今年の夏は、沖縄本島伊計島近辺 地図 ア)に旅行に行くことができました。
石垣島を狙っていたのですが、予算と日程の制約があって、沖縄本島になりました。離島は、多少お値段が張るので、学生がいる夏休み限定旅行しかできない我々には厳しです。
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イ)2段目地図 アの赤丸の拡大図(グーグルマップより)
ウ)3段目地図 浜比嘉島の地図(シルミチューとアマミチュー)
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今夏は猛暑でしたし、沖縄のビーチですから一日中海水浴も厳しいしと、私は多少後ろ向きでした。とはいえ、子供たちも楽しみにしているので、みんなで色々と調べてました。シーサー作り、青の洞窟のシュノーケル、三線体験、キャンドル作り、伊計ビーチでの海水浴、伊計城跡探索など。そして、最後に主人が、「世界遺産の勝連城址に行きたい。」と提案してくれたので、行程にくりこみました。
この勝連城址見学が思いの外、素晴らしかったです(前述写真)。
お城だけあって、ここを治めた豪族の防衛線ですから、海から街から全部を見渡せるのです。城跡を上の方まで登っていくと、街中の火事も一目瞭然だし、海からの侵略にも備えていたんだなと感じずにはいられませんでした(とはいえ、大陸とは反対方向の岸ですが。)。
ここを治めた、偉大かつ最後の城主が阿麻和利さん(以下にhttp://art.jcc-okinawa.net/rekishi/amawari/さんの転載を貼ります。)と言う方だそうです。この方、琉球国にとても逆らったようです。城下の人たちからは人望も厚く、さらに、かなりぶっちぎりで戦に強かったようです。海岸線に沿った道路の壁に描かれた子供達の絵には、圧倒的に阿麻和利さんの絵が多かったです。もちろん土地柄ですが、相当人気がおありだと思いました。
勝連城、何が気に入ったかというと、とにかく見晴らし、そして、気が良いのです。正直言って、こんな良いところが沖縄本島にあるの?って思ったのです。そうしたら、この阿麻和利さん、琉球に敗れた戦い(1458年)で死体が上がらなかったのか、“北谷に逃げたという伝説がある”と書かれているではないですか?!「こりゃ、ジェダイだわ、きっとまだ生きてらっしゃるのでしょう。勝連城跡に阿麻和利さんの気が立ち込めていて、私が良いと感じる気なんだな。」なんて思いました。
沖縄本島の歴史の中で、勝連城跡はどの位置にあるのか調べてみました。
沖縄本島は、北部・中部・南部 (国頭・中頭・島尻)の三つの地域に区分されて、勝連城は中部にある豪族のお城でした。当時、中部には有力な豪族が二つ、勝連城と中城城でした。中城城の御佐丸は阿麻和利さんに退治されましたが、御佐丸は和名で、唐名は毛国鼎(もうこくてい)、さらに中国の指令下にある琉球とツウツウだったようです。どうやら、大和民族ではなかったみたいで、大和民族の阿麻和利さんが叩いたのでしょう。
琉球って、なんだか中国の雰囲気がして、日本じゃないみたいと感じていました。他方、沖縄といえば、日本って感じがします。あの派手で気色悪い琉球国の首里城、どう見ても中国です。一方で、庶民の家の素朴なレンガのあの色は沖縄の色っていうイメージがありました。このレンガ、実は沖縄で取れる粘土だとこの色になるようです。伊計島には、仲原遺跡という縄文時代の村の遺跡があり、竪穴式住居がありますが、壁は関東のものとは違い、石積みで、あの素朴なレンガ色の石も混ざってでできていました。縄文人が住んでいたんだなあと実感してしまいました。
そして、琉球国に明の息がかかっていたのは、歴史を少し調べれば明らかです。
阿麻和利さんの一連の戦いは、琉球という仮面をかぶった中国を抑え、沖縄を守るために戦ったというのが、真実ではなかったかと思うのです。
というのも、徳川幕府になった瞬間に、薩摩藩が琉球を攻めてきて、中城城の御佐丸の子孫は薩摩藩の配下に落ちますし、琉球国も琉球藩に名前を変えます。さらに時代がすすみ、明治政府は琉球処分を断行し、廃藩置県で沖縄県が置かれるのです。一貫して、日本の領土であることを軸に、本土(宮古島のお年寄りはヤマトの人たちって言うんです)から応援が来る歴史が繰り返されます。
そもそも、沖縄の人たちは、日本系なのかを調べると、wiki「琉球」に答えがありました。以下引用します。
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近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されており、遺伝子研究では、沖縄県民は遺伝子的に中国人や台湾人とはとても遠く、九州以北の本土住民と近く、同じ祖先を持つという研究結果も複数出ているということです。
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あー安心しました。沖縄県の人はほとんどが日本人なのです。まあ、竪穴式住居があるのですから、縄文時代から日本人が住んでいたのは確かなのです。
旅行に話を戻しましょう。
この日は勝連城からの帰りしなに、主人が車のハンドル握っていたのですが、「浜比嘉島(写真イ、ウ)に行ってみよう」と、突然、言い出したのです。私も子供も、その島は調べてないし、もう早く帰りたいなと思っていたのです。でも、「パパが言うならば」ということになり、浜比嘉島に行きました。
私は、スマホで明後日のシュノーケルツアーの申し込みをせっせとやっていたら、気づかないうちに、道が狭くて大変なことになっていました。主人がしきりと私に「シルミチューという看板があるのだけれど、シルミチューって何?」って聞くので、「塩工場かなんかじゃない?」って、適当に答えていたのですが、何度も聞くので、手の中にあるスマホで調べたらパワースポットで神社だと出てきました。
もう、迷ったに近いから、神社にお参りして観光スポットに行ったという既成事実を作ったなら、ホテルに帰ってくれるだろうと思い、狭い道をシルミチューに向かって車を進めてもらいました。
ようやく、シルミチューの駐車場に着いたら、きれいな浜辺があってそこで2~3家族が遊んでいましたので、「明日はここにきて泳ごうかな?」なんて言いながら、神社にお参りするために進んで行きました。しかし、なんとまあ、行き着いた先は、洞窟なんです。そこに、御賽銭箱や神社らしきお飾りがあり、金網を張ってあって、お手入れはきちんとされているのですが、洞窟なのです。説明文には、シルミチューとアマミチューは沖縄の祖神で、夫婦です。この洞窟には、シルミチューがお住まいだということが書いてありました。「うわー現在形で住んでらっしゃる。」とすぐに感じて、ちょっと怖くなって、襟を正して家族揃ってお参りいたしました。お賽銭もちゃんと入れました。そして、駐車場まできて、最後に一礼して、車を発車させました。この時点では、どちらが男神様で、どちらが女神様かな?不明のままでした(笑)。
車を走らせていると、次は“アマミチューの墓”なる道標が出てきたのです。男神様、女神様の謎を解くべく行ってみると、しめなわが張ってあるお手入れのされた海辺の大きな岩でした。そこで、シルミチューさんが男神様、アマミチューさんが女神様であることが判明してホッとしました。私のサニワですが、シルミチューさんは現在進行形で、洞窟に住んでらっしゃるのに、アマミチューさんは、お墓があるので、お亡くなりになっている模様なのです。アマミチュウーさんは輪廻転生のサイクルに入ってらっしゃるのでしょう。ここでも、きちんとお参りして帰りました。シルミチューさんは大好きなアマミチューさんのお墓を近くにこしらえて、いつもあの洞窟からお墓を守っているんだなと思いました。
そのあと、浜比嘉島の地図(写真ウ)を眺めている時に、地名を見て、勝連浜とか勝連比嘉とかいう地名があるのに気付きました。そこで、ハタと、阿麻和利さんってシルミチューさんの御化身で、阿麻和利のアマは大好きなアマミチューさんからもらった音なんだなぁって思い至りました。アマミチューさんも、いつもシルミチューさんが近くにいてくれるので、安心して輪廻転生のサイクルでがんばってらっしゃるのかななんて感じました。
最後にその他で遊んだところをご紹介します。
伊計ビーチも有料ですが、テントを借りてのんびり1日遊ぶことができましたし、またビーチの食堂が、安価で、ザ沖縄料理的で、なかなかいけていました。ただ、泳げる場所が小さいのですが、そのかわりとても安全です。
青の洞窟は台風で行けず、近場のシュノーケルでした。
伊計城跡探索は、ネットでは干潮時に海からアクセスするなどの情報がありましたが、記事内容では場所がよくわからなかったので、現地ホテルで問い合わせてみました。以下がその回答です。今後行きたい方は、参考になさってください。
“海からのアクセスはわからないけれど、伊計ビーチと伊計島トンネルの間の山側に山道があるので、そこを登って行けば、潮の満ち引きに関係なく、行けます。ただ、道が整備されておらず、ハブが出て危険だからお止めください。”
とのことでした。
AJ伊計島リゾートに泊まったら、ホテルのビーチもなかなかグッドだと思います。プライベートビーチのようでした。
こんな感じで、大体は海水浴三昧だったのですが、三線も初めて弾けてとても楽しかったです。
最後の日に、北谷の夕日を見に行ったら、米兵の白人さんばかりでびっくりしました。美味しいものを食べたいというので、ピザ、パスタとハンバーグの店に入ったら、お店もほとんど米軍関係者でした。誰一人、スマホをいじっておらず、とても人間味あふれるディナータイムを過ごしている人たちばかりでした。私は、アメリカ人ってこんなに落ち着いているのかな?と不可解に思いましたが、海外赴任してそこそこのレストランで家族と夕食を過ごすような人たちは落ち着いている人も多いんだなということを発見しました。私の身の回りの日本人や私の方が、がさつかなと反省しました。「最後に、沖縄旅行なのにアメリカで夕食をとったね。」と、家族で笑いながら帰りました。