更新 2019/11/12 その他の関連記事を記事の最後に付記
シュテファン大聖堂
シュテファン寺院はウィーン旧市街の中心部に建つ、ゴシック様式の教会です。日本ではシュテファン寺院という呼び名が一般的ですが、正式にはシュテファン大聖堂と言います。シュテファン寺院には北塔と南塔があり、展望台からは街を一望することができます。南塔は約350段の階段を登らなければならないので、エレベーターがある北塔に登るのがおすすめです。
シュテファン大聖堂の宝物館 さんより引用(多少、修正)
ウィーンのシュテファン大聖堂は街の真ん中に立っているので、観光の皆様だけでなく、このウィーンの地元の人にとっても重要な意味を持っています。そして、1147年の建立からオーストリアの歴史を見続けて来ています。
シュテファン大聖堂だけでもしっかり見たら、大変時間がかかります。
今までもシュテファン大聖堂の有名な
① 説教壇、
② 当時のステンドグラス、
③ 記念プレート、
④ 涙を流す聖母マリア、
⑤ プンメリン、
⑥ ローマ時代の墓石、
⑦ モーツァルト最後のお別れの場所、
⑧ 祝福と幸運を授かるコロマニ石
などが話題にのぼりますが、ここでは、今日は普通の人が気づかないちょっとしたシュテファン大聖堂の宝物館について話をしましょう。
シュテファン大聖堂の宝物館は"DOM SCHATZ" (ドームシャッツ)と言われ、入口が全く
目立たない所にあるわりには、内容は中々おもしろいです。DOM SCHATZは2012年から再びオープンしています。
第2次世界大戦で、屋根が焼け落ちる被害を受けたシュテファン大聖堂は、その後地元の力で急いで修復され、1948年にはすでにミサを行うことができました。そして1952年4月26日に新たにオープニングがあったわけですが、2012年と言えば、そこから60年後ということになります。
宝物館は"DOM SCHATZ" (ドームシャッツ)の入り口は、西側正面入口から右側に行って、大聖堂内に入る手前にちょっとした案内板が立っていて、そのすぐ右横にエレベーターがありそれに乗って上に行きます。エレベーターを降りると、係りが座っている窓口があり、そこでここの入場料を払います。現時点では大人4ユーロです。西側正面入り口から入り、順路通りに右側に行って、そのまま大聖堂内に入ってしまったらこの入り口は永久に見つかりません。
私たちが訪れた時は、一部外装工事していて、シートが貼ってありましたが、やはり圧巻でした(写真5-1、5-2)。この前にはシュテファンプラッツ(シュテファン広場)があって、通りが交差する広場があります。この広場は、日本人から見ると、通りなのですが、オーストリアの人たちは広場と名付けていて、そこにはカフェがあり、シュテファン大聖堂を眺めながら、食事やお茶がいただけます。夜のシュテファンプラッツのカフェと大聖堂の写真を写真5-3、5-4に載せます。
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写真5-1 シュテファン大聖堂 |
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写真5-2 シュテファン大聖堂のタイルで彩られた屋根 これは素敵です。 |
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写真 5-3 夜のシュテファン大聖堂 ライトアップしてます。 |
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写真5-4 夜のシュテファンプラッツ |
私たちはシュテファン大聖堂について、大して調べていかなかったので、①〜⑧は全く見学しませんでした。礼拝堂はとても綺麗でした。実物を見るととても感動するのですが、写真だと伝わりにくいので残念です。写真5-5に礼拝堂を載せます。でも、十字架にかけられているキリスト様を見るのは辛いです。
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写真5-5 シュテファン大聖堂の礼拝堂 |
私たちは、宝物館に行きたいと思っていたのですが、引用に指摘があるように、入り口がわからなくて、結局、南塔を階段(螺旋階段)で登りました(3ユーロくらいだったかな?)。足腰の調子が悪い人でなければ、さほど辛くないです。自信のない方は、北塔ならエレベーターがありますし、宝物館もエレベーターで高いところに行け、眺めも良いらしいです。一番高くまで登れるのが南塔でした。我々家族は、“〇〇と煙は高いところが好き”の〇〇ですね。南塔からの眺めを写真5枚を写真6に載せます。
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写真 5-6 シュテファン大聖堂南塔からの眺め(2019年7月) |
モーツァルトハウス(リンク内)
モーツァルトハウスは、シュテファン大聖堂から歩いて3, 4分のところにあるのですが、外観が普通の家なので、見落としてしまいがちです。私たちは、シュテファン大聖堂で階段を登った後に、下のカフェで一服してからモーツァルトハウスに行きました。
JTBさんのモーツァルトハウス情報 に場所やコメントが詳しく書いてあります。音声ガイドがあり、見学場所も多いので、1時間では済まないかなという感じです。JTBさんのページのコメントにもあったように、説明箇所が実際の場所と異なるのか?わかりにくいのか?区別がつかないところが多少ありました。見学順路の最後に自販機がある休憩室があり席数20席くらいのテーブルが置いてあるので、連れと見学ペースが違ってもそこで落ち合うことができます。そこでは、お土産も売っていました。
音声ガイドは上記の多少の問題がありましたが、かなり面白かったです。モーツァルトがフリーメイソンに所属していたことや、彼の凄まじい借金、謎だらけの死について推理したりしています。あまり言ってしまうと、これから行く方や、モーツァルトハウスへの営業妨害になるので、興味のある方は、是非訪れてください。10ユーロの入場料は安価ではないので、旅行の予算に入れて置くと安心です。ただ、あの音声ガイドがついているので、妥当ではないかなとも思います。モーツァルトは大好きなウィーンにこうやって死後もお金を運んでいらっしゃるのではないかな?なんて思ったりします。
いろいろ困ったちゃんだったと言われるモーツァルトですが、仕事に関しては極めて真面目に取り組んでいたようで、午前中は作曲、午後から弟子の稽古、夕方からは音楽会出演といった生活を送っていたようです。どこで、借金が出来たのかしら?これについての推理も、遺作のレクイエムについても音声ガイドで色々と解説していますので、楽しみにしてください。私は、はじめて知る事ばかりでした。
ここで、上記のJTBさんのサイトで、私も全く同感だったコメントを紹介させてください。このコメントの方はモーツァルトハウスとベートーベンの遺書の家(次章)を訪れたとは、私たちと全く同じです。
モーツァルトはフリーメイソン確定なのですが、ベートーベン、シューベルトはグレーゾーンだそうです。フリーメイソンに入っていたモーツァルトは、57才まで生きたベートーベン、生まれも死亡地もウィーンのシューベルトとは比べ物にならないほど、ウィーンでの扱いが良いです。3人とも大天才ですが、この差を見ると、
・フリーメイソンに入っていたか否か?
・メイソン内での階級の違い?
・メイソン途中脱退もしくはフェードアウト?
などが頭に浮かびます。
ベートヴェンはドイツのボン出身ですからフリーメイソンから逃げ切った感じで、入ってないのかもしれないなと思います。 シューベルトはモーツァルトとは違う形でフリーメイソンに反旗を翻した結果、早く亡くなったのかもしれないなと思います。早死にであるのと同時に、亡くなり方もなんだか似ているのです。
ちなみに、マリア テレジア(これぞ、ハプスブルグ王家の血を継ぐ女性皇帝)の旦那さんも、フリーメイソンです。賢帝マリアテレジアまでは、ハプスブルグ家は苦しいながらもしっかりとしていたけれど、その子供が継いだあたりから坂道を転がり落ちていく感じは歪めません。やはり、フリーメイソンは曲者で、正当な男系継承は必要かなと思っている今日この頃です。
このモーツァルトハウスといい、次に紹介するベートーベンの遺書の家といい、それぞれの作曲家の音楽が聞こえてきそうな感じで楽しかったです。
ハイリンゲンシュタット(ベートーベン;リンク外)
ここは、ベートーベンが難聴に苦しんで遺書を書いた家なので、遺書の家と名前がついているそうです。ここの売店ではベートーベンの遺書が印刷して売っているのですが、なんと東洋の言語では日本語しかありませんでした(笑)。日本人はベートーベン大好きですものね。まあ、遺書を買うという発想が、中国人にはないから中国語は置いても売れないのかなと思います。ちなみに私も遺書を買うセンスは持ってないです。ごめんなさい、ベートーベン様。
ここは、ウィーン中心から6Kmくらい離れているので、トラムとバスを乗り継いで行きました。詳しい位置の確認は、
LINEトラベルjpさんを参照してください。
バスを降りたところから、さほど遠くないのですが、看板がないのでさっぱりわかりません。バスを降りたところでカフェを見つけたので昼食を取ることにしました(写真5-7)。これがウィーンの郊外の雰囲気なんだなと、繁華街と随分違うのでびっくりしました。
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写真 5−7 ハイリンゲンシュタットに行くために降りたバス停の近辺 奥のアーチ型のもんを潜るとカフェがありました。 |
カフェでハイリンゲンシュタットの場所をスマホで確認して、ようやくたどり着きましたが、普通の周りの家と変わらないので、なかなか見つけられないです(写真5-8、
LINEトラベルjpさんより) 。とにかく、ウィーンは看板があっても目立たないようにしてあって、大変です。
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写真 5-8 ハイリンゲンシュタットの入り口 LINEトラベルjpさんより 右側の白い三角屋根の建物がハイリゲンシュタットです。 |
音声ガイドもなく、ただ展示を見るだけですが、ここの雰囲気が落ち着いていて実に優しいのです。そして、ベートーベンの楽曲が聞ける展示が多く、まだどれも名演を集めているようで、聞き応えがありました。中庭には木(多分、霊樹)があるのですが、とても歓迎されている気がしました(写真5-9)。この家からは、ベートーベンの息遣いが聞こえるような、すぐそこで拝観しているお客さんを優しく微笑みながら見ているベートーベンが立ってらっしゃるような気がしました。やっぱり、作品からあふれているあの優しさは、ベートーベンが持ってらっしゃるものなのだろうなと、肌で感じました。
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写真5-9 ハイリゲンシュタットの中庭の樹 |
もう1つの庭からは、教会が見え(写真5-10)、背景が描いてある壁(写真5-11)があり、そこでベンチに座って記念撮影をすると楽しいです。
展示物は行く方がいらっしゃると思いますので写真を載せませんが、ベートーベンさんの肖像(写真5-12)と一緒に記念撮影しておくのも楽しいと思います。
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写真5-10 ハイリゲンシュタットの庭から眺める教会 |
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写真5-11 ハイリゲンシュタットの庭の壁 ハイチーズ! |
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写真5-12 ベートーベンの銅像とハイチーズ! |
ウィーン旅行後記
これでウィーン旅行記が終わりです。
ウィーンは安全な街だと思いました。そして、建造物が素晴らしく、博物館のレベルが極めてたかいです。音楽もハイレベルな演奏ばかりで、すごいの一言で済ませることができない感じです。全体的に清潔感もあり、設備が整っていて、観光には最高の場所だと思います。
一方で、お土産屋さん、ホテルの従業員は愛想がいいのですが、トイレの管理人、小売店のレジの人たち、博物館などの係員は、不機嫌な顔で仕事をしている感じもしました。我々が東洋人だからか、その扱いは他の同国のお客さんよりは雑だったと思う場面も少なからずありました。もちろん、全ての人がそうであったというわけではなく、働かざるおえない方々にこの現象が多いのではないかと思う次第です。知人には、「日本の常識、世界の非常識」って言葉を言われました。
主人はハイリゲンシュタット近辺の郊外は、閉鎖的で少し怖いと言っていました。やはり、ヨーロッパが常にスラブやイスラムの侵略を受けて戦いの連続のために、そのような閉鎖的な雰囲気ができてしまったのではないかと、防衛の歴史の賜物ではないかとも思います。
どうしてそう思ったかというと、子どもたちがウィーンの新王宮のあたりで、イスラムの女性に話しかけられ一輪の花を持たされてしまいました。直ちに私がそこに分け入ったのですが、お金をくれの一点張り。2ユーロ渡したら、それでは足りないと言い出し、結局5ユーロを取られました。子どもを狙って、やってくるんだなと思い、ヨーロッパがイスラム教勢力を嫌がる理由を身をもって経験しました。ハンガリーと一緒に東から襲ってくるアラブ(イスラム勢力)、スラブを撃墜続けたハプスブルク王朝、光と闇の側面があるけれど、偉大だったんだなと感じました。それと同時に自然とオーストリア帝国やハンガリー帝国の方々への敬意が心に湧いてきました。
楽しい旅行、ありがとうございました。お世話になりました。(終わり)
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