2017年11月28日火曜日

体調不良の時 日月神示 冬の巻 補帖

第二帖 ~ 第十七帖

未発表のため欠帖




補帖
http://hifumi.uresi.org/30.htmlさんより

 病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう。
 誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなると云ふことないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。
 もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。
 毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与へられるぞ。仕事いのちと仕へまつれよ。
 朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。

 食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。

 食べるから死ぬのぢゃぞ。  一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。

 神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。  

 ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。

 日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。

 遠くて近いものヒフミの食べ方(*)して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。

 そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。  

 理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。

 先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。六月九日、ひつくの神。 以上 

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(*)日の出の巻(http://123.mikosi.com/06.htmlさんより)
第八帖 (二二一)
一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ。日本の国は此の方の肉体と申してあろがな、何んな宝もかくしてあるのざぞ、神の御用なら、何時でも、何んなものでも与へるのざぞ、心大きく持ちてどしどしやりて呉れよ。集団(まどい)作るなと申せば、ばらばらでゐるが裏には裏あると申してあろが、心配(こころくば)れよ、十二月七日、ひつくのかみふで。

2017年11月24日金曜日

2017年11月10日金曜日

現在(2017.11) の子育てを指摘する童謡 「通りゃんせ」

童謡 「通りゃんせ」

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ

この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

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「天神様のお札を納める」ということは、天神様のお守りを返すってことです(それ以外に意味の取りようがないです。)。子供の天神様の御守護を、親が勝手に返しに来るんだって。これを、言葉を変えて言えば、悪魔の守護の下で子供の人生を運びたいから、天神様よ手を引いてくれって事なんですよ。
「行きはよいよい」は、まだ天神様の守護の下だからで、帰りはもう悪魔の守護だから怖くなるよっていう意味です。

 バカみたいでしょ。

 今はそんな親ばかりだけれど、そんな人たちに天神様が子供を預けるかしら?預けないですよね。それが、少子化の根本原因です。

 こういうことは、立運してから子供が自分で決めることなのに、自他の区別が付かない、子どもは自分のものだっていう、現在の親の事を歌っているんですよ。まあ、自分たちもそうされたから、その恨みつらみで自分の子供にもそうしてるんでしょうが、このループを切るには、少子化しかないのです。

(続きは)

 少子化、不妊で悩む人も多く。近くで見ていると一緒に悲しくなっていました。でも、最近では意外にも不幸ではないように思えて来ました。なぜかと言えば、観察していると、子育てがなくても、人それぞれに楽しそうに生活できているかなって思うのです。

 私が小中で過ごして来た時は、家が居心地が悪くても、学校や地域に逃げ場があったりしたものです。でも、今は公立学校がダメ、地域がかなりダメなので、家がダメなら子どもは行き場や逃げ場がない(汗)!もう、子どもにとっては八方塞がり的な状況、親にしてみたら現在は我々が子供の時よりも、自分がしっかりする以外、子どもがやられてしまう状況で、子育てがしにくい状況なんです。

 昔は学校だって、先生は厳しかったけれど、もう少し生徒の事をおもんばかっていました。でも、今はそういう人道的な立場に立って教員をすると、憂き目に合うように組織的に仕組まれています。個人個人の先生が悪いのではないのですが、先生とは程遠い能力の人たちが、続々と採用されていますので、下からの状況打破は厳しいかと。

 8年ぐらい前までは結構、公立学校でも、光は頑張っていたのですが、公立小中がなし崩し的に悪くなるここ数年です。少なくとも、学校の対応がイージーになったなと感じたのは、2013年。現在では、九九も家庭に丸投げになる勢いですよ。私の地域では、すでに、漢字が家庭に丸投げです。中学の英語も、家庭と塾に丸投げ状態(汗)。

 まあ、英語はともかくとして、子供達の読み書きそろばんは学校である程度習熟してほしいですが、今の学校ではムリ!我が子を救うために、母親(父親)が動かなくてはいけない量が昔に比べて半端ないと思います。私が、それに振り回されながら母親業をやっていて、この子育て難に腹を立てていたのですが、ふと、イルミの総攻撃があったからではないかと思うようになりました。

 また、同時に光の意図もあると感じました。

 私が分かる範囲で、明治時代以降、子供を大切に育てなかった人間が増える一方だったのでは?と、ずっと感じていました。でも、人口は増えるし、親が家畜のようにたくさん子供を産んで、当然ながら手が行き届かないから変な思考回路の人間ができるしの悪循環ができちゃった(ばかやろ〜!)。

親の子育ての戒は、
 ① 親がきちんと道徳を守ってお手本を見せる、
 ② 神様からもらって来た良いものを壊さない、
 ③ なるべく大人になって困らないようにお世話する(エネルギーを与える)、

子供までいる家庭があるのに不倫、変なことばかり要求して子供の心を壊す、自分が疲れ切って子供に慰めてもらうとか、本当に最悪です。

 大体、私の前世は、子育てどころか結婚もしないような人生が多かったと思われます。だから、今生は嬉しいのですが、やはり上記の点がある程度おさえられる人格でないと、周りからの加勢が期待できない今の時期の出産育児は無理だと、上位の存在に認識され、許してもらえないのが現状だと思われます(師匠がそうおっしゃっていました。)。子供が欲しければ、上記の3つをおさえれば多分大丈夫です。しかし、その前に、
1、このイルミ総攻撃の真っ只中、自身の精進の軸を子供に置けるように意識を変えることができるか?
2、この大変な状況での子育てより自分の精進を仕事など社会に向けるのはダメだろうか?
の選択を、夫婦そろって考えた方がいいかと思います。うまく噛み合わなければ、もしかしたら別れが訪れるかもしれないですが、子供がいないから、老後が心配?とかは、社会保障制度を整えれば完全解消です。そのための社会改革もこれからは進むでしょう。カップルの一方しか望まない出産には無理があり、子供にも不幸を運びます。今は、逃げないで考える時期です。私は、どちらであっても良い選択で、必ず心がけ次第で良い実を結ぶと思います。死んで終わりなんてことはないのですから、今回は何をしたいかな、すべきかなと考えてみても良いのだと思います。
 

2017年11月7日火曜日

釈迦族に関するツイート訂正

 師匠が、私の釈迦族に関する知識は間違っているとご指摘してくださったので、釈迦族について調べました。

 原因となったツイートは、
https://twitter.com/cncn1549/status/923050039831814145 
です。

 私のサニワによると、師匠曰く、釈迦族は、ライラ人部落の人たちだそうです。



 気を取り直して、釈迦族を、ググると、

「釈迦族(しゃかぞく、Śākyaシャーキャ)とは、古代北インドの一部族・小国である。 釋迦族やシャーキャ族とも。 インドではサンスクリット語で शाक्य (śakya, シャーキャ) 、パーリ語で sākiya(サーキヤ)と言い、「有能」という単語に由来する。」

というwikiがトップに出てきます。

また、
 http://kusyami.com/kusyami/kao_3.htmlさんでは、お釈迦様ご自身が自分の素性を、「王(ビンバサラ王)よ まさしくヒマラヤ山のふもとに一つの種族ありて 財宝と勇気とかねそなえ コーサラ族中の先住のものなり 種族は太陽と名づけられ姓はサッカー(釈迦)と呼ばれる 王よ われはその家より出家したり」と、宣言しています(これは、私も知っているのです。)。

 http://kusyami.com/kusyami/kao_3.htmlの後半の9.11テロの記述は置いておいて(問題が多すぎて踏めない自分)、釈迦族がコーサラ国王に卑しい身分の女性を、王族として差し出していたのは確かなようです。この点は、釈迦族は

「野蛮な国に対して最低一回は嘘をついた!」

ということは確かなのです。
 そこで、私の共産党系の頭がはじき出した感情混じりの答えは、
「大体、奴隷とか一体なんなのよ、意味がわからない。人は生まれながらに平等なんじゃないの。」と。
 でも、これはきっと、地球で文明を持っているのが人間だけならば、間違ってないよ。これが、自民党と歩んできている人たちは、人間は区別があるということを前提にしていくのです。ここがいつも平行線になる箇所なんですよね。
 自民党ってなんでもお金、お金っていうイメージだけれど、私の参加するボランティア団体は、なんでも無償労働、無償労働なので、結局同じだったり(汗)。名誉のために言っておけば、私が出入りする団体は多少は報酬をくれます。

 ここで話を戻し、視点を変えると、コーサラ国が欲していたのは、釈迦族の遺伝子だったとしたら(汗)、そりゃ、是が非でも断るかもしれないな。だって、霊格が低い者に、霊格が高い者が使う遺伝子を差し出すことになるのだから…。そして、人間一辺倒の世界だという前提で地球暮らしをしているけれど、実際は色々な宇宙種が、私たち地球人が知らないことを良い事に、地球を闊歩しているのです。これが現実ですが、これを知らないと、釈迦族は嘘をついたという一点で、釈迦族もタチの悪い王族貴族の仲間なのかもしれないなって理解してしまうのです。確かに嘘をついたのはいけなかったとは思います。

 しかし、まとめると、釈迦族はタチの悪いグレイ率いるレプタリアン王族ではなく、れっきとした優良民族だと認識するに至りました。そうじゃなきゃ、お釈迦様を地球に送り込めないですよね。そして、私が40歳を過ぎて得た認識、人間とおぼしき人たちは一様ではなく、歴然と能力や知識、精神に差があり、能力の高い人たちは、私たち庶民とは、世界の見え方や捉え方、扱い方が全く違うということです。そして、別に能力は高くないけれど、地位の高い宇宙種(天皇家とか)も同様。どちら側の人なのかわからないうちは、その上の人たちがやっていることは、本当は私のためを思ってやっていても、判別しづらいです。そして、文句を言っちゃうのです。だから、ネガティブワードは極力口にしないほうが安全です。天ちゃんたちに対しても、良い言葉を使って貶す(いや、嫌味を言う)ぐらいの方が、自分が安全だと気付きました。