2018年12月28日金曜日

奇妙奇天烈 摩訶不思議 奇想天外 四捨五入 出前迅速 落書無用

  1. 真理のことば F12章 ひと組ずつ
    F141  
     まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまっ た思いにとらわれて、ついに真実(まこと)に達しない。
  2. F142 
      まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しい思い にしたがって、ついに真実に達する。

    *********************
    靖国神社と皇居
     靖国神社の建設は1869年6月。明治維新(いっぱろっぱ〜)の翌年です。
     そうです、江戸城を皇室に取られた翌年です。しかも、場所は皇居のすぐ後ろです。
    靖国神社と皇居の位置関係
    徳川家が一生懸命建てた江戸城に乗り込み、無血開城だってさ!
    もう、笑っちゃうよ。本当の天皇一家が住んでいたお城が欲しくて仕方ないのです。
    でも、負けてはいない本家本元の神様は、江戸城が取られて、すぐ翌年に、剣を突き刺したように、江戸城の背面に靖国神社を建てました。こりゃすごいよ、びっくりだ!

    てな訳で、徳川家ではもうダメだったのは確かだったとは思うのですが、新時代に世界大戦へと日本国を誘うために、朝廷がしゃしゃり出てきます。

    その総決算が大東亜戦争ですよ。あっはっは!

    じゃあ、昭和天皇に関する私の師匠の古いツイートをご紹介します。



     新しい方のツイートは、色々と影が多いので、古いものにしたのです。

     要するに、今、皇居にいる天皇家には魔力があるようですが、人間宣言(大東亜戦争終了後)をしなければならないほど、魔力が弱まってしまったようです。これは、以前、私が大東亜戦争は三次元の世では日本が負けたけれど、もう一つ上の神界では日本が勝ったという情報を受け取ったことと相関がありそうです。魔力は時空を超えた力ですから、時空を超えた部分で、東京皇室の力が弱められたと考えたら、説明ができると思います。

     また、欧米諸国は大東亜戦争で、日本人全惨殺、壊滅が目的だったはずです。しかし、戦況優位なタイミングで、なぜ、連合国軍がポツダム宣言という降伏条件を打ち出す必要があったのかも不自然です。それも、一つ上の神界で決まった事柄なのでしょうね、きっと。

     魔力が弱まったといえども、昭和天皇にもまだ魔力があり危険だったので靖国神社の神様が短剣を付きてけている状態で生涯をまっとうしたようです。

     また、京都にいる裏天皇は、最近は、大阪都構想で暴れていますが、誰なのかはわかりません…。都にするか否かは、国家で考える問題で住民で決めるというのは、いささか常軌を逸していると思うのです。辺野古をやめさせようと躍起になる沖縄県民の一部みたいな。外部の市町村住民から見ると違和感満点です。政権は静観しているようですから、両者で何かしらの取り決めがあるのかもしれないですが。

     話を戻します。昭和天皇はアメリカ寄りだったのは間違いなく、その姿勢を貫いてくださったので(せざる終えなかったのですが、)、今の日米同盟があるわけです。しかし、これも絶対的に安心できる同盟ではないのかなと私は感じています。

     本当に地球の人間や生き物を守っているのは、靖国神社の神様(私はどの神様なのか何となくわかるのですが、三次元的には靖国神社自体は英霊が御祭神となってます。)なんですよ、多分。

     今年は、皇室礼賛のネット情報が飛び交いました。私は、今の皇室メンバーはどうにも好きになれませんので、遺憾だなと思っていました。彼らには、努力感、勤労感が全く感じられないから好きになれないのです。でも、まあ、私にも間違いがあるからなと観察していたのですが、やはり皇室礼賛に走った人たちは、とてもまともな意見を言っていても、ある時点で、何らかの力が働いてタガが外れ、とてもおかしなことを言い出すのです。治ったように見えるのですが、私にはそれがお芝居か本当なのか、残念ながらわかりません。やはり原因は現皇室礼賛ではないかと思うのです。そのメカニズムは、記事文頭で載せた“真理のことば F12章 ひと組ずつ 詩F141”です。

     しかし、逆に真理のことば F12章 ひと組ずつ 詩F142”を主眼に置くと、初詣で明治神宮や皇居で天皇一家を拝むことを避けて、靖国神社で地球の守り神を拝む方が、正しい方向へと導かれるのではないかと思った次第です。

     昭和天皇のことを一生懸命語っていらしたのですが、こういう結果になってしまって、ごめんなさい。語られたことを否定するのではなく、昭和天皇がその大東亜戦争後、靖国神社の守り神様の言いなりで動かれたことだけは、皆様にお伝えしたいと思いました。物事は多面的に捉えてください、自虐史だけを拠点に置くと、もっと大切なことが見えなくなりますよ。」と前田さんがおっしゃっています。

     私は、初詣は、家の近くの八幡様やお稲荷さんに行く予定です。靖国神社の神様、申し訳ありません。

     これで、仕事納めです。ちょっと怖い仕事でした。私、真理のことばの仕事が残っているのです。来年、元気で始められたら良いと思っています。あと少しで、私の仕事も終わりです。頑張れ!月夜!

2018年12月27日木曜日

ベンゼン環

 高校の部活で初めて貰った譜面が、ヘンデルのメサイヤ抜粋と先日ツイートしたアヴェ・マリアでした。

「顧問の先生って、こんなに良い曲を知っていてすごいな!」と思った曲たちです。

 実は、私は、この先生にとても可愛がっていただきました。でも、なかなか周囲の目が気になって、当時は素直に受け入れられず、三十代まで先生を良い印象で受け入れることができなかったのが心残りです。この際、先生に謝ります。ごめんなさい。とても素敵な音楽を教えてくださってありがとうございます。

 しかし、人の目よりも、もっと引っかかった点があります。それは、ベンゼン環の二重結合箇所の組み合わせが刻々と変わるように、先生の人柄が180度 変わるように見えて、とても怖かった所でした。とても信頼できると思うと、あっちゃっちゃみたいな…。

 そうした若い頃の何となく鬱積した暗い思いがアヴェ・マリアにたまってしまい、私の中ではアヴェ・マリアという曲全般を封殺していました。それは、購入したCDに入っているアヴェ・マリアはほとんど無視するまでに至りました。案外、沢山あるんですよ、これがまた嫌でした。

 今回、グレゴリオ聖歌を探していて、かなり引き気味にアヴェ・マリアを聞いたのが実際の所です。同時に、マリア様への封殺も解いた感じです。

 ベンゼン環的な人間の挙動も、子どもを産んで歳を取った分だけ図太さが加わり、耐性ができました。歳をとるというのも悪いことばかりではないと、自分で自分を励ましています。

 もう、良い曲を教えてくださった先生とは会えないと、お礼を言えなかったなと肩を落としていましたが、今となっては致し方なかったかなとも思います。若い自分には理解できなかったです。あちら様はずっと私を覚えていて転びそうになれば助けてくださいましたが、私は何も覚えていないのですから。

 これこそが、ベンゼン環の二重結合の性質を持つお方のやり方なのかもしれないです。私は人間なので、正攻法しかできないですが、これからもよろしくお願い申し上げます。

2018年12月20日木曜日

給食エクレア



下の子「今年最後の給食に、久しぶりにエクレアが出るんだ♫」

上の子「スカスカじゃね?」

私「でも、クリームが満タンに詰まっているエクレアって普通はないよね?」

下の子「スプレーチョコがかかっているんだよ。」

上の子「でも、スカスカだよね?」

私「エクレアって、普通、チョコレートがかけてあるんだよね?」

下の子「チョコレートの上にスプレーチョコがかかっているの。エクレアにクリームって入っていたっけ?」

(会話終了)

 やはり、給食のエクレアには、極めてクリームが少ないことが判明しました。

 でも、メリークリスマスで、学校側が出してくれる、大サービスのカラフルスプレーチョコ付きエクレア。それだけで、多くの子供は楽しみなようです。
 子どもたちへの粋な計らいには、いたみいります。欲を出せば「あとちょっとクリーム増量を。」ですが、予算の都合があるのでしょう。



2018年11月16日金曜日

日本の平和ボケ

 最近になって、ようやく太平洋戦争での、世界での日本のポジションがわかってきました。
 学校では、米軍がレーダーを使って飛行機を認識できるけれど、日本は闇雲に米空母に突っ込んでいったと話を聞いていました。日本が全く技術的に劣っていても、まぐれで日清、日露、第一次世界大戦と勝ったのに調子に乗って、太平洋戦争に突入して、国力と技術力で惨敗…。そういったストーリーでしたよ。今から考えれば、3回もまぐれで勝つはずはないですよね。ロシア革命は、多少 そう言ったところがあったかもしれないです。
 昔から、国力、技術的な差を考えずに突き進んだというところは、とても恥ずかしいとも思ったのです。
 でも、宮崎駿さんの「風立ちぬ」(飛行機の開発を軸にストーリーが進む映画)を見て、日本の技術力が、全く劣っていたどころか、当時一級だったと、知るようになったのです。そして、百田尚樹さんの著書(永遠の0、日本国紀)で、なるほど、日本は自分たちの技術力や国力をきちんと客観的に見て、取れ得る限りの方策をとっていたんだなと、とても安堵しました。

 はたまた、私が物理を勉強した時に、ほとんどの分野が日本語で参考書が出ているのです。ふざけた理屈をこね回した部分も多いですが、これは英語でも同じです。自国語で勉強できるのが当たり前だと思っていたのですが、実はこれが当たり前ではなかったのです。
 チェコとかは、力学からすでに英語で読むしかないのだそうです。だから、彼らは研究者として日本に就労できても、日本語なんて覚えません。自分は苦労して英語を習得したから、私たち日本人も英語で対応してくださいって態度丸出しで、全く日本語を覚える気がありません。こちらは、「日本に来て、日本の企業からお給料いただいて、さらに研究までさせてもらって教育までしてもらって、何言ってんだよ!」って喉元まで出てきます。でも、国のお客さんなので、飲み込みます。大学に来ている中国人にもこういう人いたな。でも、仲よかったですが。

 こういう姿勢だと、現場の技術員は白けちゃうというか、英語なんか話せないのです。しかし、実験装置いじって、実験を正確に行うのが彼らの仕事です。純粋に日本人が日本で就労するために、日本企業に雇われて、必要な教育をされて、真面目に就労しているのですから、英語なんて話せる必要もないのです。

 この人たちに、外国人研究者が例の英語攻撃を貫くと、敬遠されてしまい、ホワイトカラーで来ても結果なんか出せません。しかも、現場の人とうまくできないと、うじうじしだします。
 あいだに入るこちらは、だって、現場の人、悪くないよねって思って、バカヤロー状態です。

 つい、外国人労働者の話になってしまいました。まあ、とにかく受け入れでは日本語の習熟をきちんと見ないとダメですよ。間違いないです。

 それと、老人介護者のお給料を平均で倍にして、地位をあげて、日本人労働者を確保できるといいと思います。日本人のお世話は極力日本人でと思います。そう言った意味では保育士も同じですが、基本的に、保育所は、経済的、または家庭の事情で家庭で育てきれない子限定にして欲しいので(あっはっは、時代と逆行。)それがお母さんと子供の幸せです。

 科学、農業技術者・就労者は、日本から学ぶことの方が多いことになります、きっと。
 でも、日本も人口減少が著しい上に、技術の伝承も非常に課題です。そして、日本の技術が平和的に利用されるのは嬉しいことでもあります。ただ、
 もう少し世界平和が実現してからの方が良いのか?
 はたまたそれでは間に合わないのか?

悩ましいところです。
 東南アジア、中央アジアの人たちは、割合に善良ですが、白人や中国人、朝鮮人、イスラム教徒はやはりまだまだ警戒が必要そうに感じています。人種差別ではありません。

 日本国紀を読んで思うのは、日本は2000年を通して、若干右寄りの国なんです。個を大切にするから、個に対してかなりの責任を課すのと同時に自由を与える。責任から逃れられる平和が続くと平和ボケになるのは、自由が与えられているからかなって。
 左寄りには、歯車としての責任しかないけれど、あまり自由がないものね。(ため息)
 
 

2018年11月9日金曜日

比と割合

 http://tsukiyonoryu.seesaa.net/article/462643810.html?1541769674に、比と割合のPDFファイル版とMacに通常に付いているワープロソフトのPages版がダウンロードできます。
 ご興味のある方は、秋の夜長や、冬休みに親子で小学校の算数の復習に取り組んでみてください。できれば、お母さんがいいと思います。
 以下に、ファイルの導入部分を載せます。


比を学習し終えた小学校6年生と
そのお母さんのためのおさらいシート

 利用する皆様へ
 小学校6年生の算数で比を習い終えた後、これを使って、お母さんがお子さんと比を始めとして、割合、歩合、百分率の復習を、親子二人でやってみる事を目的に作りました。お子さんに声を出して読んでもらうのが基本で、進めるようにしましたが、文章が多いので疲れた時は、お母さんが読んであげて、また、お子さんが読むという形で、1日に45分で5日くらいでできるかなと思います。親子のコミュニケーションの機会と思って活用してくださったら嬉しいと思い、記事をアップします。

 これは、私が、そんなに算数が得意とか好きではない、我が子と学習した内容です。
 これで、テストの点数が取れるかどうかというよりも、算数の根っこを紹介して、子供達に
「数ってすごく面白い!算数って、面白い部分があるんだな。」
 という気持ちが育つと嬉しいと思いました。
 さらに、今の教育課程では教えきれない数の特性を考えながら学ぶことによって、小学校の算数では、数学へと駒を進めた時に役立つ考え方を身につけてもらいたいと、常々、思っています。
 これに関しては、比は基本的に単位がない無次元の数字なんです。パーセントや、割などは、これらが百分率や歩合ですよという記号のようなものです。でも、比は、体積や重さが出てきて、数値が多様です。このあたりをお子さんと考えると、結構面白く学習が進められるかなと思います。

 途中のかっこで囲まれた部分の解答は、付録 解答の最後に載せました。これを埋めながら、比を学び、割合、歩合、百分率のおさらいをしてください。

 教育関係者の方々へ
 本書では、比率という言葉の下に、割合、歩合、百分率と比がそれぞれ定義されているという設定をしました。一般的に、割合が、これら全てを総称してしまう傾向があります。私はそれが悪いとは思いませんが、子供の頭は、一つの言葉に色々な意味付けがされると、混乱が起きることがあり、それに伴って算数や数学が嫌いになるという人がかなりいると感じています。
 また、実は、習得順序についても、割合、歩合、百分率の前に、比の原理、配分の部分の習得をした方が、児童にとっては、とっつきやすいのではないかと常日頃感じています。
 ただ、割合、歩合、百分率は、日常生活の知識ですから、比と違い取りこぼしが許されないという圧力は感じています。
 ですが、割合が本質的な比率の量であるのは間違いないですが、比というのは、それに対して原始的で基本的な比率量だと感じています。まず、比率のとっかかりは、比で初めてみたらどうなるかな?という事を頭に置いて、これを書きました。

 決して、テストで点数を取るためのものではありません。

比と割合(ファイルのみ)

サブブログ月夜の龍文章 https://longtext.blogspot.com/2021/12/blog-post_16.html から転載、その際に文章とタイトルを変更(2021/12/16)

注)詳細はファイルを開いて読んでください。
PDFファイル
MacのPagesファイル

2018年10月31日水曜日

二度拭きします。

 ガラス拭き掃除、一年分をやると、初めの一拭きは、返ってガラスが汚れた感じがしますね。

 「真理のことば」も今はそんな感じです。すみません。

 でも、とても急いでいたのです。どれほど、伝統仏教にチリ汚れが付いていたか、知ってもらいたかったとのことです。

 ガラスも2度拭きすると、綺麗になってきますから、もう一ラウンド考察を行っていきます。

 今度は私の並び替えで仕上げしていこうと決意しました。これも、ゆっくりはしてられないようですが、第一ラウンドに比べると、だいぶ心にゆとりができそうです。
 第一ラウンドの途中で命が絶えなくてよかったと一安心していますが、もうひと頑張りしたいです。

 でも、そんなにチリ汚れが付いていた「真理のことば」でも、30代の私にとっては目から鱗で、本当にありがたかったんです。当時を思い出すと、懐かしいな。私、納得いかない詩は、無視できる性格だったんですね。私、いろいろな人にこの本を進めたのですが、良いとこ取りできない人は、皆、真理のことばに否定的な態度をとっていました。そして、私の周りで、この本がいいねといった人は誰一人いませんでした…。

 良いとこ取りは良くないと言われますが、こと教えに関しては、ご利益主義ではない良いとこ取りをしないといけないのですね。でも、日本人って、どうやら、良いとこ取りが苦手みたいなのですよね。

 私を仏教に誘ったのは、20代で入院した時に病院の売店で買ったひろさちやさんの本。
 さらに、仏教にのめり込んでいって、手塚治さんの漫画ブッダで、お釈迦様の一生のアウトラインを理解しました。
 手塚治さん、本当にあの漫画を完成させるのは大変だったと、今回のこの作業で痛感し、あらためてその偉大さに畏怖の念を感じずにはいられません。

2018年10月26日金曜日

LGBTの反論についての回答

QT. (その他小原美香子
返信先: @cncn1549さん
お金より命の危険の問題です。望まない性にどうしてもなじめず苦しんでいる人間に死ぬまで我慢を強いる事になり自殺を選んだり、もっと危険なのは法律で男女の定義が決まってるのに逆らう奴は違法だ。人間じゃない。殺してしまえという犯罪が起きることです。実際にLGBTに対する殺人が起きています。)

 この方、なぜ、見ず知らずの私に反論の返信を入れてくるのか、皆目見当がつきません。明らかに私の価値観とはかけ離れた価値観で生きている方なのしょう。きっと、意見が噛み合わないと思います。
 まず、お金に関しての価値観に天と地の開きがあります。私は極めて拝金主義から遠いとは思いますが、お金はこの世の困難をかなり手助けしてくれると考えていますから、非常に大切なものだと捉えています。ホモ、レズ、オカマ(以下LGBT)だって、普通の人だって、お金があればある程度は安心して楽しく暮らせるはずです。しかし、有り余るお金なんて、普通は持っちゃいないし、なんとか生活できて、蓄えちょっとみたいな感じだから、みんなそれなりに色々な不満や不安を抱えて生きているのが、私たち人間です。

 しかし、一方的にLGBTの権利ばかりを主張する人たちに放言させるわけにはいかないので、この読者の方々に私がLGBT偏重と感じる理由について、どうして私がそう思うのか、整理して記す必要な時だと思いますので、書かせていただきます。


1、実際にLGBTが理由で、法治国家の日本で殺害された人がいるのでしょうか?

2、日本では、イジメで自殺する人は多いですが、LGBTで自殺した人の数はそれより多いのでしょうか?そして、実際の数はいくらなのでしょうか?

3、日本では、リストラされて自殺する人は多いですが、LGBTで自殺した人の数はそれより多いのでしょうか?

4、また、LGBTが理由で殺害されたけれども、法治国家の日本やアメリカで、明らかな犯人が殺害相手がLGBTであったのだから、無罪になったという事例はあるのですか?

5、LGBTは、少数なのに要望が多すぎて、返ってメジャーな構成員を害していると感じるのです。トランプ大統領の今回の提案は戸籍上の性別を固定でしたよね。では戸籍上の性別を書き換えるだけで望まない性への我慢が解消されるのですか?



 私は、LGBTは、別に我々と同じこの世の構成人員だと思っていますし、だいたい普段の人間生活で、相手の性的嗜好なんか前提に置かずに付き合うでしょう。最終的にはその人の人柄が自分にとって問題ないとなれば、ホモ、レズ、オカマであろうが、普通の人であろうが関係ないのです。大方の日本人は、劣化が激しいですが、やっぱり優しいし細やかですから、きっと私のような考え方だと思います。
 構成比率の少ない人に比率以上の手間暇をかけないのが、国家というものです。日本はお金があるし、やさしいから少しその路線があやふやで、これはこれで良いことなのですが、一部の勘違い人が付け上がるのです。
 私自身は、だいぶやるようになったとは思いますが、イジメ問題をもっとガツンとやってよ!って思っています。
 きっと、話が噛み合わないであろう、不躾な小原美香子
@alen_bluebeeさんはブロックいたします。

2018年10月25日木曜日

今後の予定


 真理のことばの、読み取りと聞き取りが、一通り終わって、身体を休めたり、息抜きしたり、家事をしたりしています。
 しかし、まだ、真理のことばの編集作業の後半戦が残っているのは、肝に命じております。今後は、
 ・章番号の編成を考える
 ・誤字脱字等はなるべく直して、§詩一覧と§解釈の二章仕立てのファイルにする
 ・中村氏の詩番号と自分の詩番号の対応をとる表を作る
 ・ファイルのアップ場所を探す
に取り組む予定です。

 長ければ、数ヶ月くらいかかると思います。長い目で見てください。

 すでにアップしている部分は、大きな訂正を入れず、最終盤に訂正を入れていく形になりますので、よろしくお願いいたします。

 年末に向けて、ちょっと真面目に家事に取り組みたいと思います。
 子どもの勉強も小学校総仕上げをしたいと思っています。まずは、家庭科が手こずっているようですので、一緒に型紙と布に向かってみます。これで、子どもと過ごす時間もちょっと増えます。楽しみです。
 読もうと思っている本(政権奪取論etc.)も、付箋をしながらじっくり読み終えたいです。日本国紀も楽しみです。
 
 
 私のサイトは、どんな方が読んでくださっているのか、わからないのですが、応援してくださっている気は伝わってきているのです。ありがとうございます。この皆様からの温かいご恩は忘れないように、心に刻んで、残りの作業も細くとも続けていく所存です。 

 皆様も、年末に向けて忙しくなりますが、元気でお過ごしください。
        月夜の龍

一二三神示 アメの巻   第十二帖 (三四六)


一二三神示 アメの巻 第十二帖 (三四六)

http://hifumi.uresi.org/13.htmlさんより

 上面(うわっつら)洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、

 今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ。

 出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、

 神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは一のキであるぞ、気であるぞ。

 悪神は如何様にでも変化(へんげす)るから、悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、

 今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。

 未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから くどう申してゐるのざぞ、悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来るから気付けておくのざ。

 まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、妙な事 此の方がさしてゐるのざから、神の臣民 心配ないなれど、さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。

 天の様子も変りて来るぞ。何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、キリキリ気付けて下され、

 人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ、

 今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。

 これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、

 神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、世界は神の国、神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、

 世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。
 人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのさぞ、間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。

 十二月七日、七つ九のか三神示。

2018年10月7日日曜日

真理のことば 第24章 愛執 についての考察

書き増し記事を “第24章 愛執(1)(元データと判定・解釈・考察と書き換え)URL(https://newbuddhawords.blogspot.com/2018/10/blog-post_12.html)に載せます。
この記事において、内容の訂正箇所はありませんが、前出の記事の方が、内容が充実しておりますので、、こちらにたどり着いた方は、まずは、前出の記事をお読み下さい。
 愛執(あいしゅう)やこの章内で使われる愛欲というのは、仏教用語です。
 中村氏の真理のことばでは、愛執と愛欲は同じ意味で使われている場合もあり、そうでない場合もあり、全体としてはっきりしません。
 中村氏は、愛執と愛欲について、ご自身の定義をなさってないので、ここでは、まず愛欲という言葉を考察して、定義して、詩を整理しないとラチがあきません。愛執についても同様です。

 両者の意味を調べて再定義すると、
(1)愛欲とは、異性の愛情を求める欲
(2)愛執とは、様々な対象に対しての執着を愛する心
として問題がないようです。
 
 つまり、愛欲については、欲の一つと考えます。この考えのもと、詩335(*1)を読みくだしてみましょう。
 “此の世において執著(しゅうじゃく;執着で良いでしょう。)のもとであるこのうずく愛欲のなすがまま”と書いてあるのですが、愛欲とは執着(執心)を引き起こす元であるということです。しかし、今回定義した愛欲では、意味としては限定されすぎています。ですから、欲の総称として欲望と置き換えるのが適切です。

 複雑ですが、大切な部分ですので、もう少し、考えていきましょう。

 仏教では、五欲(ごよく)として、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲があります。他にもあるのでしょう。これらの欲は、この三次元の世界で、設定されているもので、執着を起こす側の人間には無くすことはできないのです。そして、これら全てをひっくるめて、欲と言っていると考えるのです。話が前後しますが、私は、五欲に愛欲を加えたほうが良いと思います。性欲だけだと足りないと感じるのです。特定の異性の愛を求めるのが愛欲、ひたすら性的な行為に惹かれる対象不特定の欲を性欲とします。だいぶ、すっきりしたと思います。

 他方、お釈迦様は、この世の中には激流が存在して、その激流と一緒に流れている無常のものに恋い焦がれて、精一杯追いかけるのが人間の心であるとしています。この激流に引っ張られる要因が、愛執、執着、執心なのです。また、実際には、愛執、執着、執心によって激流に一緒に流されているだけなのですが、その求めているものは、激流の中なので、なかなか掴めません。しかし、自分では激流の中で一生懸命追い求めている気になっているのです。激流とは、先ほど述べたすでに設定されている欲の数々で、すでに設定されているのです。しかし、どの欲の流れに流されるかは、その心の執着する癖によります(詩339)(*2)。食欲に弱い人もいれば、名誉欲に弱い人もいるっていうのが、現実ですから、この辺りはわかりやすいと思います。
 そして、さらに踏み込んで言ってしまえば、人間が恋い焦がれて追い求める“激流と一緒に流れている無常のもの”は、空であると認識することが、般若心経の教えです。

 以上の考察から、第24章は、タイトルを “愛執”から“執着と欲望”と変更し、愛執は、日本人にとって親しみのある執着を使います。


 最後に、自分が、この世の中で何かを一生懸命追いかけて苦しくなった時、実は自分は無駄なものを追いかけているのではないか?という疑問が起こる時が誰にだって何回かは経験があるはずです。そこが、択法の機会なのです。正しい教えを探し求めて、今までの自分の生活が正しい教えに沿っていたのかを考えなくてはならない時期なのです。そして、幸運にもそれを見つけたら、疑わずに、その教えに沿って努め励み、激流の中を自己の人生が正しい真理に従って進めるように、守護神の力を借りて、心と魂は一体となって、全力で舵を取らなければいけないのです。そして、順調に流れを進み続けていたとしても、ちょっとした考え違いで、また激流に流されてしまうと、お釈迦様は人間たちに教えてらっしゃいます。                (合掌)

(*1)この世において執著のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、もろもろの憂いが増大する。──雨が降ったあとにはビーラナ草がはびこるように。

(*2) 快いものに向って流れる三十六の激流があれば、その波浪は、悪しき見解をいだく人を漂わし去る。──その波浪とは貪欲にねざした想いである。

2018年10月4日木曜日

昨夜の夢

 昨夜は、地震のアラートで起きた後に、またすぐに寝たのですが、なんと、おもらしをする夢を見ました。
 しかも、明らかに小ではなく大…。
 さらに、出たものは半端ない量で、床一面が赤色でした。血かなと思いきや、よく見たら刻んであるトマト。
 とんでもない夢でしたが、お布団でのおもらしはなかったので安心しました。

後ろの正面、仏魔!後ろの正面、悪魔!

  
後ろの正面、仏魔!
後ろの正面、悪魔!

 法律上の義務は、人間としての最低ラインと知るべし。

 これをようやくクリアしているだけの人が、意外にも法律上の義務の最低限ラインをクリアしない人のことを見下しています。後ろの正面、悪魔!過ぎて、話にならないです。
 人間は、まずは家族ですが、それ以外でも血縁、親戚、世話になったご近所さんなら、困っていたら多少の無理をしてでも手を差し伸べるのが、人として生まれたからには最重要課題です。一応、ことわっておきますが、相手が困ったふりをしているだけの詐欺師や、大きな声で正論振りかざすアカには騙されないように注意しないといけませんし、ここもなかなか難しいのではありますが。でも、経緯を見れば大体は判断できると思います。
 特に血縁は、ご先祖様からしたら、どの人にも人間としての修行の場を与えた存在であって皆平等に愛情をかけているのです。そして、ご先祖様は、この世の中の価値基準での上下とは全く異なる価値基準で判断されます。なぜなら、あの世の高次元にいらっしゃるご先祖様によってなされる判断なのですから。
 少子高齢化で、移民の方々にお世話にならないといけない我々世代だと思います。結局は自治体や国の厄介になるのですが、心の部分は血縁がサポートするのも大切だなと思います。でも、必要最低限主義が横行して、汚ればかりが増大する血縁関係だと、心のサポートなんて無理なんだろうな。本当に恐ろしい時代になりました(汗)。


2018年9月17日月曜日

永作芳也さん

 永作芳也さん、とても素晴らしい御相好(人相)です。お優しさがにじみ出ていらっしゃいます。
 https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/03/nagasaku-legend-01_n_17665338.html

(続きはこちらです。)

 私は、将棋界も特に興味はなかったのですが、最近、羽生善二氏とか藤井聡太氏のお祭り騒ぎをよく聞きますよね。聞くにつれ、うさん臭さ爆裂でした。お二方とも、相好が好きになれないのです。
 羽生氏も藤井氏も努力があって強いのでしょうが。そして、彼らが左うちわであの地位を手に入れているはずはないのです。でも、将棋界が青写真を持っていて、その一つのコマがプロ選手で、彼らだって、そのコマの一つと考えるのが妥当だという結論しか得られません。そして、それが名人というコマなのかもしれないです。

 私も、若い頃は夢中になって取り組んだことがあります。業界の青写真なんて、全く気付かずに、一心不乱に、まるで何かに取り憑かれたようでした。だから、永作芳也さんの気持ちがわかるような気がします。私みたいな変な人、いないよなって、ちょっと自分の嫌いなところでもあったから。レベルが違うにしても、名人にならなくとも、永作さんなら、上位コマで生活することは可能だったはずですよ。

 永作さん自身がどうお考えになったかわかりませんが、自分の場合を当てはめて考えてみると、

 自分がその団体(マトリックス;青写真)に収まりきれないと感じたら?
 それが、人間的欠陥なのか?それとも常軌の範囲なのか?

苦しい思索が続いたと、私は勝手に想像しています。


 もちろん、さほど努力せず妥協に次ぐ妥協で生活を送った人たちは、成功した人は、みんな素晴らしい才能と努力をしたのであって、自分とは違うという認識で、普通に人生を終えるでしょう。
 しかし、長い人生、それで平穏に終われないのが世の常ですから、それで終わる人は結構少ないと思います。そして、人間ある程度真面目に物事に向き合うと、世の中には、生まれつき成功を約束された人種がいるということを知ってしまいます。

 それを世の中こんなものだと受け入れることが、常識的に生きることであると洗脳された人たちが高収入を得て、それに対してNoといった人は、下層に置かれるか、そのマトリックスからはじかれるのです。そして、下層やマトリクスから外された人たちを見て、前者の一部の人たちは、安心したりします。

 永作芳也さん、スタートが遅くてもあそこまで、上り詰めるのですから、尋常な人ではないのでしょう。だから、将棋界のコマとして生きることから、全力疾走でお逃げになった気がしてならないのです。自分が発揮した力の出所がわかったらっしゃたのではないかなと思うのです。それを、人類にとって不利になる力として利用するわけにはいかなかった、そんなことを私はなんとなく感じています。でも、この方の打った将棋は、現在の将棋界にとって、ものすごい礎になっていることだと思います。
 私、将棋も囲碁もまったくわかりませんが、永作芳也さんが今度は別の種をまかれてだしていらっしゃるので、それが育つのを楽しみにしております。

2018年9月7日金曜日

神仏分離と廃仏毀釈


訂正履歴
赤字)20180907
青字)20180910

 廃仏毀釈をご存知でしょうか?私は恥ずかしながら、ネットで師匠のツイッターに行き着いて、師匠のお友達の梵字さん(仮)が、とても熱心にツイートにこの言葉をあげているので、初めて知りました。てな訳で、3年半ぐらい前に、人生で初めて知った言葉だったのです。廃仏毀釈がわからない人は、https://kotobank.jp/word/廃仏毀釈-113085さんを参考してください。

 明治政府が行ったのは廃仏毀釈ではなく、正式には神仏分離です。私は仏教徒ですから、神仏分離は当たり前、廃仏毀釈と言われると、そんなに仏さんを足蹴にしなくてといいのにと思うのです。
 神仏分離と廃仏毀釈、両者がどうして混同して使われるのか、不可解でしたが、よくわからないので、とりあえず保留していました。
 また、真理のことばを再開して読んでいるのですが、以前より仕込まれている仏魔に対する感度が良くなり、読むのもつらいほどです。書き換えの作業も、あと少しですが、気が重く進みません。自分が仏教徒でなければ、お釈迦様の悪口も言っているかもしれないと思います(汗)。

 神道と仏教は、神道の日本人が仏教を取り入れたので、日本国内では、たいていの場合、両者はとても仲良く存在していると思うのです。大体、神社仏閣街と言われるようにセットで祀られています。
 ただ、仏教にも悪いところが多々あるので、悪口を言う人に、そういう面もあるって、良く解っているから、売り言葉に買い言葉してしまう気持ちにもなれなくてなんて日々が10年以上続きました。そんな時に、仏教の悪い部分が仏魔であると師匠に教えてもらって、さらに自分がそれを検知するにあたり、神社とお寺を一緒にすると、お寺に潜む仏魔が神社を攻撃したり入り込んだりするなと心配が付いて回るようになりました。私の感じた心配応急処置しようとしたら、明治政府がとった神仏分離であったとになるのではないかと思います。

 廃仏毀釈という強い言葉は、明治政府は使わなかったのです。仏魔を教えてくださった師匠(神道の方)、それでも、お釈迦様に対して、支持を表明なさったのです。さらに、日本の神様の方は、仏様に対して敵対なさってないと私は感じます。廃仏毀釈という強い言葉は、政府とは関係のない宗教界の関係者によって使われ体現された活動(プロレス)です。

 このプロレス活動によって、彼らは、お釈迦様やその教えを日本からなきものにしようとしていたのでしょう。お釈迦様のきちんとした教えは、人類にとって宝だと思うのです。それで、私は真理のことばの新解釈を始めたのですから。だから、廃仏毀釈ではなく、廃仏魔毀魔経なのです。
 来週から、復活の第1番手は、第8章 千という数にちなんで  です。自分の名前に使われている字があるので、元気出していこうと思っています。第23章 象 です。


(追伸)
 実は、私を命名した曾お爺ちゃんは、非常に熱心な天理教信者でした。何年も温めていた名前を私に付けてくださったようです。占いが得意だったようで、生年月日と名前の相性で、付ける名前を決めていたそうです。
 そして、祖父母も天理教の熱心な信者でしたから、私は小学校に入る前に天理教のお勤めバス旅行に和歌山まで連れて行ってもらっています。両親は行きませんでしたが、祖父母が連れて行ってくれると聞いて、だいぶ前から楽しみで仕方なくワクワクしていたという記憶があります。お勤めの日々が過ぎ、いざレクの日になり、みんなで海水浴という日にお腹が下ってしまい、一人で天理教の道場で寝かされていました。ご一緒した皆さんにかなり迷惑をかけてしまいましたが、一番楽しみにしていた海水浴に自分一人だけ行けなかったのも恨めしかったです。
 祖父母が亡くなってからは、天理教とは縁が遠くなってしまい、自分は勧誘も受けたことがないです。最近知ったのですが、天理教って神道なんですね。私に神道の気配があったなんて、驚き 桃の木 山椒の木です。

2018年9月4日火曜日

2018年夏の沖縄旅行;阿麻和利さんとシルミチューさん&アマミチューさん

 今年の夏は、沖縄本島伊計島近辺 地図 ア)に旅行に行くことができました。
 石垣島を狙っていたのですが、予算と日程の制約があって、沖縄本島になりました。離島は、多少お値段が張るので、学生がいる夏休み限定旅行しかできない我々には厳しです。
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ア)1段目地図 沖縄本島全体図と旅行先(赤丸)http://www.geocities.jp/cnkrs800/tsuken.html  さんより
イ)2段目地図 アの赤丸の拡大図(グーグルマップより)
ウ)3段目地図 浜比嘉島の地図(シルミチューとアマミチュー)
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 今夏は猛暑でしたし、沖縄のビーチですから一日中海水浴も厳しいしと、私は多少後ろ向きでした。とはいえ、子供たちも楽しみにしているので、みんなで色々と調べてました。シーサー作り、青の洞窟のシュノーケル、三線体験、キャンドル作り、伊計ビーチでの海水浴、伊計城跡探索など。そして、最後に主人が、「世界遺産の勝連城址に行きたい。」と提案してくれたので、行程にくりこみました。

 
 


  この勝連城址見学が思いの外、素晴らしかったです(前述写真)。
 お城だけあって、ここを治めた豪族の防衛線ですから、海から街から全部を見渡せるのです。城跡を上の方まで登っていくと、街中の火事も一目瞭然だし、海からの侵略にも備えていたんだなと感じずにはいられませんでした(とはいえ、大陸とは反対方向の岸ですが。)。
 ここを治めた、偉大かつ最後の城主が阿麻和利さん(以下にhttp://art.jcc-okinawa.net/rekishi/amawari/さんの転載を貼ります。)と言う方だそうです。この方、琉球国にとても逆らったようです。城下の人たちからは人望も厚く、さらに、かなりぶっちぎりで戦に強かったようです。海岸線に沿った道路の壁に描かれた子供達の絵には、圧倒的に阿麻和利さんの絵が多かったです。もちろん土地柄ですが、相当人気がおありだと思いました。


 勝連城、何が気に入ったかというと、とにかく見晴らし、そして、気が良いのです。正直言って、こんな良いところが沖縄本島にあるの?って思ったのです。そうしたら、この阿麻和利さん、琉球に敗れた戦い(1458年)で死体が上がらなかったのか、“北谷に逃げたという伝説がある”と書かれているではないですか?!「こりゃ、ジェダイだわ、きっとまだ生きてらっしゃるのでしょう。勝連城跡に阿麻和利さんの気が立ち込めていて、私が良いと感じる気なんだな。」なんて思いました。

 沖縄本島の歴史の中で、勝連城跡はどの位置にあるのか調べてみました。
 沖縄本島は、北部・中部・南部 (国頭・中頭・島尻)の三つの地域に区分されて、勝連城は中部にある豪族のお城でした。当時、中部には有力な豪族が二つ、勝連城と中城城でした。中城城の御佐丸は阿麻和利さんに退治されましたが、御佐丸は和名で、唐名は毛国鼎(もうこくてい)、さらに中国の指令下にある琉球とツウツウだったようです。どうやら、大和民族ではなかったみたいで、大和民族の阿麻和利さんが叩いたのでしょう。
 琉球って、なんだか中国の雰囲気がして、日本じゃないみたいと感じていました。他方、沖縄といえば、日本って感じがします。あの派手で気色悪い琉球国の首里城、どう見ても中国です。一方で、庶民の家の素朴なレンガのあの色は沖縄の色っていうイメージがありました。このレンガ、実は沖縄で取れる粘土だとこの色になるようです。伊計島には、仲原遺跡という縄文時代の村の遺跡があり、竪穴式住居がありますが、壁は関東のものとは違い、石積みで、あの素朴なレンガ色の石も混ざってでできていました。縄文人が住んでいたんだなあと実感してしまいました。そして、琉球国に明の息がかかっていたのは、歴史を少し調べれば明らかです。
仲原遺跡 https://www.odnsym.com/spot/nakaharaiseki.html さんより

 阿麻和利さんの一連の戦いは、琉球という仮面をかぶった中国を抑え、沖縄を守るために戦ったというのが、真実ではなかったかと思うのです。
 というのも、徳川幕府になった瞬間に、薩摩藩が琉球を攻めてきて、中城城の御佐丸の子孫は薩摩藩の配下に落ちますし、琉球国も琉球藩に名前を変えます。さらに時代がすすみ、明治政府は琉球処分を断行し、廃藩置県で沖縄県が置かれるのです。一貫して、日本の領土であることを軸に、本土(宮古島のお年寄りはヤマトの人たちって言うんです)から応援が来る歴史が繰り返されます。
 
 そもそも、沖縄の人たちは、日本系なのかを調べると、wiki「琉球」に答えがありました。以下引用します。
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 近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されており、遺伝子研究では、沖縄県民は遺伝子的に中国人や台湾人とはとても遠く、九州以北の本土住民と近く、同じ祖先を持つという研究結果も複数出ているということです。
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 あー安心しました。沖縄県の人はほとんどが日本人なのです。まあ、竪穴式住居があるのですから、縄文時代から日本人が住んでいたのは確かなのです。

 
 旅行に話を戻しましょう。
 この日は勝連城からの帰りしなに、主人が車のハンドル握っていたのですが、「浜比嘉島(写真イ、ウ)に行ってみよう」と、突然、言い出したのです。私も子供も、その島は調べてないし、もう早く帰りたいなと思っていたのです。でも、「パパが言うならば」ということになり、浜比嘉島に行きました。
 私は、スマホで明後日のシュノーケルツアーの申し込みをせっせとやっていたら、気づかないうちに、道が狭くて大変なことになっていました。主人がしきりと私に「シルミチューという看板があるのだけれど、シルミチューって何?」って聞くので、「塩工場かなんかじゃない?」って、適当に答えていたのですが、何度も聞くので、手の中にあるスマホで調べたらパワースポットで神社だと出てきました。
 もう、迷ったに近いから、神社にお参りして観光スポットに行ったという既成事実を作ったなら、ホテルに帰ってくれるだろうと思い、狭い道をシルミチューに向かって車を進めてもらいました。
 ようやく、シルミチューの駐車場に着いたら、きれいな浜辺があってそこで2~3家族が遊んでいましたので、「明日はここにきて泳ごうかな?」なんて言いながら、神社にお参りするために進んで行きました。しかし、なんとまあ、行き着いた先は、洞窟なんです。そこに、御賽銭箱や神社らしきお飾りがあり、金網を張ってあって、お手入れはきちんとされているのですが、洞窟なのです。説明文には、シルミチューとアマミチューは沖縄の祖神で、夫婦です。この洞窟には、シルミチューがお住まいだということが書いてありました。「うわー現在形で住んでらっしゃる。」とすぐに感じて、ちょっと怖くなって、襟を正して家族揃ってお参りいたしました。お賽銭もちゃんと入れました。そして、駐車場まできて、最後に一礼して、車を発車させました。この時点では、どちらが男神様で、どちらが女神様かな?不明のままでした(笑)。

 車を走らせていると、次は“アマミチューの墓”なる道標が出てきたのです。男神様、女神様の謎を解くべく行ってみると、しめなわが張ってあるお手入れのされた海辺の大きな岩でした。そこで、シルミチューさんが男神様、アマミチューさんが女神様であることが判明してホッとしました。私のサニワですが、シルミチューさんは現在進行形で、洞窟に住んでらっしゃるのに、アマミチューさんは、お墓があるので、お亡くなりになっている模様なのです。アマミチュウーさんは輪廻転生のサイクルに入ってらっしゃるのでしょう。ここでも、きちんとお参りして帰りました。シルミチューさんは大好きなアマミチューさんのお墓を近くにこしらえて、いつもあの洞窟からお墓を守っているんだなと思いました。
 そのあと、浜比嘉島の地図(写真ウ)を眺めている時に、地名を見て、勝連浜とか勝連比嘉とかいう地名があるのに気付きました。そこで、ハタと、阿麻和利さんってシルミチューさんの御化身で、阿麻和利のアマは大好きなアマミチューさんからもらった音なんだなぁって思い至りました。アマミチューさんも、いつもシルミチューさんが近くにいてくれるので、安心して輪廻転生のサイクルでがんばってらっしゃるのかななんて感じました。

 最後にその他で遊んだところをご紹介します。

 伊計ビーチも有料ですが、テントを借りてのんびり1日遊ぶことができましたし、またビーチの食堂が、安価で、ザ沖縄料理的で、なかなかいけていました。ただ、泳げる場所が小さいのですが、そのかわりとても安全です。

 青の洞窟は台風で行けず、近場のシュノーケルでした。

 伊計城跡探索は、ネットでは干潮時に海からアクセスするなどの情報がありましたが、記事内容では場所がよくわからなかったので、現地ホテルで問い合わせてみました。以下がその回答です。今後行きたい方は、参考になさってください。
 “海からのアクセスはわからないけれど、伊計ビーチと伊計島トンネルの間の山側に山道があるので、そこを登って行けば、潮の満ち引きに関係なく、行けます。ただ、道が整備されておらず、ハブが出て危険だからお止めください。”
 とのことでした。

 AJ伊計島リゾートに泊まったら、ホテルのビーチもなかなかグッドだと思います。プライベートビーチのようでした。

 こんな感じで、大体は海水浴三昧だったのですが、三線も初めて弾けてとても楽しかったです。

 最後の日に、北谷の夕日を見に行ったら、米兵の白人さんばかりでびっくりしました。美味しいものを食べたいというので、ピザ、パスタとハンバーグの店に入ったら、お店もほとんど米軍関係者でした。誰一人、スマホをいじっておらず、とても人間味あふれるディナータイムを過ごしている人たちばかりでした。私は、アメリカ人ってこんなに落ち着いているのかな?と不可解に思いましたが、海外赴任してそこそこのレストランで家族と夕食を過ごすような人たちは落ち着いている人も多いんだなということを発見しました。私の身の回りの日本人や私の方が、がさつかなと反省しました。「最後に、沖縄旅行なのにアメリカで夕食をとったね。」と、家族で笑いながら帰りました。

2018年8月23日木曜日

ピカドンという表現と原爆投下について


ピカドンという表現と原爆投下について

目的)

 広島、長崎の原爆は日本製地上爆弾だったという説に対する反論の根拠を考察する。

概要)

 広島、長崎の原爆は日本製地上爆弾だったという説が飛び交いました。さらに投下の指示は昭和天皇だったという話もネットでは出ています。
 地上爆弾だったかどうかについては、当時被曝なさった人たちの証言をもとに、
2018/8/22のツイート

で考察しましたが、これに対する補足を書き記そうと思っています。

上記の5つのツイートの文章を下記に記します。

①ピカドンのピカは空で光ったと証言があります。
爆風の範囲も考え、立体角を考慮すると、地上で爆発したということはなさそうです。
原爆は空で爆発しました。
さて、投下されたものか、打ち上げ式だったか?
打ち上げ式爆弾でそれらしいものがネットでヒットしないです。

②直感では、原爆は投下です。一般的にも投下ですよね!
日本製ではなく、アメリカ製。
あれは、日本の技術ではなく、宇宙の技術です!!!

③人体実験をしたと虎ノ門ニュースで百田先生が。
私は30歳前で、生物学専門の先生の講演を聞きに行った時、広島、長崎は人類最大の疫学調査って言っていました。当時、そんな捉え方しているんだ、たくさんの犠牲者が出ているのにと悲しく思った覚えがあります。

④ただ、その先生のお話はとても素晴らしかったです。
でも、一方で、その先生の話は、よく整理され、随分きちんと結果が出ている疫学調査だなって感心した覚えもあります。
始めからそのつもりだったんですね。その生物の先生ご自身には悪気はなかったようです(悲)。

⑤原爆投下が人体実験だったっていう噂は、私が子どもの頃はありました。「投下するのが白人(アメ公)だから、白人相手に落とすのは忍びなく、黄色人種のジャップで実験だったようだ」とね。
でも、ジャップこと日本人のデータが欲しかったのではなかったのかなと思う今日この頃です。

補足議論1)

 ①の打ち上げ式だったか?については、爆心地からかなり近い所でも、地響きや爆音が“ピカ”の前に観測されてないのです。ですから、打ち上げ式という線は消えます。

 さらに、爆風や閃光から考えて非常に可能性が低いのですが、地上爆破であったとした場合、地震が伴うと考えられますが、地震があったという記録がありません。

 したがって、広島、長崎の原爆は、投下されたものである可能性が非常に高いと結論づけられます。

補足議論2)

 ②の広島、長崎に投下された原爆は日本製ではなく、アメリカ製についてですが、原爆開発はマンハッタン計画(https://ja.wikipedia.org/wiki/マンハッタン計画の年表 参照)と呼ばれ、その開発に日本の影が一切見当たらないことがわかります。敗戦国であったドイツは初期の段階で、ナチスによって原爆の開発が進められていたことを暴露されていますが、日本の影が全く見えません。
 一方、原爆が日本製という論拠を示す文献は、ネットでは一切見当たりません。統括した組織名も出てきません。ただ、「原爆は日本製」とだけ書いてある文章が一人歩きしている、言った者勝ち状態です。
 以上から、広島、長崎に投下された原爆はマンハッタン計画により作製されたものである可能性が非常に高いと結論づけられます。

後記)

戦後70年を超えた頃から、死人に口無しということを良い事に、先の戦争に関するデマがハビコリ出している状況で、いちいち訂正するのも面倒ですが、この件に関しては、頑張って考察しました。
 昭和天皇に関しても、素晴らしかったという言葉だけが聞こえて来る昨今です。私は、この件に関しては、素晴らしかったのか否か?全く検証ができません。ただ、悪かったという感覚も、実のところはあまりないのです。ただ、記者会見(http://www.nicovideo.jp/watch/sm554496)の言葉狩りで批判されていますし、自分もそう思ったのです。国と国というマクロな考えを持たなければ、私のような発想になると思います。
 しかし、国のトップであれば、当時は日米の関係を悪化させないのが最重要課題で、日本が独立国として繁栄するためには米国のバックアップが必要だという当然の認識があったためのご発言だと今ではよくわかります。国民を沢山殺された悲しみと憤りで振るえる身体をこらえながら、噛み締めるように記者会見で原爆の意見を発していることがよくわかります。しかし、仕返しでは、米国市民や日本市民が無駄死にするだけだということを、先の大戦で身にしみてよくわかってらしたと感じるのです。この苦しい仇の米国との親善によって、日本市民のみならず米国市民を守りたかったのでしょう。その努力が、現在の日米の関係へと発展したのでしょう。
 次回はこの件に関して、私の調べたことと思うことを綴ります。いつくらいになるかなぁ、未定ではあります。

2018年8月15日水曜日

戦没者追悼

 今生天ちゃん&みっちゃんの批判を書くと、家の周りにゴミが投げ捨ててあったりするのです。そんな程度の魔力に抑えてくれている光の方々に日々感謝ですが、本当に、チンケな連中です。私にとっては、ちっともありがたくない今生天ちゃん&みっちゃんです。だいたい、高麗神社に参拝に行く天皇なんて、在日に決まっています(https://dot.asahi.com/wa/2017092700011.html?page=1)。いきなり私の本心をぶちまけてしまってすみません。

 最近、現行の天皇制の擁護ばかりで、今生天ちゃんを擁護する右寄りの(ふり?)輩が増えたと思います。しかし、いくら天ちゃんが祭祀に励んだとて、平成の世の転落っぷりはとどまるところを知らなかったのが現実です。実際に、勲章や宝石ジャラジャラつけてTVで儀式をやっているところを見ても、全く国民のためになってないと呆れるばかりです。
 さらに、自分で公務を執行するのが困難になったので譲位したいと言ったにもかかわらず、政府から示された譲位の時期も最も遅いタイミングを選び、駄々をこねているとしか思えないのです。米朝会談で、「核開発を放棄します。」と約束しながら、今になって核開発を続けると言った北朝鮮(高麗)の金正恩にそっくりです(さすが血縁)。

 しかし、私が“今生天ちゃんを擁護する右寄りのふりする輩”と思っている中には、天皇家を傷つけて、天皇制廃止まで議論が行き過ぎるのを避けている方々もいらっしゃることでしょう。その気持ちはよくわかります。私も一般人が言っていいのかわからないことを、今回はあえて書きます。まず、天皇の存在意義ですが、はっきり言って、現憲法で定められている天皇の役割が、全く一般市民には具体性がなく、遠い存在で、直接にありがたみが伝わってこないのです。
 これに対する答えが、以下に櫻井よしこ氏のオフィシャルサイト(https://yoshiko-sakurai.jp/2016/11/24/6598)にありましたので、引用します。
***引用開始****
天皇陛下のお仕事は現在、➀国事行為、➁公的行為、➂祭祀、➃私的行為に分類されている。長い伝統に基づけば、皇室本来のお務めで第一に来るべきは➂である。しかし連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、国民のために祈る最重要のお務めを私的行為と位置づけた。

その順位をいま、実質的に変えるのである。天皇のご日常を➂を最優先して、➂➀➁の順に組み替えればよい。憲法や皇室典範を持ち込む必要はないだろう。地方や海外への行幸啓の折も、陛下は多くの公式行事の合間を縫うようにして祭祀をなさっている。天皇陛下に祭祀のための時間的余裕を設けることで、祭祀を中心軸とするご日常が可能になるのではないか。
***引用終了****

次に、私が天ちゃんに持っている悪いイメージをまとめると、
・祭祀だって公開じゃないし(悪魔から意見を聞いている)、
・いつも皇居にこもっているし(庶民となんか一緒に居られるかというお気持ち)、
・こちらがとことん困っていたって助言をくれるのは「例のあのお方だし」(困らせている連中が現皇室の手先でしょ!)、
・批判すりゃ、ゴミ投げ込まれるし、
・自分で辞めたいと言っては、タイミングを引き延ばすし(⋍北朝鮮のキム一族)、

です。しかし、これだって本人の意思でやっているのか?もしくは取り巻いている輩だけが、今生天ちゃんを幽閉して勝手にやっているだけかもしれないです。まあ、私的には、今生天ちゃん&みっちゃんはクローンだと思っています。でも、取り巻きを含めた現皇室の刷新が必要なのは確かです。

 さらに、ただ祭祀を営み、祈っているだけでは現状は変わらないのです。現状の問題点を改善する対策を、論理的に考え出し、実行するのが、本当のリーダーの仕事なんです。これが政(まつりごと)で、神様を尊び感謝するお祭りと繋がっているのでしょうが、神頼みなんかで、政なんかできないですし、みんなを幸せな方向には持っていけないです。現皇室は、そこの部分を履き違えているのだと、私は思っていますが、現行の憲法ではどうにも手が出せないです。そして、究極的には、天皇は表立って祭祀と政治をしなければ、私たち一般人がその実在を捉えることは難しいのです。

 話は変わりますが、朝鮮渡来人の協力のもと地元の豪族が建てた高幡不動尊の歴史も、ある時期からお寺のバックアップが朝鮮渡来人から高麗人へと変遷したと、お寺の資料館に書いてありました。

 日本人が仲良くしていた朝鮮渡来人と高麗人は違うのです。高麗人は後からやってきた馬追い(侵略者)なんです。元寇も、日本に攻め入る本拠地は高麗だったと虎ノ門テレビで言っていました。先ほど紹介したアエラの記事は、その部分が全く欠如した高麗も朝鮮人も一色単にした立ち位置で書き、正しいとは言えないです。現行のメディアは嘘ばかり書くのです。ただ、しつこく書けば、今生天ちゃんが、本当の天皇家の血筋で幽閉されているだけという万に一つの可能性は消せません。

 でも、ここまで考えれば、日本の敵が日本の皇室に入り込んでいる、しかも中央にいるのを、見逃さずに現政権が戦っている最中であることは確かなのです。今生天ちゃんを退位させるのが目的ではなく、日本の敵の皇室乗っ取り状態を解除するのが最終目的ですから、戦い方は複雑怪奇に見えて当然です。ただ、判らないなりにも、今、生きている人が、
・現皇室だから立派であるという短絡的な考え方
・天皇家なんて存在は意味不明で自分とは無関係(私はずっとこれでした)と無視する姿勢

を、真摯に見直す時期でしょう。この大切な時期に、現皇室を讃えるような文言を大手を振って口に出す知識人は、非常に問題があると思います。

 本当の天皇家の経脈を明らかにして、我々市民が身近に感じることができる本物のリーダーをお迎えし天皇家を存続させるか、乗っ取られたまま、もしくは天皇制を廃止して日本と地球の消滅を待つかという分岐点に、今は立っていると思えて仕方ないのです。本物のリーダーがどなたなのか、うすうすはわかってきているのですが、特定まではできない状態ですし、天皇家の経脈を明らにできる歴史がはっきりしない状況で書けるだけの事を書き記しました。今後、上記の状況がはっきりしてくると、この記事は現実とそぐわなくなる可能性があります。

 終戦の日を迎え、私ができる戦没者への弔いと感謝の意を捧げさせていただきたいことを、最後に記します。