2018年9月17日月曜日

永作芳也さん

 永作芳也さん、とても素晴らしい御相好(人相)です。お優しさがにじみ出ていらっしゃいます。
 https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/03/nagasaku-legend-01_n_17665338.html

(続きはこちらです。)

 私は、将棋界も特に興味はなかったのですが、最近、羽生善二氏とか藤井聡太氏のお祭り騒ぎをよく聞きますよね。聞くにつれ、うさん臭さ爆裂でした。お二方とも、相好が好きになれないのです。
 羽生氏も藤井氏も努力があって強いのでしょうが。そして、彼らが左うちわであの地位を手に入れているはずはないのです。でも、将棋界が青写真を持っていて、その一つのコマがプロ選手で、彼らだって、そのコマの一つと考えるのが妥当だという結論しか得られません。そして、それが名人というコマなのかもしれないです。

 私も、若い頃は夢中になって取り組んだことがあります。業界の青写真なんて、全く気付かずに、一心不乱に、まるで何かに取り憑かれたようでした。だから、永作芳也さんの気持ちがわかるような気がします。私みたいな変な人、いないよなって、ちょっと自分の嫌いなところでもあったから。レベルが違うにしても、名人にならなくとも、永作さんなら、上位コマで生活することは可能だったはずですよ。

 永作さん自身がどうお考えになったかわかりませんが、自分の場合を当てはめて考えてみると、

 自分がその団体(マトリックス;青写真)に収まりきれないと感じたら?
 それが、人間的欠陥なのか?それとも常軌の範囲なのか?

苦しい思索が続いたと、私は勝手に想像しています。


 もちろん、さほど努力せず妥協に次ぐ妥協で生活を送った人たちは、成功した人は、みんな素晴らしい才能と努力をしたのであって、自分とは違うという認識で、普通に人生を終えるでしょう。
 しかし、長い人生、それで平穏に終われないのが世の常ですから、それで終わる人は結構少ないと思います。そして、人間ある程度真面目に物事に向き合うと、世の中には、生まれつき成功を約束された人種がいるということを知ってしまいます。

 それを世の中こんなものだと受け入れることが、常識的に生きることであると洗脳された人たちが高収入を得て、それに対してNoといった人は、下層に置かれるか、そのマトリックスからはじかれるのです。そして、下層やマトリクスから外された人たちを見て、前者の一部の人たちは、安心したりします。

 永作芳也さん、スタートが遅くてもあそこまで、上り詰めるのですから、尋常な人ではないのでしょう。だから、将棋界のコマとして生きることから、全力疾走でお逃げになった気がしてならないのです。自分が発揮した力の出所がわかったらっしゃたのではないかなと思うのです。それを、人類にとって不利になる力として利用するわけにはいかなかった、そんなことを私はなんとなく感じています。でも、この方の打った将棋は、現在の将棋界にとって、ものすごい礎になっていることだと思います。
 私、将棋も囲碁もまったくわかりませんが、永作芳也さんが今度は別の種をまかれてだしていらっしゃるので、それが育つのを楽しみにしております。

2018年9月7日金曜日

神仏分離と廃仏毀釈


訂正履歴
赤字)20180907
青字)20180910

 廃仏毀釈をご存知でしょうか?私は恥ずかしながら、ネットで師匠のツイッターに行き着いて、師匠のお友達の梵字さん(仮)が、とても熱心にツイートにこの言葉をあげているので、初めて知りました。てな訳で、3年半ぐらい前に、人生で初めて知った言葉だったのです。廃仏毀釈がわからない人は、https://kotobank.jp/word/廃仏毀釈-113085さんを参考してください。

 明治政府が行ったのは廃仏毀釈ではなく、正式には神仏分離です。私は仏教徒ですから、神仏分離は当たり前、廃仏毀釈と言われると、そんなに仏さんを足蹴にしなくてといいのにと思うのです。
 神仏分離と廃仏毀釈、両者がどうして混同して使われるのか、不可解でしたが、よくわからないので、とりあえず保留していました。
 また、真理のことばを再開して読んでいるのですが、以前より仕込まれている仏魔に対する感度が良くなり、読むのもつらいほどです。書き換えの作業も、あと少しですが、気が重く進みません。自分が仏教徒でなければ、お釈迦様の悪口も言っているかもしれないと思います(汗)。

 神道と仏教は、神道の日本人が仏教を取り入れたので、日本国内では、たいていの場合、両者はとても仲良く存在していると思うのです。大体、神社仏閣街と言われるようにセットで祀られています。
 ただ、仏教にも悪いところが多々あるので、悪口を言う人に、そういう面もあるって、良く解っているから、売り言葉に買い言葉してしまう気持ちにもなれなくてなんて日々が10年以上続きました。そんな時に、仏教の悪い部分が仏魔であると師匠に教えてもらって、さらに自分がそれを検知するにあたり、神社とお寺を一緒にすると、お寺に潜む仏魔が神社を攻撃したり入り込んだりするなと心配が付いて回るようになりました。私の感じた心配応急処置しようとしたら、明治政府がとった神仏分離であったとになるのではないかと思います。

 廃仏毀釈という強い言葉は、明治政府は使わなかったのです。仏魔を教えてくださった師匠(神道の方)、それでも、お釈迦様に対して、支持を表明なさったのです。さらに、日本の神様の方は、仏様に対して敵対なさってないと私は感じます。廃仏毀釈という強い言葉は、政府とは関係のない宗教界の関係者によって使われ体現された活動(プロレス)です。

 このプロレス活動によって、彼らは、お釈迦様やその教えを日本からなきものにしようとしていたのでしょう。お釈迦様のきちんとした教えは、人類にとって宝だと思うのです。それで、私は真理のことばの新解釈を始めたのですから。だから、廃仏毀釈ではなく、廃仏魔毀魔経なのです。
 来週から、復活の第1番手は、第8章 千という数にちなんで  です。自分の名前に使われている字があるので、元気出していこうと思っています。第23章 象 です。


(追伸)
 実は、私を命名した曾お爺ちゃんは、非常に熱心な天理教信者でした。何年も温めていた名前を私に付けてくださったようです。占いが得意だったようで、生年月日と名前の相性で、付ける名前を決めていたそうです。
 そして、祖父母も天理教の熱心な信者でしたから、私は小学校に入る前に天理教のお勤めバス旅行に和歌山まで連れて行ってもらっています。両親は行きませんでしたが、祖父母が連れて行ってくれると聞いて、だいぶ前から楽しみで仕方なくワクワクしていたという記憶があります。お勤めの日々が過ぎ、いざレクの日になり、みんなで海水浴という日にお腹が下ってしまい、一人で天理教の道場で寝かされていました。ご一緒した皆さんにかなり迷惑をかけてしまいましたが、一番楽しみにしていた海水浴に自分一人だけ行けなかったのも恨めしかったです。
 祖父母が亡くなってからは、天理教とは縁が遠くなってしまい、自分は勧誘も受けたことがないです。最近知ったのですが、天理教って神道なんですね。私に神道の気配があったなんて、驚き 桃の木 山椒の木です。

2018年9月4日火曜日

2018年夏の沖縄旅行;阿麻和利さんとシルミチューさん&アマミチューさん

 今年の夏は、沖縄本島伊計島近辺 地図 ア)に旅行に行くことができました。
 石垣島を狙っていたのですが、予算と日程の制約があって、沖縄本島になりました。離島は、多少お値段が張るので、学生がいる夏休み限定旅行しかできない我々には厳しです。
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ア)1段目地図 沖縄本島全体図と旅行先(赤丸)http://www.geocities.jp/cnkrs800/tsuken.html  さんより
イ)2段目地図 アの赤丸の拡大図(グーグルマップより)
ウ)3段目地図 浜比嘉島の地図(シルミチューとアマミチュー)
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 今夏は猛暑でしたし、沖縄のビーチですから一日中海水浴も厳しいしと、私は多少後ろ向きでした。とはいえ、子供たちも楽しみにしているので、みんなで色々と調べてました。シーサー作り、青の洞窟のシュノーケル、三線体験、キャンドル作り、伊計ビーチでの海水浴、伊計城跡探索など。そして、最後に主人が、「世界遺産の勝連城址に行きたい。」と提案してくれたので、行程にくりこみました。

 
 


  この勝連城址見学が思いの外、素晴らしかったです(前述写真)。
 お城だけあって、ここを治めた豪族の防衛線ですから、海から街から全部を見渡せるのです。城跡を上の方まで登っていくと、街中の火事も一目瞭然だし、海からの侵略にも備えていたんだなと感じずにはいられませんでした(とはいえ、大陸とは反対方向の岸ですが。)。
 ここを治めた、偉大かつ最後の城主が阿麻和利さん(以下にhttp://art.jcc-okinawa.net/rekishi/amawari/さんの転載を貼ります。)と言う方だそうです。この方、琉球国にとても逆らったようです。城下の人たちからは人望も厚く、さらに、かなりぶっちぎりで戦に強かったようです。海岸線に沿った道路の壁に描かれた子供達の絵には、圧倒的に阿麻和利さんの絵が多かったです。もちろん土地柄ですが、相当人気がおありだと思いました。


 勝連城、何が気に入ったかというと、とにかく見晴らし、そして、気が良いのです。正直言って、こんな良いところが沖縄本島にあるの?って思ったのです。そうしたら、この阿麻和利さん、琉球に敗れた戦い(1458年)で死体が上がらなかったのか、“北谷に逃げたという伝説がある”と書かれているではないですか?!「こりゃ、ジェダイだわ、きっとまだ生きてらっしゃるのでしょう。勝連城跡に阿麻和利さんの気が立ち込めていて、私が良いと感じる気なんだな。」なんて思いました。

 沖縄本島の歴史の中で、勝連城跡はどの位置にあるのか調べてみました。
 沖縄本島は、北部・中部・南部 (国頭・中頭・島尻)の三つの地域に区分されて、勝連城は中部にある豪族のお城でした。当時、中部には有力な豪族が二つ、勝連城と中城城でした。中城城の御佐丸は阿麻和利さんに退治されましたが、御佐丸は和名で、唐名は毛国鼎(もうこくてい)、さらに中国の指令下にある琉球とツウツウだったようです。どうやら、大和民族ではなかったみたいで、大和民族の阿麻和利さんが叩いたのでしょう。
 琉球って、なんだか中国の雰囲気がして、日本じゃないみたいと感じていました。他方、沖縄といえば、日本って感じがします。あの派手で気色悪い琉球国の首里城、どう見ても中国です。一方で、庶民の家の素朴なレンガのあの色は沖縄の色っていうイメージがありました。このレンガ、実は沖縄で取れる粘土だとこの色になるようです。伊計島には、仲原遺跡という縄文時代の村の遺跡があり、竪穴式住居がありますが、壁は関東のものとは違い、石積みで、あの素朴なレンガ色の石も混ざってでできていました。縄文人が住んでいたんだなあと実感してしまいました。そして、琉球国に明の息がかかっていたのは、歴史を少し調べれば明らかです。
仲原遺跡 https://www.odnsym.com/spot/nakaharaiseki.html さんより

 阿麻和利さんの一連の戦いは、琉球という仮面をかぶった中国を抑え、沖縄を守るために戦ったというのが、真実ではなかったかと思うのです。
 というのも、徳川幕府になった瞬間に、薩摩藩が琉球を攻めてきて、中城城の御佐丸の子孫は薩摩藩の配下に落ちますし、琉球国も琉球藩に名前を変えます。さらに時代がすすみ、明治政府は琉球処分を断行し、廃藩置県で沖縄県が置かれるのです。一貫して、日本の領土であることを軸に、本土(宮古島のお年寄りはヤマトの人たちって言うんです)から応援が来る歴史が繰り返されます。
 
 そもそも、沖縄の人たちは、日本系なのかを調べると、wiki「琉球」に答えがありました。以下引用します。
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 近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されており、遺伝子研究では、沖縄県民は遺伝子的に中国人や台湾人とはとても遠く、九州以北の本土住民と近く、同じ祖先を持つという研究結果も複数出ているということです。
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 あー安心しました。沖縄県の人はほとんどが日本人なのです。まあ、竪穴式住居があるのですから、縄文時代から日本人が住んでいたのは確かなのです。

 
 旅行に話を戻しましょう。
 この日は勝連城からの帰りしなに、主人が車のハンドル握っていたのですが、「浜比嘉島(写真イ、ウ)に行ってみよう」と、突然、言い出したのです。私も子供も、その島は調べてないし、もう早く帰りたいなと思っていたのです。でも、「パパが言うならば」ということになり、浜比嘉島に行きました。
 私は、スマホで明後日のシュノーケルツアーの申し込みをせっせとやっていたら、気づかないうちに、道が狭くて大変なことになっていました。主人がしきりと私に「シルミチューという看板があるのだけれど、シルミチューって何?」って聞くので、「塩工場かなんかじゃない?」って、適当に答えていたのですが、何度も聞くので、手の中にあるスマホで調べたらパワースポットで神社だと出てきました。
 もう、迷ったに近いから、神社にお参りして観光スポットに行ったという既成事実を作ったなら、ホテルに帰ってくれるだろうと思い、狭い道をシルミチューに向かって車を進めてもらいました。
 ようやく、シルミチューの駐車場に着いたら、きれいな浜辺があってそこで2~3家族が遊んでいましたので、「明日はここにきて泳ごうかな?」なんて言いながら、神社にお参りするために進んで行きました。しかし、なんとまあ、行き着いた先は、洞窟なんです。そこに、御賽銭箱や神社らしきお飾りがあり、金網を張ってあって、お手入れはきちんとされているのですが、洞窟なのです。説明文には、シルミチューとアマミチューは沖縄の祖神で、夫婦です。この洞窟には、シルミチューがお住まいだということが書いてありました。「うわー現在形で住んでらっしゃる。」とすぐに感じて、ちょっと怖くなって、襟を正して家族揃ってお参りいたしました。お賽銭もちゃんと入れました。そして、駐車場まできて、最後に一礼して、車を発車させました。この時点では、どちらが男神様で、どちらが女神様かな?不明のままでした(笑)。

 車を走らせていると、次は“アマミチューの墓”なる道標が出てきたのです。男神様、女神様の謎を解くべく行ってみると、しめなわが張ってあるお手入れのされた海辺の大きな岩でした。そこで、シルミチューさんが男神様、アマミチューさんが女神様であることが判明してホッとしました。私のサニワですが、シルミチューさんは現在進行形で、洞窟に住んでらっしゃるのに、アマミチューさんは、お墓があるので、お亡くなりになっている模様なのです。アマミチュウーさんは輪廻転生のサイクルに入ってらっしゃるのでしょう。ここでも、きちんとお参りして帰りました。シルミチューさんは大好きなアマミチューさんのお墓を近くにこしらえて、いつもあの洞窟からお墓を守っているんだなと思いました。
 そのあと、浜比嘉島の地図(写真ウ)を眺めている時に、地名を見て、勝連浜とか勝連比嘉とかいう地名があるのに気付きました。そこで、ハタと、阿麻和利さんってシルミチューさんの御化身で、阿麻和利のアマは大好きなアマミチューさんからもらった音なんだなぁって思い至りました。アマミチューさんも、いつもシルミチューさんが近くにいてくれるので、安心して輪廻転生のサイクルでがんばってらっしゃるのかななんて感じました。

 最後にその他で遊んだところをご紹介します。

 伊計ビーチも有料ですが、テントを借りてのんびり1日遊ぶことができましたし、またビーチの食堂が、安価で、ザ沖縄料理的で、なかなかいけていました。ただ、泳げる場所が小さいのですが、そのかわりとても安全です。

 青の洞窟は台風で行けず、近場のシュノーケルでした。

 伊計城跡探索は、ネットでは干潮時に海からアクセスするなどの情報がありましたが、記事内容では場所がよくわからなかったので、現地ホテルで問い合わせてみました。以下がその回答です。今後行きたい方は、参考になさってください。
 “海からのアクセスはわからないけれど、伊計ビーチと伊計島トンネルの間の山側に山道があるので、そこを登って行けば、潮の満ち引きに関係なく、行けます。ただ、道が整備されておらず、ハブが出て危険だからお止めください。”
 とのことでした。

 AJ伊計島リゾートに泊まったら、ホテルのビーチもなかなかグッドだと思います。プライベートビーチのようでした。

 こんな感じで、大体は海水浴三昧だったのですが、三線も初めて弾けてとても楽しかったです。

 最後の日に、北谷の夕日を見に行ったら、米兵の白人さんばかりでびっくりしました。美味しいものを食べたいというので、ピザ、パスタとハンバーグの店に入ったら、お店もほとんど米軍関係者でした。誰一人、スマホをいじっておらず、とても人間味あふれるディナータイムを過ごしている人たちばかりでした。私は、アメリカ人ってこんなに落ち着いているのかな?と不可解に思いましたが、海外赴任してそこそこのレストランで家族と夕食を過ごすような人たちは落ち着いている人も多いんだなということを発見しました。私の身の回りの日本人や私の方が、がさつかなと反省しました。「最後に、沖縄旅行なのにアメリカで夕食をとったね。」と、家族で笑いながら帰りました。