日本にいる朝鮮人の方々、全てをチョンと称して、悪党民族だと思っていません。
ただ、日本という国は、日本に来ている外国人が、きちんと頑張って日本の社会に沿って仕事をしていたら、それなりの地位と収入は保証している国だとも実感しています。
数名の外国人と仕事をして感じたのですが、日本人女性の私より遥かに地位もよく、もらえる仕事も、もらえるお給料も良かったと思います。ただし、私にも紳士な対応を取ってくださったので、別に私も、自分よりも社会的に優遇されている彼らを妬ましく思ったことはありません。仕事をしていても、男女の体力差には、どうにもかなわないとも思いました。
だから、朝鮮人だって、きちんと日本の社会に沿って働いていたら、そんなにひどい暮らしにならない国かなぁとも思っています。特に、生まれた時から日本に住んでいて、親も自分もちゃんと日本の社会の風気に沿っていたら、女性が働いて一人で食べていくよりは、はるかに沢山のお給料がもらえるんだなと思っています。
それを考えると、野中広務氏の近くにいた朝鮮人はチョンだったのでしょう、きっと。
だから、彼らは、
日本の風気を乱す→日本人から嫌われ相手にされず→仕事もなく→お金がもらえない→生活が苦しい
っていうサイクルに入ったのだと思います。
野中広務氏は、そのサイクルの人たちを助けたのではなく、利用したのかな?と思っています。
断じて言いますが、日本はそこそこ真面目な外国人に冷たくないのです。実は、私はもっと厳しくしても良いのかなと思っていますが、あまり言うと、「トランプ大統領みたいだな。」って、主人に言われるので、これ以上は言いません。しかし、本当に真面目に働いている外国人もいるのは事実です。
チョンってのは、日本の風気を乱し、怠け者で、意地悪、欲張りな人を指すのです。遺伝子は強いかもしれませんが、必ずしも朝鮮人全てがチョンというわけではないのです。
それと、朝鮮人チョンは、必ず日本名を持って、正体を隠して学校などに潜入しています。そこも見分けるポイントかと。異常に韓国アイドルが好き、とか、異常に韓国旅行にこだわる割には、日本名の人は、結構、怪しいですよ!!!
2018年1月30日火曜日
2018年1月19日金曜日
モーツァルト ロンド ニ長調 k.485
モーツァルト ロンド ニ長調 k.485
この曲、子どもが弾いているのですが、勉強も忙しくなかなか上手くなりません。
ピアノが弾けない私でも、子どもが弾いているこの曲が聞こえてくるたびに、気持ち悪くて仕方ありません。グルグルテンポが揺れるのです。
(続きはこちらを読んでください。)
音階、半音階、しかも三連譜の音階も混ざっているので、難しい曲(上級1)ではあるのです。こんな演奏を発表会で人様には聞かせられないなと思い、仕方なく、勇気を出して譜面を見せてもらって、Youtubeで曲全体の模範演奏と譜面を照らし合わせました。
まあ、なんと難しい!一度では、譜面が追えず、何度も聴いてみました。
綺麗なのですが、「特徴のない曲だな〜、どうやって演出したら聞きに来てくださった方々が喜んで聴いてくれるかな?」って、大人の頭で考えていました。
初めに出て来た言葉は、「澄んだ小川の流れのように弾いてください。水量などはその人自身のお好みで。」でした。ちなみに、その時とっさに、水量がある程度ある方がいいと私は感じました。
これをクリアするためには、相当な技術レベルが要求されるので、今の私の子どもでは全然ダメなのですが、「とにかくメトロノームを使って一定テンポで弾けるのが第一弾だね」って伝えました。間に合うか非常に心配ですが、若い子は、やることが早いので、それに賭けましょうって感じです。
しかし、You tubeやi-tuneストアで入手したものは、皆、技術的に上手なのですが、なんか曲に個性がないために、上手な人たちが弾いても盛り上がらないのです…。
この曲は、モーツァルトが、1786年に、シャルロッテ・フォン・ヴュルベン嬢のために作曲したらしいのですが、“その女性にどういう思いを込めて作ってあげたのか”から探ろうと思いました。
しかし、本当にオンビジネスで曲を献上しただけのようで、大した逸話のありませんでした。「だから、こんなに綺麗だけれど特徴がないのかな?」って感じて、いよいよ、悩んでしまいました。ただ、モーツァルトですから、お金目的の仕事って言っても、この曲を生み出すなんらかの目的があったはずなのです。
そしてようやく、昨日、辿り着いたのが、奏者の音を出す技術だけでなく心のありようが全て出る曲だということだったのです。だから、技術があってもその人となりに魅力がないと聴衆は惹きつけられないし、技術がない人が誤魔化し演奏できるレベルでもないし、と言うことがわかりました。
「だから、ベートーベンにしたら?って言ったのよ」と思いつつ、発表会が終わるまで、頭がいたい日々になりそうです。
この曲に挑戦する方には、多分参考になると思いますので、自分の備忘録を兼ねて記しました。技術を向上させるには、いい曲だと思いますし、弾いている本人は楽しそうです。ですから、発展中の方が弾くには良い曲だと思います。
最後に、全然違う演奏を2つ載せます。初めの方が、私は好きですが、テンポもさほど速くなく、ミスタッチも多いです。ただ、心に残ります。2番目の曲は、研ぎ澄まされた技術と若いエネルギッシュな感じがよく出ています。ただ、闘争的な感じもして、少し落ち着かない感じです。しかし、技術はすごいと思います。
こんな感じで、弾いている方の個性が出やすい曲(曲自体に個性が少ないので)ですから、この年齢、あの年齢で弾いて、変わったなって楽しめる曲だとも思います。
https://www.youtube.com/watch?v=LJjiRnEsP6k
https://www.youtube.com/watch?v=FAciOXsCktU
この曲、子どもが弾いているのですが、勉強も忙しくなかなか上手くなりません。
ピアノが弾けない私でも、子どもが弾いているこの曲が聞こえてくるたびに、気持ち悪くて仕方ありません。グルグルテンポが揺れるのです。
(続きはこちらを読んでください。)
音階、半音階、しかも三連譜の音階も混ざっているので、難しい曲(上級1)ではあるのです。こんな演奏を発表会で人様には聞かせられないなと思い、仕方なく、勇気を出して譜面を見せてもらって、Youtubeで曲全体の模範演奏と譜面を照らし合わせました。
まあ、なんと難しい!一度では、譜面が追えず、何度も聴いてみました。
綺麗なのですが、「特徴のない曲だな〜、どうやって演出したら聞きに来てくださった方々が喜んで聴いてくれるかな?」って、大人の頭で考えていました。
初めに出て来た言葉は、「澄んだ小川の流れのように弾いてください。水量などはその人自身のお好みで。」でした。ちなみに、その時とっさに、水量がある程度ある方がいいと私は感じました。
これをクリアするためには、相当な技術レベルが要求されるので、今の私の子どもでは全然ダメなのですが、「とにかくメトロノームを使って一定テンポで弾けるのが第一弾だね」って伝えました。間に合うか非常に心配ですが、若い子は、やることが早いので、それに賭けましょうって感じです。
しかし、You tubeやi-tuneストアで入手したものは、皆、技術的に上手なのですが、なんか曲に個性がないために、上手な人たちが弾いても盛り上がらないのです…。
この曲は、モーツァルトが、1786年に、シャルロッテ・フォン・ヴュルベン嬢のために作曲したらしいのですが、“その女性にどういう思いを込めて作ってあげたのか”から探ろうと思いました。
しかし、本当にオンビジネスで曲を献上しただけのようで、大した逸話のありませんでした。「だから、こんなに綺麗だけれど特徴がないのかな?」って感じて、いよいよ、悩んでしまいました。ただ、モーツァルトですから、お金目的の仕事って言っても、この曲を生み出すなんらかの目的があったはずなのです。
そしてようやく、昨日、辿り着いたのが、奏者の音を出す技術だけでなく心のありようが全て出る曲だということだったのです。だから、技術があってもその人となりに魅力がないと聴衆は惹きつけられないし、技術がない人が誤魔化し演奏できるレベルでもないし、と言うことがわかりました。
「だから、ベートーベンにしたら?って言ったのよ」と思いつつ、発表会が終わるまで、頭がいたい日々になりそうです。
この曲に挑戦する方には、多分参考になると思いますので、自分の備忘録を兼ねて記しました。技術を向上させるには、いい曲だと思いますし、弾いている本人は楽しそうです。ですから、発展中の方が弾くには良い曲だと思います。
最後に、全然違う演奏を2つ載せます。初めの方が、私は好きですが、テンポもさほど速くなく、ミスタッチも多いです。ただ、心に残ります。2番目の曲は、研ぎ澄まされた技術と若いエネルギッシュな感じがよく出ています。ただ、闘争的な感じもして、少し落ち着かない感じです。しかし、技術はすごいと思います。
こんな感じで、弾いている方の個性が出やすい曲(曲自体に個性が少ないので)ですから、この年齢、あの年齢で弾いて、変わったなって楽しめる曲だとも思います。
https://www.youtube.com/watch?v=LJjiRnEsP6k
https://www.youtube.com/watch?v=FAciOXsCktU
2018年1月17日水曜日
アーラブァカという神霊(ブッダのことば 蛇の章10)
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■□■<10、アーラブァカという神霊>■□■
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わたしか聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はア−ラヴィー国のアーラヴァカという神霊(夜叉)の住居に住みたもうた。そのときアーラヴァカ神霊は師のいるところに近づいて、
師にいった、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出てきた。
(また神霊はいった)、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって、師は入った。
ふたたびアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出て行った。
(また神霊はいった)、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。三たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。よろしい、友よ」といって師は出てきた。
(また神霊はいった)、「道の人よ。入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。
四たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。
(師は答えた)、「では、わたしはもう出て行きません、汝のなすべきことをなさい」と。
(神霊がいった)、「道の人よ、わたしは汝に質問しよう。もしも汝がわたしに解答できないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけよう。」
(師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで、わが心を乱し、わが心臓を裂き、わか両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけ得るような人を、実にわたしは見出さない。友よ。
汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。そこでアーラヴァカ神霊は、師に次の詩をもって呼びかけた。──
181 「この世で人間の最高の富は何であるか? いかなる善行が安楽をもたらすのか? 実に味の中での美味は何であるか? どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」
182 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」
183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか? いかにして海を渡るのであるか? いかにして苦しみを越えるのであろうか? いかにして全く清らかとなるのであるか?」
184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、知慧によって全く清らかとなる。」
この後は、ひどいので、考察する必要があります。参考程度に載せます。
185 「ひとはいかにして智慧を得るのであろうか? いかにして財を獲るのであるか? いかにして名声を得るのであるか? いかにして交友を結ぶのであるか? どうすれば、この世からかの世に赴いたときに憂いがないのであろうか?」
186 [師いわく、──]「諸々の尊敬さるべき人が(述べた)安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。
187 適宜に事をなし、忍耐づよく努力する者は財を得る。
誠実をつくして名声を得、
何ものかを与えて交友を結ぶ。
188 信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。
189 もしもこの世に誠実、自制、施与、耐え忍びよりもさらに勝れたものがあるならば、さあ、それら他のものをも広く<道の人>、バラモンどもに問え。」
190 [神霊いわく、──]「いまやわたしは、どうして道の人、バラモンどもに広く問う要がありましょうか。わたしは今日<来世のためになること>を覚り得たのですから。
191 ああ、目ざめた方がア−ラヴィーに住むためにおいでになったのは、実はわたくしのためをはかってのことだったのです。わたしは今日、何に施与すれば大いなる果報が得られるかということを知りました。
192 わたしは、村から村へ、町から町へめぐり歩こう、──覚った人を、また真理のすぐれた所以を、礼拝しつつ。」
■□■<10、アーラブァカという神霊>■□■
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わたしか聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はア−ラヴィー国のアーラヴァカという神霊(夜叉)の住居に住みたもうた。そのときアーラヴァカ神霊は師のいるところに近づいて、
師にいった、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出てきた。
(また神霊はいった)、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって、師は入った。
ふたたびアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出て行った。
(また神霊はいった)、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。三たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。よろしい、友よ」といって師は出てきた。
(また神霊はいった)、「道の人よ。入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。
四たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。
(師は答えた)、「では、わたしはもう出て行きません、汝のなすべきことをなさい」と。
(神霊がいった)、「道の人よ、わたしは汝に質問しよう。もしも汝がわたしに解答できないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけよう。」
(師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで、わが心を乱し、わが心臓を裂き、わか両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけ得るような人を、実にわたしは見出さない。友よ。
汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。そこでアーラヴァカ神霊は、師に次の詩をもって呼びかけた。──
181 「この世で人間の最高の富は何であるか? いかなる善行が安楽をもたらすのか? 実に味の中での美味は何であるか? どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」
182 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」
183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか? いかにして海を渡るのであるか? いかにして苦しみを越えるのであろうか? いかにして全く清らかとなるのであるか?」
184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、知慧によって全く清らかとなる。」
この後は、ひどいので、考察する必要があります。参考程度に載せます。
185 「ひとはいかにして智慧を得るのであろうか? いかにして財を獲るのであるか? いかにして名声を得るのであるか? いかにして交友を結ぶのであるか? どうすれば、この世からかの世に赴いたときに憂いがないのであろうか?」
186 [師いわく、──]「諸々の尊敬さるべき人が(述べた)安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。
187 適宜に事をなし、忍耐づよく努力する者は財を得る。
誠実をつくして名声を得、
何ものかを与えて交友を結ぶ。
188 信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。
189 もしもこの世に誠実、自制、施与、耐え忍びよりもさらに勝れたものがあるならば、さあ、それら他のものをも広く<道の人>、バラモンどもに問え。」
190 [神霊いわく、──]「いまやわたしは、どうして道の人、バラモンどもに広く問う要がありましょうか。わたしは今日<来世のためになること>を覚り得たのですから。
191 ああ、目ざめた方がア−ラヴィーに住むためにおいでになったのは、実はわたくしのためをはかってのことだったのです。わたしは今日、何に施与すれば大いなる果報が得られるかということを知りました。
192 わたしは、村から村へ、町から町へめぐり歩こう、──覚った人を、また真理のすぐれた所以を、礼拝しつつ。」
2018年1月6日土曜日
イザナギ尊の岩戸閉め
イザナギ尊が、イザナミ尊の岩戸閉めの後、スサノオ尊の助けも借りて、必死に地球を作り続け守ります。
地球に存在した人間や動物(妖怪たち)の生活を守るために、侵略系宇宙人をバッサバッサとやっつけます。私が思うに、はじめに地球を植物や動物たちを配置させて整えた後に、人間と妖怪を配置して共存させたんだと思います。そして、人間と妖怪が仲良く暮らしていたっていう説は本当なんだと思います。
これを、侵略系宇宙人たちは人間と妖怪の分離分断を図り、妖怪を手中に治めます。転生で、一定時間しか記憶がない地上の人間や妖怪たちに、世代が変わり忘却の彼方になった時に、何となく口伝や壁画で伝えられたイザナギ尊の侵略系宇宙人退治を、「アヌンナキが、人間を食べていた」と教えるのです。そして、アヌンナキが一人で悪者になったのです。
侵略系宇宙人は、輪廻転生外の存在で、記憶に連続性があります。きっと、プレアデス、シリウスの7、8次元の悪魔だという師匠の説は正しいかと思います。一方、人間は記憶が生死のタームで途切れるのです。そのため、口伝で知識を伝えて対抗しますが、イザナギ尊が男神一人で作れる限界が八までで、如何せん不完全なのです。
その後、彼は出雲大社と呼ばれる場所に封印されます。本人自ら、岩戸を閉めたと言った方が正しいと思います。それが、なんちゃってアマテラスの命で、部下のニニギ殿がサルを伴って国譲りを迫った時なのです。その当時、アマテラス尊の岩戸も閉まったままでしたからね。大体、あんな失礼な要求、普通に考えたら、侵略系がしてきたに決まっています。
もうちょっと、旧約聖書も日本神話も整合性を考えて作り変えればよかったのにな、って思うのです。ただ、整合性がなくなるように、元データをいじっただけなので、聖書や神話は洗脳が一番有効なのに、信憑性が低いために、これらによる洗脳が失敗になったと思います。その点では、大本教の出口王仁三郎(この人は、名前の通り、鬼系侵略者)は、多少、緻密だったかもしれません。ま、どんぐりの◯比べ程度ですが。ちなみに、大本教の信者歴35年というとても親切な方と話した時、彼は岡本天明氏を知らなかったです。日月神示と大本教は、あまり関係がなさそうです。安心しました。
地球に存在した人間や動物(妖怪たち)の生活を守るために、侵略系宇宙人をバッサバッサとやっつけます。私が思うに、はじめに地球を植物や動物たちを配置させて整えた後に、人間と妖怪を配置して共存させたんだと思います。そして、人間と妖怪が仲良く暮らしていたっていう説は本当なんだと思います。
これを、侵略系宇宙人たちは人間と妖怪の分離分断を図り、妖怪を手中に治めます。転生で、一定時間しか記憶がない地上の人間や妖怪たちに、世代が変わり忘却の彼方になった時に、何となく口伝や壁画で伝えられたイザナギ尊の侵略系宇宙人退治を、「アヌンナキが、人間を食べていた」と教えるのです。そして、アヌンナキが一人で悪者になったのです。
侵略系宇宙人は、輪廻転生外の存在で、記憶に連続性があります。きっと、プレアデス、シリウスの7、8次元の悪魔だという師匠の説は正しいかと思います。一方、人間は記憶が生死のタームで途切れるのです。そのため、口伝で知識を伝えて対抗しますが、イザナギ尊が男神一人で作れる限界が八までで、如何せん不完全なのです。
その後、彼は出雲大社と呼ばれる場所に封印されます。本人自ら、岩戸を閉めたと言った方が正しいと思います。それが、なんちゃってアマテラスの命で、部下のニニギ殿がサルを伴って国譲りを迫った時なのです。その当時、アマテラス尊の岩戸も閉まったままでしたからね。大体、あんな失礼な要求、普通に考えたら、侵略系がしてきたに決まっています。
もうちょっと、旧約聖書も日本神話も整合性を考えて作り変えればよかったのにな、って思うのです。ただ、整合性がなくなるように、元データをいじっただけなので、聖書や神話は洗脳が一番有効なのに、信憑性が低いために、これらによる洗脳が失敗になったと思います。その点では、大本教の出口王仁三郎(この人は、名前の通り、鬼系侵略者)は、多少、緻密だったかもしれません。ま、どんぐりの◯比べ程度ですが。ちなみに、大本教の信者歴35年というとても親切な方と話した時、彼は岡本天明氏を知らなかったです。日月神示と大本教は、あまり関係がなさそうです。安心しました。
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うわべだけの自由によって、(本当の)自由を粉砕することは、実に容易である。 本当にやるべき事は、人によってまちまちです。また、行うと決めたとき、それを追行するためには時間が必要です。それをやるかやらないかの個人の選択は自由です。ですから、憲法18条では、その自由の権利を守る...
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日本国憲法前文 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、 諸国民 との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここ...