2018年2月28日水曜日

昨夜の夢

昨夜の夢
 とても広い草原があります。
(下の写真みたいな場所ですhttps://4travel.jp/travelogue/11030087さんより)


 夜、この草原で私が一人で立っているのです。夢の中では、それが地球のどの地域かわかっているのですが、今ははっきり思い出せないのです。きっと、中国かな。
 空には、雲が三割ぐらい出ています。月が満月で黄色く明るく輝いています。

 突然、空から閃光と大きな音がしました。とっさに空を見上げたら、4回対称の光と物体が降りて来ました。とても大きいのです。UFOです。私から200メートルほど離れて着陸しました。着陸したとき、声が聞こえました。「あなたも、月がこのように光り輝いているときに、UFOで地球に降り立ちました。だから、あなたのハンドルネームに月夜が入っているのです。」4回対称を見て、私の出自である仲間であることはわかりました。仏教系は、基本的に卍を見ればわかるように四回対称の図形を使うことが多いのです(神道系は三回対称が多いかなと。自然とは言い難いですが、神道には五回対称もあります。)。

 ずっと、グレーやアカい人たちをやり過ごしながら、進めてきました。
 でも、まっとうな人が壊滅的に減ってきていて、周りは悪魔ばかりになったと思いながら、夢路に着いたのです。本当に世も末だと思いつつ。だから、こんな夢を見たのかしら。バックに控えているから安心してと言うことかしら。すごく、エネルギッシュな夢でしたが、UFOの乗組員の方々とは会いませんでした。

2018年2月23日金曜日

うわべだけの自由によって、(本当の)自由を粉砕することは、実に容易である。

うわべだけの自由によって、(本当の)自由を粉砕することは、実に容易である。

 本当にやるべき事は、人によってまちまちです。また、行うと決めたとき、それを追行するためには時間が必要です。それをやるかやらないかの個人の選択は自由です。ですから、憲法18条では、その自由の権利を守るため、

第十八条
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

と定められています。

 しかし、邪魔されます。実際には、何かと非常に拘束されます(PTAもあまり強要すると憲法違反になるんですね。役員の皆様、学校関係者の皆様、お気をつけください。まあ、私のように手を挙げ、学ぶ機会にもなるにはなるんですが。)。最近の私は本当にひどいしがらみっぷりです。

 悪魔の常套手段で、何が善なのか見失った人間を使って、本当の自由を追い求める人を邪魔しに入るのです。その時に、悪魔や悪党は、うわべだけの自由(奴隷解放とか女性解放とか)を振りかざし、意義のある自由を踏みにじり、魂の成長を妨害するのです。でも、手先になっている人間の狂気は手に負えないですが、
「あなたの要求には答えられない」とか、
「あなたとは共に進めない」
とはっきり言ってください。結構、助けてくれる神様がいらっしゃるものですよ、恐れないで言うのも大切な勉強だと身にしみる昨今でした。


2018年2月16日金曜日

新羅・百済・高句麗(366〜670白村江の戦い)

1.新羅・百済・高句麗の年表

366年 一次羅済同盟の結成
369年 高句麗は百済を攻め雉壌の戦いで敗北する。
371年 百済は高句麗の平壌城を攻め、高句麗故国原王戦死
372年 東晋は百済王余句(近肖古王)を鎮東将軍領楽浪太守にする
384年 晋から百済に仏教(仏魔)伝来
397年 百済は倭国と通好し、太子腆支を人質とする

[400-α 新羅の裏切り(高句麗への接近?真は不明)により一次羅百済同盟の決裂]

433年 二次羅済同盟の結成
455年 高句麗は百済を撃ち、新羅が百済を救う
490年 北魏の数十万騎が百済を攻める(南斉書)
493年 新羅・百済婚姻により同盟強化(新羅が百済へ花嫁を送る。)
495年 高句麗、百済の雉壌城を攻め、新羅が百済を救援する。
503年 百済王武寧、倭国に遣使
523年 百済聖王(聖明王)即位
538年 百済聖王は遷都し、国号を南扶余と号す。
548年 高句麗は百済を攻撃し、新羅が百済を救援する。
551年 百済聖王、新羅と伽耶の援助により高句麗軍を破る。

554年 百済聖王、新羅の管山城を撃ち敗死。⇦百済の発狂現象開始
562年 高句麗、百済の熊川城を攻撃。
616年 百済が新羅の母山城を攻撃。
618年 鮮卑系国家唐の建国
638年 百済が新羅の独山城を攻撃。
642年 百済と高句麗が新羅を攻める。
643年 百済と高句麗と同盟(麗済同盟)。
655年 百済と高句麗が新羅を攻める。
660年 唐・新羅連合結成
660年 唐・新羅連合軍(唐・新羅の同盟)、百済を滅ぼす。
663年 倭国の百済救援軍、白村江で唐軍に大敗。
[新羅への度重なる唐からの属国要求がある。]
670年 唐・新羅戦争で朝鮮半島は完全に唐の属国となる。

894年 遣唐使は菅原道真公により廃止
907年 鮮卑系国家唐の滅亡


2.〜523年までの新羅と百済と高句麗と日本

古い時代においては、新羅と百済は南下してくる高句麗(女真系ツングース系)と必死で戦って来たのが見えてくるでしょう。“倭”とは日本のことですが、その他のネット上の文献を見ると、新羅と百済と伽耶は倭という国と国交を持っていて頻繁に行き来をしていたようです。年表では、397年の百済のことを書いておりますが、他にも沢山の情報がネットに載っています。したがって、この時代は日本と新羅と百済は、関係が悪い状態であったとは考えにくいです。

 このような関係に、多分、はじめに影がさしたのが、
372年 東晋は百済王余句(近肖古王)を鎮東将軍領楽浪太守にする
384年 晋から百済に仏教(仏魔)伝来
でしょう。この出来事の後も100年以上は羅済同盟(新羅と百済の同盟関係)は続きますが、この仏魔により百済国が徐々におかしくなっていきます。私の推論ですが、一次羅済同盟の決裂もこれが原因ではないかと思っています。
 百済は常に先制攻撃の対象になっていますが、これを新羅が助ける形が多いです。
 一方、日本と極めて縁が深いとされる百済王武寧から聖明王の期間では、新羅と百済は同盟を組んで頻繁に高句麗と戦っています。この当時、新羅と百済の多くの人が日本に渡ってきていたようです。桓武天皇の母上は、高野新笠というお名前ですが、百済王武寧の末裔が日本で帰化した家の出自という伝承があります。これについては定かではないのですが、荒野新笠さん自体の先祖は彼女を遡ること200年以上は日本で暮らしているということです。したがって、羅済同盟と日本との関係が良好であった百済王武寧時代の西暦500年頃に百済、もしくは新羅から日本に帰化した朝鮮人の末裔が高野新笠さんということになります。したがって、高野新笠さんにもかなりの日本人の血が流れているであろうこと、そして日本と友好的な朝鮮人が祖先であったことが推察できます。高野新笠さんの家は、お名前の“新”の字から考えると、新羅出自かなとも思われますが、一応、一般的には百済出自の家柄ということになっています。どちらの国でも、この当時は日本と友好的であったと考えて差し支えないでしょう。
 このことから、桓武天皇のお母上が、100%の朝鮮人とも考えにくく、また朝鮮人として思い浮かべる現皇室やチョンと言われる人種とは、全く異なっているということが容易に推論でき、さらに、考えを広げて、現皇室やチョンと言われる人種は高句麗や高麗の流れを汲む民族であろうということが容易に推察されます。

2.523年以降の百済の変貌と朝鮮半島

 ここからが悲劇です。523年以降、百済聖明王が即位してから、百済に渡った仏魔の発現により、百済の動きがおかしくなります。その最たるものが以下のものです。
 554年 百済聖王、新羅の管山城を撃ち敗死。⇦百済の発狂開始
 結局は、百済は新羅を裏切り、高句麗と同盟を組みます。この時、既に日本では神道の守り手の物部氏が乗っ取られ滅亡し、なんとか正しい仏法を保ち正しい統治を行なっていた聖徳太子と蘇我氏(秦氏出自)一族も百済経由の仏魔(チョン+チョン藤原氏)との苦戦を強いられていました。これにより、苦しい立場の立たされた新羅は、唐に助けを求めます。しかし、中国は既に前漢を最後にまともな王朝が途絶え、その後は、鮮卑系の王朝が続いて、唐もこの中の一つです。結局は、新羅が唐の助けを借りて、白村江の戦いに勝利しましたが、悪魔のシナリオ通り、鮮卑系王朝唐の属国と化して行きます。それに争うように
670年 唐・新羅戦争で朝鮮半島は完全に唐の属国となる。
 という戦いをおこしますが、新羅の力は及ばず敗北を喫します。そして、高句麗は朝鮮半島から退散しましたが、朝鮮半島が鮮卑系王朝唐の支配下に下るのです。

3.感想

 新羅は、最後まで本当によく頑張りました。そして、百済も悪い印象ばかりだったのは、“2.  523年以降の百済の変貌と朝鮮半島”の部分しか知らなかったからです。新羅、百済、伽耶という朝鮮半島の国々と日本は仲が良かったということを知ることができて、よかったです。
 百済、日本と仏魔に落ちて新羅がどんなに苦しかったか、それを思うと涙が出てきます。そして、物部氏を頼りとして帰化した技術と仏法を持って渡来した人たちと庶民が、物部氏の復活を心から待ち望みながら、奈良の飛鳥で光を保つ政を必死で守った映像が頭の中を駆け巡ります。私は、普通の名もない家の出自で家系図を元に宣言するのではありませんが、神道はさほど馴染みがなくとも否定的ではないし、真面目な仏教徒ですから、間違えなく秦氏の末裔でしょう。奈良に旅行に行った時の、湧き上がる悲しさと懐かしさの謎がようやく解けてきました。
 また、桓武天皇のお母上が、現皇室のようなチョンではなく、きちんとした朝鮮人の末裔であったということが調べられてとても有意義でした。


本当のプロ根性、本当の愛情、大人の責任

 プロや先生としての助言は、相手にとってプラスになると判断すれば、
言いにくいことでも、言わなくてはならないことは、お客や教え子にはっきり言う、
それが、本当のプロ根性だし愛情だし大人の責任です。

 言いにくいことは言わず、ぐちぐちとしている歳だけとった迷惑な大人(A)は、まず間違えなく、自己愛ばかりで、他人への愛情が欠如しています。そのような立場に立てるだけの力を持っているのに、それに対する責任を熟考せず、さらに責任を果たすことを放棄し、そのパワーを付与されたことへの感謝が足りないのです。

 そういった人の特徴は、
・言わないことが相手への思いやり
・おかしな常識論を振りかざして自分が口出す立場でないと詭弁をふるい自分の立場を正当化する
・事務をおろそかにする
ですが、他人への責任転嫁が激しく、攻撃性が強いです。

 一方、言ってはならないことや、人の揚げ足ばかり取って、あからさまに他人にいちゃもんや不当な義務を押し付け、攻撃的な対応を取る人(B)も困りものです。しかし、こちらの方が正直かなとも思いますし、化けの皮が薄く、責任転嫁の割合が少ないのでマシかなとも思います。でも、おとなしい人にとっては破壊打で、これにより、Aが作製されるのかななんて。Bは、学力の高かった人が壊れた場合が多いかなと思われます。

 しかし、どちらも自分で気づかなければ、もうアウトです。他の人間が助けられる時期ではありません。ですから、そのような困った人に絡まれていたら、今は迷わず切り捨てましょう。話してもこちらの言い分は理解できませんので、時間の無駄です。そして、自分が疲れて、自分まで足をすくわれます。

 人や実態のあるものへの感謝を強調している教えは、悪魔から出ている可能性が大きいと思いますが、人は人智を超えたものとそのパワーへの感謝の心を忘れた時に、考え方が自己中心になるので、このような困った行動が現れます。しかも、子供の頃は、人智を超えたものとそのパワーへの感謝の心を持っている場合がほとんどです。大人になるにしたがって忘れてしまうのです。思い出す機会はいくらでも作って置いてありますが、このチャンスを自分で無にしてしまい気づけません。ですから、忘れてしまったのは環境も悪いのでしょうが、思い出せないのは本人の責任でもあるのです。