イントロダクション
1985年8月12日に群馬県の御巣鷹山にJAL123便が墜落しました。520人の方が亡くなられました。
場所、行き方
慰霊目的で参りましたが、慰霊するための場所は二箇所
慰霊の園
と
昇魂之碑
です。
慰霊の園
と
昇魂之碑
です。
この二箇所は車で40分くらい離れたところにあります。どちらも先ほどの記事にグーグルマップで位置が記されています。下記にも下仁田インターからの両方の経路をグーグルマップで検索したページを記しますので、ご利用ください。
なお、昇魂之碑は名称ではグーグルマップで探せませんので、緯度と経度を入力して、グーグルマップにナビをしてもらってください。途中から携帯の通信はできなくなるのですが、GPSがついてたため、私のアンドロイドスマホは最後までナビをしてくれました。
なお、昇魂之碑は名称ではグーグルマップで探せませんので、緯度と経度を入力して、グーグルマップにナビをしてもらってください。途中から携帯の通信はできなくなるのですが、GPSがついてたため、私のアンドロイドスマホは最後までナビをしてくれました。
昇魂之碑への登山道
私たちは、昇魂之碑のみ訪れました。こちらは登山口の駐車場(6台くらいかな)から、40分ほど徒歩で登って行く山道で、到着地が墜落した場所だそうです。
この山道は、とても整備されており、沢と併走したとても気持ちのいい山道になっています。下の動画と写真を参照ください。
写真中のジムバーネット氏の言葉にあるように、とても気持ちの良い沢の流れる音が聞こえてきました。下記の動画参照。 |
登り切ると、JAL123便の墜落地点に着きます。そこには、昇魂之碑があり、お線香や祈願札がおいてあり、自由にお参りができます。
祈願札は、大体が慰霊と交通の安全を願うものでした。
お賽銭箱もおいてありますので、維持費の足しにしていただくこともできます。下の写真3枚が登り切った場所です。
感想
昇魂之碑までの登山道は、本当に、安らかで清らかな場所でした。今回、訪れるにあたり、私は多少の恐怖を持っていましたが、御巣鷹の尾根のこの雰囲気にとても救われた思いが湧きました。本当に安堵しました。
私は、小学生の低学年まででしたが、時々、叔父たちに、この沢の下流の沢遊びに連れてきてもらったことを思い出しました(この沢の下流は神流川です。)。
私は、小学生の低学年まででしたが、時々、叔父たちに、この沢の下流の沢遊びに連れてきてもらったことを思い出しました(この沢の下流は神流川です。)。
JAL123便が御巣鷹山で不時着した晩、私は現高崎市の祖母の家にいました。とてもねっとりとした嫌な感じの夜でした(今から考えると、人が亡くなる時の感覚です。)。でも、当時、強く感じたいたたまれなさも、記憶のはるか彼方に行ってしまいました。
実はこの事故に関しては、私には不可解な出来事があります。12年前の年の瀬に、図書館が休む前に、返却期限がこの日だったので、図書館で借りた本を返そうと、幼稚園から帰ってきた子どもを連れて雨の中なのに無理して、バスで図書館に向かった時です。ようやく、図書館に本を返した後の帰路に、上の子が雨の中で転んでしまいました。幼稚園でも疲れていたのでしょう。でも下の子はまだ一歳になったばかりで、私が抱っこしていたので、上の子を抱き上げるのが精一杯でした。そこで、近くにあったバス停で雨をしのぐことにしました。ここを通るバスに乗って行ったら、パパの会社につけることを確認し、
「そろそろ仕事納めも終わる時間だから、車に乗せてもらって帰ろうかな?」と、子どもをベンチに座らせて時刻表を眺めて色々と考えていた時です。いきなり見るからに路線バスなのですが貸切という表示のバスが停まって、扉が開きました。そして、
「乗っていいよ!」
と運転手さんが私に言うのです。私、何が何だか分からず、「このバスは貸切ですよね。」
と言うと、運転手さんが、
「貸切でも乗れるんです。」
って言うので、乗ってしまいました。たくさんお客さんがいたし、少なくとも大通りに出てタクシー捕まえるか、「運が良ければパパの働いている工場に行けるし」ってな感じでした。
しかし乗った瞬間に、生者の匂いがしないのに気づきました。そして、運転手さんの周りに数名の乗客の方が囲んでいて、みんなで、「日航機墜落のボイスレコーダーが発見されて、それを聞いていたら涙が出たよね。」と言いながら盛り上がっていたのです。
「早く降りなくちゃ」と焦り出した時、隣の女性が降車ボタンを押して無事に降りていたので、次の停留所で私も降りるべく、もう、お財布からお金を出す元気もなく、行く時にバスに支払った料金と同じ180円(カッパのポケット用意があった)を手に握り降車ボタンを押しました。私が降りる停留所に着いた時に、バスはちゃんと停まってくれました。しかし、料金表示版の電気が消えていたので、運転手さんにお礼を言い、値段を聞いたら、「180円です。」
って言われました。私、瞬間的に、
「この運転手さん、私が手に握っているお金の額面を知っているな。」
と思いつつ、無事にバスから下車できました。そのバス停の名前が、「稲荷社前」でした。降りたら、すぐに、空車タクシーが来たので、それに無事に乗車して大人しく家に帰りました。
その直後、ネットで日航機墜落のボイスレコーダーを調べたのですが、特にトピックスがなくて、気になっていたまま月日が流れました。そして、再度、この事件が私の意識に語りかけたのが、宇宙への旅立ちブログで知り合ったホークナイトさんでした。そのお陰で、123便は事故ではなく事件(テロ)であったであろうという説に触れました。私は、
事故当時に感じたねっとり感は、死を意味すること、
貸切バス事件は、犠牲者(死者)の里帰り用全国循環バスではないか
と年を重ねて思うようになりました。
主人か私の配偶者になる予定の人がJAL123便事件で亡くなっているのかもしれないと思ったり、色々と考えてしまいますが、本当のことはわかりません。ただし、123便という名前がなんともひっかかるのです。
御巣鷹の尾根で、手を合わせて慰霊に行けて、犠牲者の皆様の安らかな感じを受け本当に安心しました。合掌
「そろそろ仕事納めも終わる時間だから、車に乗せてもらって帰ろうかな?」と、子どもをベンチに座らせて時刻表を眺めて色々と考えていた時です。いきなり見るからに路線バスなのですが貸切という表示のバスが停まって、扉が開きました。そして、
「乗っていいよ!」
と運転手さんが私に言うのです。私、何が何だか分からず、「このバスは貸切ですよね。」
と言うと、運転手さんが、
「貸切でも乗れるんです。」
って言うので、乗ってしまいました。たくさんお客さんがいたし、少なくとも大通りに出てタクシー捕まえるか、「運が良ければパパの働いている工場に行けるし」ってな感じでした。
しかし乗った瞬間に、生者の匂いがしないのに気づきました。そして、運転手さんの周りに数名の乗客の方が囲んでいて、みんなで、「日航機墜落のボイスレコーダーが発見されて、それを聞いていたら涙が出たよね。」と言いながら盛り上がっていたのです。
「早く降りなくちゃ」と焦り出した時、隣の女性が降車ボタンを押して無事に降りていたので、次の停留所で私も降りるべく、もう、お財布からお金を出す元気もなく、行く時にバスに支払った料金と同じ180円(カッパのポケット用意があった)を手に握り降車ボタンを押しました。私が降りる停留所に着いた時に、バスはちゃんと停まってくれました。しかし、料金表示版の電気が消えていたので、運転手さんにお礼を言い、値段を聞いたら、「180円です。」
って言われました。私、瞬間的に、
「この運転手さん、私が手に握っているお金の額面を知っているな。」
と思いつつ、無事にバスから下車できました。そのバス停の名前が、「稲荷社前」でした。降りたら、すぐに、空車タクシーが来たので、それに無事に乗車して大人しく家に帰りました。
その直後、ネットで日航機墜落のボイスレコーダーを調べたのですが、特にトピックスがなくて、気になっていたまま月日が流れました。そして、再度、この事件が私の意識に語りかけたのが、宇宙への旅立ちブログで知り合ったホークナイトさんでした。そのお陰で、123便は事故ではなく事件(テロ)であったであろうという説に触れました。私は、
事故当時に感じたねっとり感は、死を意味すること、
貸切バス事件は、犠牲者(死者)の里帰り用全国循環バスではないか
と年を重ねて思うようになりました。
主人か私の配偶者になる予定の人がJAL123便事件で亡くなっているのかもしれないと思ったり、色々と考えてしまいますが、本当のことはわかりません。ただし、123便という名前がなんともひっかかるのです。
御巣鷹の尾根で、手を合わせて慰霊に行けて、犠牲者の皆様の安らかな感じを受け本当に安心しました。合掌