2018年3月27日火曜日

ひふみ神示 富士の巻より

ひふみ神示 富士の巻より
http://hifumi.uresi.org/03.htmlさんより引用
   第十六帖 (九六)
 あらしの中の捨小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにも分かるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶(かじ)も櫂(かい)さへ折れた舟、何うすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして肥料になりと思へども、肥料にさへもならぬもの、沢山出来て居らうがな、北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意をいそぐぞよ。八月二十四日、  の一二か三。

   第十八帖 (九八)
 神々様みなお揃ひなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合はしなされて、今度の仕組の御役きまりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。辛酉(かのととり)はよき日と知らしてあろがな。これから一日々々烈しくなるぞ、臣民 心得て置いて呉れよ、物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食ひ物、足りるやうに作らしてあるに、足らぬと申してゐるが、足らぬことないぞ、足らぬのは、やり方わるいのざぞ、食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。それぞれの神様にまつはればそれぞれの事、何もかなふのぞ、神にまつはらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、底知れてゐるのでないか。戦には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の神様 御怒りなされてゐるから早やう心入れかへてよ、この神様お怒りになれば、臣民 日干しになるぞ。八月の辛酉の日、ひつくのか三さとすぞ。

① トランプ大統領がついに動き出しました。糸は完全に切れました。光の制御は厳しいと思います。
 鉄鋼関税は韓国、メキシコ、カナダには優しく、日本に厳しいとか…。別に、鉄鋼は日本にとって、アメリカは大きな輸出相手国ではないので、多少の痛手はあるのでしょが、日本に貿易赤字の是正を求めるには、もっと有効な品目があったはずです。当初は韓国やカナダへの圧力でしたが、筋が違ってきました。

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180327/mca1803270500006-n1.htm

②  世界戦争のために、ロシアもアメリカと組んで、世界を乱し始めました(ロシアは昔っからか…)
 http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/nms/news/post_152046

③   ロシアのプーチン大統領は、続投。

④   中国の習近平主席は、長期政権の樹立。

⑤ 打って変わって、日本でも、森友を安倍ゲートと意味不な命名で、騒ぎだし、首相下ろしが激しくなってきています。安倍首相では、日本を世界大戦の火中の栗にできないからです。安倍首相は、世界大戦回避で動いています。

 ①〜⑤ から、もはや、世界が混乱するのは避けられなくなってきました。大難の部類に突入する可能性が高いとも考えています。アセンションが遅れているのですから、それを考えたら楽勝戦ではないのです。大難の可能性があると思って、気を引き締めて生活しないとならないということです。この世の自分に望みを残してはいけなくなってきました。
 アメリカを支えていた柱は、完全に日本に移りました。ドイツを支えていた柱も日本に移りつつあります。十柱が揃う場所は日本です(私としては、“かな”くらいで言い切りたくないのですが、こうなります。)。

 神示には、きちんと結果が書いてあります。これをひっくり返すのは、非常に困難だと思いますが、止められないのでしょうか?

 小難のシナリオはトランプ大統領の選出時に書き換えられたのかもしれないです。
 

2018年3月9日金曜日

「真理のことば」における存在の分類 ver.1(作業順序の予定)

 (「真理のことば」における存在の分類 (作業順序の予定)に改訂を加えました。)

「真理のことば」の“第5章 愚かな人”を考え終えたところで、残りのところを見渡しました。そして読誦時代から不明瞭に感じていた点を思い出しましたので、これを機に整理して行こうと思います。
 “第5章 愚かな人”では、人間を含めた多種多様な存在の中で、愚かな人と命名される種類の存在についての特徴を記述している章です。他にも、同様な章が6章があります(下記の参照)。不明瞭であった点とは、各種類の存在の共通点や相違点が読誦しているだけでは、漠然としていてはっきりしないということなのです。例えば、“修行僧”や“道を実践する人”や“出家者”、そして“バラモン”などなど、どの様な線引きで分類されているのか、ちょっと分かりにくいのです。

 どうも不明瞭になってしまう最大の原因は、章が離れているからだと思っています。“第5章 愚かな人”の見直しを終えたのを機会に、
“第5章 愚かな人”
“第6章 賢い人”
“第7章 真人”
“第14章 ブッダ”
“第19章 道を実践する人”
“第25章 修行僧”
“第26章 バラモン”
という順番で見直し作業を進めます。この見直し作業とは、各章の各詩から必要なものや不要なものを考察するということです。

 私は、
①本質的な魂の分類
②立場の分類(役職的立場とただの立場)
が混在しているという立場で、それぞれの言葉を下記の4点を論点として仕分けし、図の様に整理しました。 

(1)“愚かな人”、“賢い人”、“真人”は魂の発達段階の分類とします。“真人”には、“賢い人”という相は含まれています。
 また、“賢い人”は、“愚かな人”を概ね理解しますが、“真人”の全ては理解できません。しかし、“真人”は“愚かな人”と“賢い人”を完全に理解します。

(2)仏典によれば、真人とブッダは同類と考える向きがありますが、私は“真人”は、修行完成者で非超人的な存在、“ブッダ”は魂としては“真人”と同類ですが、超人的な存在として考えます。

(3)仏教が起こった頃は、インドでは「“賢い人”=“ブッダ”としていた」と言いますが、これについても、私は“ブッダ”に“賢い人”の相は含まれますが、同等とはせず、
“ブッダ”>“賢い人”とします。
 
(4)“修行僧”、“バラモン”は、私は役職的な立場の名称と理解します。そして、“道を実践する人”や“出家者”は、ただの在家か出家者かという立場の名称と理解します。




2018年3月7日水曜日

強制不妊手術

 最近の話題で、強制不妊手術がありますが、昨日の朝日新聞の夕刊でようやくアウトラインが見えました。
 知的障害者等の障害のある人の出産という壁ですね。
 

 障害のある方にも人権を含めて保障されるべきことはあると思います。何よりも、最期の瞬間に生まれて来て、生きて人生を送れてよかったな!という境地でこの世を去っていただけたらベストです。これは、私にしたって同じです。健常者と言われる人たち全てにとって同じです。ですから、それに向かうために、公は公費を投入して、障害のある人たちへの必要な援助・支援をすることは、公の義務だと思います。
 では、自分に障害があることがわかった時に、健常者と同様に子供を出産する権利があるのか?という問いは、人の生死を語るのでとても難しいことで、安易には語れないのが恐ろしいところです。しかし、自分の生を20歳〜50歳台で、かなり健常者より多く他所様の手を借りないといけない、自分の両親は歳をとって行くところで、果たして、その人たちが子育てを健常者と同等にこなせ、自分の子供を健常者として育て上げる事ができるのか?というところに、優生保護法の強制不妊手術の意図があったのかとも思います。

 正直言って、健常者と言われる私たち(私はかなり変ですが!!!)ですら、子育ては大変です。公立学校は何を教えているのやら???というご時世もお手伝いしてくれて、基本的な勉強まで家庭での協力が必要なのですよ。もちろん、乳幼児時代に、正しい日本語を語りかけて、子供が日本語を覚えるようにしなくてはなりません。これは、言語能力の発育にとても重要だと考えています。はじめに言葉ありきで、そこから思考の広がりができてくるのです。これらのことを考えると、やはり軽度であっても、知的障害がある人が子供を産んで育てるのは無理があるのではないかとも思うのです。

 私が知る明らかに知的障害を持つ母親の二人の小学生の子供は、障害のあるクラスにいます。PTAのお手伝いにも来てくれるお母さんですし、他の健常者で群れている感じの悪い人たちより真面目に仕事をしてくださるので、よほどマシですが、一つ一つの指示を出さないと動けないのです。そして、こちらが指示を出さないことや群れていて働かない人たちに、不満の態度を露骨に出します。私としては、「山住みの作業プラスこの人の相手か!」という気分でした。この女性が産んだ子供だって、似たか寄ったかで、彼女が子供を産まなければ、1名で済んだところを3名になってしまったのだと思うと、やはり大変な思いが頭をよぎりました。

 また、このような方々へ支出する公費も、健常者の税金ですから、知的障害者の結婚は素晴らしいけれど、出産は控えたほうが、ご自身も周りも楽だという考え方にも一理あるかと思われます。
 
 ただ、この朝日新聞の記事に紹介されている、現在60代で15歳で強制不妊手術を受けた女性は、知的障害を持っているのにも関わらず、自分の意思で60代になって裁判を起こすのは考えにくいですよね。彼女を利用している悪い人たちの想像も容易につくところが恐ろしくもなります。