思っていたのですが、引用に指摘があるように、入り口がわからなくて、結局、南塔を階段(螺旋階段)で登りました(3ユーロくらいだったかな?)。足腰の調子が悪い人でなければ、さほど辛くないです。自信のない方は、北塔ならエレベーターがありますし、宝物館もエレベーターで高いところに行け、眺めも良いらしいです。一番高くまで登れるのが南塔でした。我々家族は、〇〇と煙は高いところが好き”の〇〇ですね。南塔からの眺めを写真5枚を写真6に載せます。





 
写真 5-6  シュテファン大聖堂南塔からの眺め(2019年7月)

モーツァルトハウス(リンク内) 

 モーツァルトハウスは、シュテファン大聖堂から歩いて3, 4分のところにあるのですが、外観が普通の家なので、見落としてしまいがちです。私たちは、シュテファン大聖堂で階段を登った後に、下のカフェで一服してからモーツァルトハウスに行きました。
 JTBさんのモーツァルトハウス情報 に場所やコメントが詳しく書いてあります。音声ガイドがあり、見学場所も多いので、1時間では済まないかなという感じです。JTBさんのページのコメントにもあったように、説明箇所が実際の場所と異なるのか?わかりにくいのか?区別がつかないところが多少ありました。見学順路の最後に自販機がある休憩室があり席数20席くらいのテーブルが置いてあるので、連れと見学ペースが違ってもそこで落ち合うことができます。そこでは、お土産も売っていました。
 音声ガイドは上記の多少の問題がありましたが、かなり面白かったです。モーツァルトがフリーメイソンに所属していたことや、彼の凄まじい借金、謎だらけの死について推理したりしています。あまり言ってしまうと、これから行く方や、モーツァルトハウスへの営業妨害になるので、興味のある方は、是非訪れてください。10ユーロの入場料は安価ではないので、旅行の予算に入れて置くと安心です。ただ、あの音声ガイドがついているので、妥当ではないかなとも思います。モーツァルトは大好きなウィーンにこうやって死後もお金を運んでいらっしゃるのではないかな?なんて思ったりします。
 いろいろ困ったちゃんだったと言われるモーツァルトですが、仕事に関しては極めて真面目に取り組んでいたようで、午前中は作曲、午後から弟子の稽古、夕方からは音楽会出演といった生活を送っていたようです。どこで、借金が出来たのかしら?これについての推理も、遺作のレクイエムについても音声ガイドで色々と解説していますので、楽しみにしてください。私は、はじめて知る事ばかりでした。
 ここで、上記のJTBさんのサイトで、私も全く同感だったコメントを紹介させてください。このコメントの方はモーツァルトハウスとベートーベンの遺書の家(次章)を訪れたとは、私たちと全く同じです。
 モーツァルトはフリーメイソン確定なのですが、ベートーベン、シューベルトはグレーゾーンだそうです。フリーメイソンに入っていたモーツァルトは、57才まで生きたベートーベン、生まれも死亡地もウィーンのシューベルトとは比べ物にならないほど、ウィーンでの扱いが良いです。3人とも大天才ですが、この差を見ると、
・フリーメイソンに入っていたか否か?
・メイソン内での階級の違い?
・メイソン途中脱退もしくはフェードアウト?
などが頭に浮かびます。
 ベートヴェンはドイツのボン出身ですからフリーメイソンから逃げ切った感じで、入ってないのかもしれないなと思います。 シューベルトはモーツァルトとは違う形でフリーメイソンに反旗を翻した結果、早く亡くなったのかもしれないなと思います。早死にであるのと同時に、亡くなり方もなんだか似ているのです。

 ちなみに、マリア テレジア(これぞ、ハプスブルグ王家の血を継ぐ女性皇帝)の旦那さんも、フリーメイソンです。賢帝マリアテレジアまでは、ハプスブルグ家は苦しいながらもしっかりとしていたけれど、その子供が継いだあたりから坂道を転がり落ちていく感じは歪めません。やはり、フリーメイソンは曲者で、正当な男系継承は必要かなと思っている今日この頃です。

 このモーツァルトハウスといい、次に紹介するベートーベンの遺書の家といい、それぞれの作曲家の音楽が聞こえてきそうな感じで楽しかったです。

ハイリンゲンシュタット(ベートーベン;リンク外)

 ここは、ベートーベンが難聴に苦しんで遺書を書いた家なので、遺書の家と名前がついているそうです。ここの売店ではベートーベンの遺書が印刷して売っているのですが、なんと東洋の言語では日本語しかありませんでした(笑)。日本人はベートーベン大好きですものね。まあ、遺書を買うという発想が、中国人にはないから中国語は置いても売れないのかなと思います。ちなみに私も遺書を買うセンスは持ってないです。ごめんなさい、ベートーベン様。
 ここは、ウィーン中心から6Kmくらい離れているので、トラムとバスを乗り継いで行きました。詳しい位置の確認は、LINEトラベルjpさんを参照してください。
 バスを降りたところから、さほど遠くないのですが、看板がないのでさっぱりわかりません。バスを降りたところでカフェを見つけたので昼食を取ることにしました(写真5-7)。これがウィーンの郊外の雰囲気なんだなと、繁華街と随分違うのでびっくりしました。
写真 5−7 ハイリンゲンシュタットに行くために降りたバス停の近辺
奥のアーチ型のもんを潜るとカフェがありました。

 カフェでハイリンゲンシュタットの場所をスマホで確認して、ようやくたどり着きましたが、普通の周りの家と変わらないので、なかなか見つけられないです(写真5-8、LINEトラベルjpさんより) 。とにかく、ウィーンは看板があっても目立たないようにしてあって、大変です。
 
写真 5-8 ハイリンゲンシュタットの入り口  LINEトラベルjpさんより
右側の白い三角屋根の建物がハイリゲンシュタットです。

  音声ガイドもなく、ただ展示を見るだけですが、ここの雰囲気が落ち着いていて実に優しいのです。そして、ベートーベンの楽曲が聞ける展示が多く、まだどれも名演を集めているようで、聞き応えがありました。中庭には木(多分、霊樹)があるのですが、とても歓迎されている気がしました(写真5-9)。この家からは、ベートーベンの息遣いが聞こえるような、すぐそこで拝観しているお客さんを優しく微笑みながら見ているベートーベンが立ってらっしゃるような気がしました。やっぱり、作品からあふれているあの優しさは、ベートーベンが持ってらっしゃるものなのだろうなと、肌で感じました。
 
写真5-9 ハイリゲンシュタットの中庭の樹


 もう1つの庭からは、教会が見え(写真5-10)、背景が描いてある壁(写真5-11)があり、そこでベンチに座って記念撮影をすると楽しいです。
 展示物は行く方がいらっしゃると思いますので写真を載せませんが、ベートーベンさんの肖像(写真5-12)と一緒に記念撮影しておくのも楽しいと思います。
写真5-10 ハイリゲンシュタットの庭から眺める教会


 
写真5-11 ハイリゲンシュタットの庭の壁 ハイチーズ!


写真5-12 ベートーベンの銅像とハイチーズ!

ウィーン旅行後記

 これでウィーン旅行記が終わりです。
 ウィーンは安全な街だと思いました。そして、建造物が素晴らしく、博物館のレベルが極めてたかいです。音楽もハイレベルな演奏ばかりで、すごいの一言で済ませることができない感じです。全体的に清潔感もあり、設備が整っていて、観光には最高の場所だと思います。
 一方で、お土産屋さん、ホテルの従業員は愛想がいいのですが、トイレの管理人、小売店のレジの人たち、博物館などの係員は、不機嫌な顔で仕事をしている感じもしました。我々が東洋人だからか、その扱いは他の同国のお客さんよりは雑だったと思う場面も少なからずありました。もちろん、全ての人がそうであったというわけではなく、働かざるおえない方々にこの現象が多いのではないかと思う次第です。知人には、「日本の常識、世界の非常識」って言葉を言われました。
 主人はハイリゲンシュタット近辺の郊外は、閉鎖的で少し怖いと言っていました。やはり、ヨーロッパが常にスラブやイスラムの侵略を受けて戦いの連続のために、そのような閉鎖的な雰囲気ができてしまったのではないかと、防衛の歴史の賜物ではないかとも思います。
 どうしてそう思ったかというと、子どもたちがウィーンの新王宮のあたりで、イスラムの女性に話しかけられ一輪の花を持たされてしまいました。直ちに私がそこに分け入ったのですが、お金をくれの一点張り。2ユーロ渡したら、それでは足りないと言い出し、結局5ユーロを取られました。子どもを狙って、やってくるんだなと思い、ヨーロッパがイスラム教勢力を嫌がる理由を身をもって経験しました。ハンガリーと一緒に東から襲ってくるアラブ(イスラム勢力)、スラブを撃墜続けたハプスブルク王朝、光と闇の側面があるけれど、偉大だったんだなと感じました。それと同時に自然とオーストリア帝国やハンガリー帝国の方々への敬意が心に湧いてきました。
 楽しい旅行、ありがとうございました。お世話になりました。(終わり)


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2019年 ウィーンの旅行(4)ブダペスト 編

更新 2019/11/12 その他の関連記事を記事の最後に付記

 ウィーンからの日帰りブダペスト散策


概要


ドナウ川を挟んで、ブダ側とペスト側が合わさり、ブダペスト という街を形成しているらしいです。ブダ側は丘になっていて王宮があり、ペストサイドが実際の生活の場で下界というイメージです。
 私たちはウィーン拠点でブダペスト へは電車(ウィーン中央Wien Hbf 駅⇄ ブダペスト東Budapest-Kaleti駅, 2時間半の旅, 写真4-1参照)での日帰り観光を計画して、実行しました。しかし、時間がない、歩き通し。もし、旅程に余裕があるならば、ブダペスト には一泊した方がいいと思います。電車でも往復5時間はかかるうえ、一泊二日でもあまりあるほどの観光スポットがあります。
 車中では、国境がいとも簡単に超えられるのには驚きました。やっぱりEUって便利かもしれないなと感じました。ただ、通貨はハンガリーはフォリントで、ユーロは使えても、使うと損をする感じがします。フォリント貨幣を用意して行ったほうが絶対にお得です。カードはそこそこ使える感じがしますが、現金も便利な国です。
 車窓の風景は、オーストリアのひまわり畑や風力発電の盛んさを垣間見えるものでした(写真4-1)。


写真4-1 ウィーン-ブダペスト 間の電車の行程(上段)と車窓(中段、下段)

 まず、オーストリアと同じで、ハンガリーも今年で日本との国交150周年記念なのです。オーストリアは白人国家だと思って、用心してお邪魔したところ、親日的なもの(シェーンブルン宮殿の日本庭園とか)が意外に多く安心したのですが、ハンガリーは明らかに親日です。例えば、地下鉄2番(M2)で「Batthyány tér(バッチャーニ広場)」駅を下車して王宮の丘 ケーブルカー乗り場へと歩く道すがら、写真4-2のようなハンガリーと日本の友好モニュメントが立っていたりするのです。しかし、少し古いせいか、東京が地図から抜け落ちているので、「カバルの嫌がらせだったりして」なんて、陰謀論に思いを馳せた私でした(汗)。さらに、イシュトバーン教会の参道には、写真4-3の日本料理のお店がドカンと構えています。ただ、観光案内所のブダペスト 観光地図は、東洋では中国語のみでした。
 ブダペスト は、ウィーンと決定的に違うのは、アジア的なところです。街ゆく人々もなんだか活気がありアジアの人特有です。ウィーンの人たちは、お行儀がいい反面、元気がない感じです。ハンガリーは、昔、遊びに行ったトルコに似ている感じでした。もちろん、日本にも近いと思います。ただ、街の感じはウィーンよりは古びている感じがします。
写真4-2 ハンガリーと日本の友好関係を表すモニュメント
Tokyoが抜けています。時刻は合っていたか?ちょっと疑問が残ります。
写真4-3 イシュトバーン教会の参道にある日本料理のお店

観光周遊行程

 ブダ王宮散策(国立美術館、散策)→中央市場→イシュトバーン教会

の順で回りました。
 ブダ王宮は、ブダペスト歴史博物館、漁夫の砦、マーチャーシュ教会も入場料を払って見学できるのですが、時間がなかったので、今回は散策のみでした。

 ペストサイド(下界)では、
・国会議事堂、
・ハンガリー国立博物館、
・英雄広場(スパがあるらしい)
など、行きたいところが沢山ありましたが、時間の関係で断念しました。

ブダ王宮散策(国立美術館、散策)と街中散策(含 中央市場)

一番初めに、王宮の丘に向かったのですが、歩きながらドナウ川を渡る橋が鎖橋と言われているのですが、そこにライオンが狛犬のように鎮座(写真4-4)して、王宮エリアの入り口を守っています。「ほほー、ライオンが鎮座しているということは、ここは純正ユダヤの王家の国なんだな。どおりで、ハンガリーは戦争が強いはずだわ。」と。ハプスブルグ家は鳥(ワシ?)が守り神だと思われるので、やはり由緒が違うなと一人で考えていました。多分、鳥(ワシ?)も王家としては由緒正しいとは思うのですが、オーストリアはマリア信仰が強いからか、全体的に女性的な感じがする一方、ハンガリーは戦いの国だけあって、男性的な感じを受けます。ここに守り神の鳥(ワシ?)とライオンの違いがあるのかなとも思いました。ちなみに、王宮に登ってしまうと鳥(多分ワシ)が羽ばたいている像があります(写真4-7)。
 
 
写真4-4 鎖橋を守るライオンの像
後ろに控える高い塔がマーチャーシュ教会です。
 橋を渡り始めるとハンガリーの王家の紋章とライオンが控えてます(写真4-5)。そして、下界から眺めるブダ王宮が写真4-6です。
写真4-5 鎖橋を渡り始めるとある、ハンガリー王家の紋章とライオン

写真4-6 下界から眺めるブダ王宮
手前がドナウ川
 鎖橋を渡り終えた後に、ブダ王宮へ上ためのケーブルカー乗り場(写真4-7)があります。詳しくはhttps://amazing-trip.xyz/t-blog/buda-hill/さんを参照してください。我々は片道きっぷのみを購入して、下りはマーチャーシュ教会を通る道を歩いて下界に戻りました。ケーブルカーを待っている間に、観光バスの売り込みが来ますので、そこで契約したら、下準備なくブダペスト を周れるのだと思います。みんな楽しそうに帰ってきているので、あまりあくどいわけではなさそうです。この近辺から撮影した鎖橋と王宮に登った時の鎖橋を写真4-8に載せます。


写真4-7 ドナウ川を渡り終えたところにあるケーブルカー乗り場(上の写真)の左上に鳥(ワシ?)が羽ばたいている像があり、王宮に登った時にその像を写した写真が下。

写真4-8 鎖橋の撮影スポットは漁夫の砦だそうです。私たちは時間がなく行かなかったのですが、ケーブルカー乗り場からの眺め;写真(上)もなかなか綺麗でした。下の写真は王宮の中の国立美術館からの眺めです。

王宮の丘に上がったらカフェレストランがあったので、そちらで昼食をいただきました。眺めもよく、美味しい料理が出てきて嬉しかったです。オーストリアもハンガリーも食べ物がとても美味しいです。王宮の丘から見る国会議事堂とイシュトバーン教会を写真4-9、4−10 に載せます。
写真4-9 王宮の丘から見る国会議事堂

写真4-10 王宮の丘から見るイシュトバーン教会
左右に塔を配置する教会で、手前はフォーシーズンホテル。

 国立美術館の作品は、どれが有名なものかわかりませんでしたが、とても感銘深かったです。大きな絵画があって圧巻でした。ここで、キリスト教会美術のブースがありましたが、ペータース教会のところでも記した通り、とても不思議な空間でした。端っこの部屋にあるので、見逃してしまいがちですが、美術館見学なさったら、ぜひ探して立ち寄ってください。

 国立美術館を出て、マーチャーシュ教会に歩いていく途中に漁夫の砦があります。そしてマーチャーシュ教会(写真4-11)を見ながら、下界に降りていきました。そこから地下鉄に乗って、中央市場に向かいました。
 中央市場は早めに行かないとお店がしまってしまうので、足早に迎ました。市場部分は時間がないので、ささっと見て、地下にあるスーパーでハンガリーのお土産を購入しましたが、どのお菓子も美味しいと評判でした。ハンガリーは美食の国だなとつくづく思いました。もうちょっとじっくり見たかったです。
写真4-11 マーチャーシュ教会
屋根のモザイクが本当に可愛いです。

イシュトバーン大聖堂

 ハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世にちなんで名づけられた教会です。この国王が、ハンガリーをカトリックに改宗して、以後ヨーロッパの一員としてハンガリーを導く指導者となった人です。この大聖堂は教会ではあるのですが、主祭神的なものはキリスト様ではなく、聖イシュトバーンです。とても荘厳な大聖堂で腰が抜けた感じです。イシュトバーン大聖堂の写真を写真4-11に載せます。ここは、外しては行けない観光スポットです



写真4-11
上:裏のイシュトバーン大聖堂 優しい日差しが印象的です。

中:正面からのイシュトバーン大聖堂 堂々としています。

下:イシュトバーン大聖堂の中 オルガンコンサートが有名だそうです。

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2019年11月1日金曜日

2019年 ウィーンの旅行(3) ウィーンコンサート編

更新 2019/11/12 その他の関連記事を記事の最後に付記

楽友協会とペータース教会のコンサート

コンサートチケットの手配

私たちは5日間の滞在だったので、大御所の楽友協会とペータース教会で行われる2つのコンサートを鑑賞しました。
 初めてで慣れなかったので、予約して行きましたが、他にもいろいろなところで演奏会をしており、当日券が道端で売っている(ちょっとは割高かもしれないですが、そんな悪質ではなかったです。)ので、体力と相談して当日購入というのもありかもしれないと思います。ただ、狙っているコンサートがあるようでしたら、やはり予約が安心です。
 私たちはホテルで紹介された、VIENNA CLASSIC ONLINE TICKET OFFICE というサイトで、両コンサートのチケットを手に入れました。日本語で色々な劇場のコンサートや劇のチケットが買えます。このサイトは、なかなかわかりやすかったです。他にもいろいろなサイトがあるので、好きなところを探してみてください。

 コンサート代金ですが、学友協会は大人1人1万円を超え、ペータース協会も大人1人7千円はしたと記憶しているので、ウィーンのコンサートはさほど安くないです。学生料金がありますので、それに当てはまる人は、だいたい半額になります。

 私自身は、実は教会に入るのに強い抵抗があったのです。今回は、主人が「教会のコンサートは とても神秘的だから、ぜひ体験するべきだ。」教えてくれたので、それに従って聞いてみたら、確かに教会のコンサートは独特で、日本では体験できないと思いました。

 ウィーン学友協会

ウィーン学友協会は、ウィーンフィルハーモニー交響楽団が本拠地としている演奏会場です。写真1-aは正面玄関、写真1-bは劇場内、写真1-cは劇場のパイプオルガンです。この団体の演奏は、よそ者の一元さんが聞くとなると、なかなか難しいかなぁと思いますので、ただの旅行客は諦めた方が無難です。特に、7月〜9月は丸々、あちらの演奏団体、演劇団体は夏休みを取りますので、ウィーンフィルハーモニー交響楽団本体の演奏、観劇、バレエの鑑賞は、不可能です。
 しかし、夏休みでも、音楽は楽しめます。ウィーン学友協会では、観光客向けですが、モーツァルトコンサートと銘打って、大衆向けの演目を聞かせてくれます。あまり、良い噂を聞かなかったのですが、私たちもこのコンサートを鑑賞しました。パパパの二重唱、椿姫のダイジェストなど、オペラ歌手の演奏も聞けたので、びっくりしたし嬉しかったです。そして、やはり上手だと思いました。私、日本では、N響が最高峰だと思うのですが、あちらでは、通常運転の最低ラインがN響ではないかと思うのです。まあ、クラシック音楽の本拠地ですから、日本が下手なわけではなく、あちら様が上手なんだと思います。でも、楽曲によって当たり外れが、結構ありました。それは、聴く側の好みもあり、どの演奏会に行っても同じですから仕方ないことです。

 ネット購入だと配席は当日演目開始前に、長蛇の列に並んで券を受け取って知るのです。やはり学友協会は人気ですから、ほぼ満席なんですよ。しかも、席の転売防止のためか、4人の代表の1人がチケットを受け取りに行くのではなく、全員がそれぞれ受け取らなければなりません。ですから発券ブースは、人気バーゲン会場さながらの様相です。
 また、この劇場の席順ですが、横列を表す数字がローマ数字I〜IIIとアラビア数字1〜がありますので、ローマ数字とアラビア数字でダブっている箇所があるのです。そこを混同してトラブっている人たち(自分たちもその中の1グループ)が何人かいました。一種類の数字に揃えて連番で座席順番をつけて欲しいところですが、劇場が持つ歴史的背景などがあるのでしょうね。
 さらに、追い討ちをかけるように、座席案内係りがいるにはいるのですが、少ないのです。私が見ていた範囲では1名のみ(ワオー!)。しかもドイツ語か英語で(汗)。これ、かなりきついですよ。絶対に当日は、ネットに繋がっているスマホを持っているか、そうでなければ、劇場席一覧を出力して持っていった方が良いと思います。

 特に、飛行機の長旅疲れや時差ボケ、発券作業や席探しにと、疲労は頂点なのですが、オケが鳴り出した瞬間に、家族揃って眠気が吹っ飛び元気になりました。芸術の力です!

 楽友協会にはベーゼンドルファーという有名なピアノメーカー(今はヤマハの傘下)の工房があり、見学できるそうですが、私たちは、この旅行では時間がなかったので、残念ながら断念しました。

写真1-a ウィーン学友協会 正面玄関 19:30ころ 
まだまだ、明るいですね。

写真1-b ウィーン学友協会のコンサート会場 
毎年TVで見るニューイヤーコンサートの映像と同じでした。

写真1-c  ウィーン学友協会のパイプオルガン

 ペーターズ教会のコンサート

ここもウィーン繁華街にあり、シュテファン寺院の近くでした。
 夜の8時開演ですから、終わるのは10時くらいです。ウィーン学友協会もほとんど同じでした。この時間帯は、昼間に活動を目一杯詰めると結構つらいです。私達は5日間の日程で、2日のコンサートを入れたのは、ちょっと辛かったです。
 ペータース教会(写真2-a)、表通りからちょっと入ったところにあります。教会の入り口近くから表通りを眺めると、馬車とバスが並んで走っているので、なかなかユニークでした(写真2-b)。
写真 2-a ペータース教会正面

写真 2-b ペータース教会入口からの大通りの眺め

 教会入り口の前にチケットをチェックする人が机を出して立っています。教会の中にチケットチェック場所があるかと思って、チケット代わりのプリントアウトしたメールを手に持って、入り口に向かったら、その立っている人たちに「ちょっとまって」と親切に声をかけてもらいました。プリントを見せたら、なんと席まで案内してくれました。この親切さが嬉しいのですよ。こちらも、ここで初めて自分の席を知るのです。とても良い席に案内されて嬉しさ半分、下の子は達寝ないかしら?と不安半分でした。確かに、2段階ある席の良い方を選んで購入したのですが、多分、予約順番で配席されるようです。これは、ウィーン学友協会もある程度同じで、予約順番が早い方が良い席になるようです。
 この教会は、写真2 - c, d, eに載せたように内装がとても美しく、照明も柔らかかった為か、頭の中で教会の飾りが仏具とオーバーラップした瞬間を初めて体験しました。つまり、教会とお寺がオーバーラップしてしまった感じです。しかし、この旅行ではブダペスト の国立美術館の教会美術の部屋でも同じ感覚をさらに強く受けました。なんと言いましょうか、身体の軸が揺れる感じで、空間と空間がぶつかり合っているハザマにまさに自分がいるという感じなのです。この旅行の教会で感じたこの感覚は人生初でしたし、自分が思考したこともないものが頭の中からムクムクとイメージされてしまう非常に強烈な体験でした。
写真2-c ペータース教会の祭壇
写真2-c ペータース教会の祭壇の絵(御神体)
女性ですかね?分かりかねますが、マリア信仰の厚いオーストリアですから、もしかしたらマリア様かもしれないです(調べてもわからなかったのです。)。

写真2-d 教会の飾り
この教会の演奏は弦楽四重奏でした。そして、プログラムは割合に高度です。ヴィバルディの四季だって夏を演奏してしまうのです。7月のコンサートに行ったのですから季節柄、そうなりますよね。しかしまあ、コンサートマスターがとても上手でした。他の3名の奏者も、もちろん上手ですし、眠い目がパチリとしてしまいました。しかも、席は特等席です。
 何だか、すごい演奏を2時間ぶっ続けに聞き、家族揃って、酔いしれることになりました。
 コンサートマスターの人の挨拶を聞いたあと、主人が「あの人はアメリカ人なんだ。」と言っていました。というわけで、今も昔も一流の音楽家が各国から集うウィーンなんだなと思いました。(終わり)


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2019年 ウィーンの旅行(1)概要