2018年10月31日水曜日

二度拭きします。

 ガラス拭き掃除、一年分をやると、初めの一拭きは、返ってガラスが汚れた感じがしますね。

 「真理のことば」も今はそんな感じです。すみません。

 でも、とても急いでいたのです。どれほど、伝統仏教にチリ汚れが付いていたか、知ってもらいたかったとのことです。

 ガラスも2度拭きすると、綺麗になってきますから、もう一ラウンド考察を行っていきます。

 今度は私の並び替えで仕上げしていこうと決意しました。これも、ゆっくりはしてられないようですが、第一ラウンドに比べると、だいぶ心にゆとりができそうです。
 第一ラウンドの途中で命が絶えなくてよかったと一安心していますが、もうひと頑張りしたいです。

 でも、そんなにチリ汚れが付いていた「真理のことば」でも、30代の私にとっては目から鱗で、本当にありがたかったんです。当時を思い出すと、懐かしいな。私、納得いかない詩は、無視できる性格だったんですね。私、いろいろな人にこの本を進めたのですが、良いとこ取りできない人は、皆、真理のことばに否定的な態度をとっていました。そして、私の周りで、この本がいいねといった人は誰一人いませんでした…。

 良いとこ取りは良くないと言われますが、こと教えに関しては、ご利益主義ではない良いとこ取りをしないといけないのですね。でも、日本人って、どうやら、良いとこ取りが苦手みたいなのですよね。

 私を仏教に誘ったのは、20代で入院した時に病院の売店で買ったひろさちやさんの本。
 さらに、仏教にのめり込んでいって、手塚治さんの漫画ブッダで、お釈迦様の一生のアウトラインを理解しました。
 手塚治さん、本当にあの漫画を完成させるのは大変だったと、今回のこの作業で痛感し、あらためてその偉大さに畏怖の念を感じずにはいられません。

2018年10月26日金曜日

LGBTの反論についての回答

QT. (その他小原美香子
返信先: @cncn1549さん
お金より命の危険の問題です。望まない性にどうしてもなじめず苦しんでいる人間に死ぬまで我慢を強いる事になり自殺を選んだり、もっと危険なのは法律で男女の定義が決まってるのに逆らう奴は違法だ。人間じゃない。殺してしまえという犯罪が起きることです。実際にLGBTに対する殺人が起きています。)

 この方、なぜ、見ず知らずの私に反論の返信を入れてくるのか、皆目見当がつきません。明らかに私の価値観とはかけ離れた価値観で生きている方なのしょう。きっと、意見が噛み合わないと思います。
 まず、お金に関しての価値観に天と地の開きがあります。私は極めて拝金主義から遠いとは思いますが、お金はこの世の困難をかなり手助けしてくれると考えていますから、非常に大切なものだと捉えています。ホモ、レズ、オカマ(以下LGBT)だって、普通の人だって、お金があればある程度は安心して楽しく暮らせるはずです。しかし、有り余るお金なんて、普通は持っちゃいないし、なんとか生活できて、蓄えちょっとみたいな感じだから、みんなそれなりに色々な不満や不安を抱えて生きているのが、私たち人間です。

 しかし、一方的にLGBTの権利ばかりを主張する人たちに放言させるわけにはいかないので、この読者の方々に私がLGBT偏重と感じる理由について、どうして私がそう思うのか、整理して記す必要な時だと思いますので、書かせていただきます。


1、実際にLGBTが理由で、法治国家の日本で殺害された人がいるのでしょうか?

2、日本では、イジメで自殺する人は多いですが、LGBTで自殺した人の数はそれより多いのでしょうか?そして、実際の数はいくらなのでしょうか?

3、日本では、リストラされて自殺する人は多いですが、LGBTで自殺した人の数はそれより多いのでしょうか?

4、また、LGBTが理由で殺害されたけれども、法治国家の日本やアメリカで、明らかな犯人が殺害相手がLGBTであったのだから、無罪になったという事例はあるのですか?

5、LGBTは、少数なのに要望が多すぎて、返ってメジャーな構成員を害していると感じるのです。トランプ大統領の今回の提案は戸籍上の性別を固定でしたよね。では戸籍上の性別を書き換えるだけで望まない性への我慢が解消されるのですか?



 私は、LGBTは、別に我々と同じこの世の構成人員だと思っていますし、だいたい普段の人間生活で、相手の性的嗜好なんか前提に置かずに付き合うでしょう。最終的にはその人の人柄が自分にとって問題ないとなれば、ホモ、レズ、オカマであろうが、普通の人であろうが関係ないのです。大方の日本人は、劣化が激しいですが、やっぱり優しいし細やかですから、きっと私のような考え方だと思います。
 構成比率の少ない人に比率以上の手間暇をかけないのが、国家というものです。日本はお金があるし、やさしいから少しその路線があやふやで、これはこれで良いことなのですが、一部の勘違い人が付け上がるのです。
 私自身は、だいぶやるようになったとは思いますが、イジメ問題をもっとガツンとやってよ!って思っています。
 きっと、話が噛み合わないであろう、不躾な小原美香子
@alen_bluebeeさんはブロックいたします。

2018年10月25日木曜日

今後の予定


 真理のことばの、読み取りと聞き取りが、一通り終わって、身体を休めたり、息抜きしたり、家事をしたりしています。
 しかし、まだ、真理のことばの編集作業の後半戦が残っているのは、肝に命じております。今後は、
 ・章番号の編成を考える
 ・誤字脱字等はなるべく直して、§詩一覧と§解釈の二章仕立てのファイルにする
 ・中村氏の詩番号と自分の詩番号の対応をとる表を作る
 ・ファイルのアップ場所を探す
に取り組む予定です。

 長ければ、数ヶ月くらいかかると思います。長い目で見てください。

 すでにアップしている部分は、大きな訂正を入れず、最終盤に訂正を入れていく形になりますので、よろしくお願いいたします。

 年末に向けて、ちょっと真面目に家事に取り組みたいと思います。
 子どもの勉強も小学校総仕上げをしたいと思っています。まずは、家庭科が手こずっているようですので、一緒に型紙と布に向かってみます。これで、子どもと過ごす時間もちょっと増えます。楽しみです。
 読もうと思っている本(政権奪取論etc.)も、付箋をしながらじっくり読み終えたいです。日本国紀も楽しみです。
 
 
 私のサイトは、どんな方が読んでくださっているのか、わからないのですが、応援してくださっている気は伝わってきているのです。ありがとうございます。この皆様からの温かいご恩は忘れないように、心に刻んで、残りの作業も細くとも続けていく所存です。 

 皆様も、年末に向けて忙しくなりますが、元気でお過ごしください。
        月夜の龍

一二三神示 アメの巻   第十二帖 (三四六)


一二三神示 アメの巻 第十二帖 (三四六)

http://hifumi.uresi.org/13.htmlさんより

 上面(うわっつら)洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、

 今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ。

 出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、

 神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは一のキであるぞ、気であるぞ。

 悪神は如何様にでも変化(へんげす)るから、悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、

 今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。

 未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから くどう申してゐるのざぞ、悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来るから気付けておくのざ。

 まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、妙な事 此の方がさしてゐるのざから、神の臣民 心配ないなれど、さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。

 天の様子も変りて来るぞ。何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、キリキリ気付けて下され、

 人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ、

 今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。

 これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、

 神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、世界は神の国、神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、

 世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。
 人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのさぞ、間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。

 十二月七日、七つ九のか三神示。

2018年10月7日日曜日

真理のことば 第24章 愛執 についての考察

書き増し記事を “第24章 愛執(1)(元データと判定・解釈・考察と書き換え)URL(https://newbuddhawords.blogspot.com/2018/10/blog-post_12.html)に載せます。
この記事において、内容の訂正箇所はありませんが、前出の記事の方が、内容が充実しておりますので、、こちらにたどり着いた方は、まずは、前出の記事をお読み下さい。
 愛執(あいしゅう)やこの章内で使われる愛欲というのは、仏教用語です。
 中村氏の真理のことばでは、愛執と愛欲は同じ意味で使われている場合もあり、そうでない場合もあり、全体としてはっきりしません。
 中村氏は、愛執と愛欲について、ご自身の定義をなさってないので、ここでは、まず愛欲という言葉を考察して、定義して、詩を整理しないとラチがあきません。愛執についても同様です。

 両者の意味を調べて再定義すると、
(1)愛欲とは、異性の愛情を求める欲
(2)愛執とは、様々な対象に対しての執着を愛する心
として問題がないようです。
 
 つまり、愛欲については、欲の一つと考えます。この考えのもと、詩335(*1)を読みくだしてみましょう。
 “此の世において執著(しゅうじゃく;執着で良いでしょう。)のもとであるこのうずく愛欲のなすがまま”と書いてあるのですが、愛欲とは執着(執心)を引き起こす元であるということです。しかし、今回定義した愛欲では、意味としては限定されすぎています。ですから、欲の総称として欲望と置き換えるのが適切です。

 複雑ですが、大切な部分ですので、もう少し、考えていきましょう。

 仏教では、五欲(ごよく)として、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲があります。他にもあるのでしょう。これらの欲は、この三次元の世界で、設定されているもので、執着を起こす側の人間には無くすことはできないのです。そして、これら全てをひっくるめて、欲と言っていると考えるのです。話が前後しますが、私は、五欲に愛欲を加えたほうが良いと思います。性欲だけだと足りないと感じるのです。特定の異性の愛を求めるのが愛欲、ひたすら性的な行為に惹かれる対象不特定の欲を性欲とします。だいぶ、すっきりしたと思います。

 他方、お釈迦様は、この世の中には激流が存在して、その激流と一緒に流れている無常のものに恋い焦がれて、精一杯追いかけるのが人間の心であるとしています。この激流に引っ張られる要因が、愛執、執着、執心なのです。また、実際には、愛執、執着、執心によって激流に一緒に流されているだけなのですが、その求めているものは、激流の中なので、なかなか掴めません。しかし、自分では激流の中で一生懸命追い求めている気になっているのです。激流とは、先ほど述べたすでに設定されている欲の数々で、すでに設定されているのです。しかし、どの欲の流れに流されるかは、その心の執着する癖によります(詩339)(*2)。食欲に弱い人もいれば、名誉欲に弱い人もいるっていうのが、現実ですから、この辺りはわかりやすいと思います。
 そして、さらに踏み込んで言ってしまえば、人間が恋い焦がれて追い求める“激流と一緒に流れている無常のもの”は、空であると認識することが、般若心経の教えです。

 以上の考察から、第24章は、タイトルを “愛執”から“執着と欲望”と変更し、愛執は、日本人にとって親しみのある執着を使います。


 最後に、自分が、この世の中で何かを一生懸命追いかけて苦しくなった時、実は自分は無駄なものを追いかけているのではないか?という疑問が起こる時が誰にだって何回かは経験があるはずです。そこが、択法の機会なのです。正しい教えを探し求めて、今までの自分の生活が正しい教えに沿っていたのかを考えなくてはならない時期なのです。そして、幸運にもそれを見つけたら、疑わずに、その教えに沿って努め励み、激流の中を自己の人生が正しい真理に従って進めるように、守護神の力を借りて、心と魂は一体となって、全力で舵を取らなければいけないのです。そして、順調に流れを進み続けていたとしても、ちょっとした考え違いで、また激流に流されてしまうと、お釈迦様は人間たちに教えてらっしゃいます。                (合掌)

(*1)この世において執著のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、もろもろの憂いが増大する。──雨が降ったあとにはビーラナ草がはびこるように。

(*2) 快いものに向って流れる三十六の激流があれば、その波浪は、悪しき見解をいだく人を漂わし去る。──その波浪とは貪欲にねざした想いである。

2018年10月4日木曜日

昨夜の夢

 昨夜は、地震のアラートで起きた後に、またすぐに寝たのですが、なんと、おもらしをする夢を見ました。
 しかも、明らかに小ではなく大…。
 さらに、出たものは半端ない量で、床一面が赤色でした。血かなと思いきや、よく見たら刻んであるトマト。
 とんでもない夢でしたが、お布団でのおもらしはなかったので安心しました。

後ろの正面、仏魔!後ろの正面、悪魔!

  
後ろの正面、仏魔!
後ろの正面、悪魔!

 法律上の義務は、人間としての最低ラインと知るべし。

 これをようやくクリアしているだけの人が、意外にも法律上の義務の最低限ラインをクリアしない人のことを見下しています。後ろの正面、悪魔!過ぎて、話にならないです。
 人間は、まずは家族ですが、それ以外でも血縁、親戚、世話になったご近所さんなら、困っていたら多少の無理をしてでも手を差し伸べるのが、人として生まれたからには最重要課題です。一応、ことわっておきますが、相手が困ったふりをしているだけの詐欺師や、大きな声で正論振りかざすアカには騙されないように注意しないといけませんし、ここもなかなか難しいのではありますが。でも、経緯を見れば大体は判断できると思います。
 特に血縁は、ご先祖様からしたら、どの人にも人間としての修行の場を与えた存在であって皆平等に愛情をかけているのです。そして、ご先祖様は、この世の中の価値基準での上下とは全く異なる価値基準で判断されます。なぜなら、あの世の高次元にいらっしゃるご先祖様によってなされる判断なのですから。
 少子高齢化で、移民の方々にお世話にならないといけない我々世代だと思います。結局は自治体や国の厄介になるのですが、心の部分は血縁がサポートするのも大切だなと思います。でも、必要最低限主義が横行して、汚ればかりが増大する血縁関係だと、心のサポートなんて無理なんだろうな。本当に恐ろしい時代になりました(汗)。