2018年5月11日金曜日

真理のことば 賢明な者達よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。

真理のことば 第19章 道を実践する人より抜粋 


詩271、272
 私は、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。賢明な者達よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。

 解脱は、在家的な生活を送っていても、到達できると、私は感じています。
 したがって、この詩は、<修行僧>と同時に、<道を実践する人>へ与えられた詩句と捉え、“修行僧よ”という言葉を、“賢明なものたちよ”と、広範囲な言葉で書きます。

 第7章 真人 97詩の生死の絆を断つのは、自分でなく自然と絶たれると書き記しましたが、解脱を得るのも同様だと思います。自力による“戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すこと”でも、自分の意思で解脱するものではなく、汚れが完全に消え失せれば、自然と解脱してしまうようです。
 では、汚れが完全に消えうせるとはどういうことかと言いますと、第7章 真人92,93詩のコメントで考察した通り、“空を体現”して、さらに“無相を体現”したら、解脱ができるということだと論じていますので、参照してください。

 <修行僧>、<バラモン>(<出家者>)とは、三次元世界では、職業的な意味合いでもありますが、営利活動にならないための行動のガイドラインとして戒律があるといった感じでしょう。そのような生活の中で、自己の霊性を磨くことが、彼らに与えられた道なのでしょう。
 一方、ある程度、在家的に生活をして、営利業に携わっている<道を実践する人>たちも、自己の霊性を磨くことが生きる目的です。その場合、その人たちの行動のガイドラインの戒律は、<出家者>らのそれとは異なるのは当然です。
 それぞれに与えられた道ですので、“出家者”>“道を実践する人”が必ずしも成立しません。
 さらに、全ての人が、霊性の向上を目的として生きているので、全ての人は修行者です。

 修行者については、お釈迦様がブッダのことば 第一 蛇(による編集)の章 5、チェンダで以下のように、述べられています。

84 師(ブッダ)は答えた、「チュンダよ。四種の修行者があり、第五の者はありません。面と向かって問われたのだから、それらをあなたに明かしましょう。──<道による勝者>と<道を説く者>と<道において生活する者>と及び<道を汚す者>とです。

 <道を汚す者>が、我々 修行者に紛れていることをきちんと注意喚起なさっています。他の3つについては、<道による勝者>=<ブッダ>、<道を説く者>=<バラモン>、<道において生活する者>=<修行僧>or<道を実践する人>ではないかと、私は考えています。ちなみに、私は、このチュンダの章では、ここで抜粋した文章以外は、信頼ができないと考えています。

 <道を汚す者>は出家側が話題になりやすいのです。キリスト教を悪魔崇拝に導いた指導者だったり、日本で有名なサリンを撒いたオウム真理教の教祖だったり、統一教会だったりと枚挙に遑がないがありません。
 オウム真理教や桜田淳子さんのおかげで、ここ20年ぐらいで、出家側の宗教関係者というだけで、世間は厳しい目を向けますので、そういう点では、出家側が悪事をしにくくなっていると思います。
 
 一方、在家側にも、同様に<道を汚す者>が転がり込んでいます。こちらは、出家側に比べて、母数が多いので、変身もしくは猫かぶりの術が非常にしやすく、とても見極めが厄介です。特に、政治家等の社会的影響力を有するところに多いのです。言うことは立派ですが、ちっとも組織や社会が進歩しないどころか、後退させてしまう輩です。すぐに、見分けられない時には、仕方ないので、結果を見て判断するしか、我々凡夫には手がないようです。

真理のことば  第25章 修行僧(元データと判定・解釈・考察と書き換え)より抜粋 詩370

真理のことば 
第25章 修行僧(元データと判定・解釈・考察と書き換え)より抜粋 詩370

***(書換え詩)*************
まず、五下分結を断ち、次に、五上分結を捨てよ。
さらに、信、精進、念、定、慧による五つ(のはたらき)を修めよ。
そうすれば、修行僧は、五つの執著-貪り、怒り、迷妄、高慢、誤った見解-を超え、<激流を渡った者>とよばれる。


***(元データ)*************
370)五つ(の束縛)を断て。五つ(の束縛)を捨てよ。さらに五つ(のはたらき)を修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、<激流を渡った者>とよばれる。
***(判定)*************
370)B
***(コメント)*************
370)これは、お釈迦様がおっしゃったとは、到底、考えられません。しかし、後代になってできた教えだとしても、仏教に携わった霊能師全てがイカサマなわけではないのです。むしろ、良心的な霊能師が多かったと、私は確信しています。その人たちが、原始仏教の阿含経(真理のことばやブッダのことば)の教えから、大乗仏典へと仏教を発展させたのでしょう。そして、それを陣頭指揮なさったのも、お釈迦様ではないかと思っています。お釈迦様の肉体は滅びましたが、厳然と生きてらっしゃる気がしてなりません。
 壮大な話は止めておきましょう。私は、阿含経が大乗仏典より優れているとは考えていません。どちらかと言えば、進化系の大乗仏典の方が優れているとは思うのですが、量が莫大なので、はじめの一歩である阿含経の中の真理のことばを、大乗仏典の教えや日月神示の内容を踏まえて検証するのが、効率的ではないかと思うのです。今さら、原点に立ち返るのは悔しいのですが、、仏魔に憑かれた今の仏教の見直しをするには、これしか、方法がないと思っています。
 私の力では、“真理のことば”ですらやりきれるか、現在のところ非常に不安です。でも、たくさんの人が、頑張って活動しれらっしゃいますので、私もなんとか終わらせたいと思っています。


 次に、詩を具体的に読み進めるために、中村氏の注釈の書き下しと、http://way-to-buddha.blogspot.jp/2011/05/blog-post_1655.html さんよりの抜粋でご紹介いたします。このサイトはとてもよく書いてあると思いますので、ぜひ立ち寄ってご一読ください。書き下し部分や引用部分は青字で記します。

 まず、三界ですが、欲界、色界、無色界と呼ばれる3つの世界のことを指します(下図参照)。最下層が欲界、その上が欲界、さらにその上が無色界となっていますが、この三界に属している状態は、ニルバーナ(涅槃)=安らぎ、や 解脱状態ではありません。


“五つ(の束縛)を断て”の五つ(の束縛)は、五下分結と言い、魂を欲界に結びつける5つの煩悩です。5つの煩悩とは、以下のものです。

1.身見(しんけん:有身見)
私という不変の存在があるという見解のことである。
私(私の身体、私という心身の集合体)など、とにかく私というものが変わらず存在すると思うことである。
無知に分類される、誤った見解・邪見である。

2.疑惑(ぎわく:疑)
何が真実か分からない状態のことである。
仏道の真実が分らない無知な状態といえる。

3.戒取(かいしゅ:戒禁取見)
こだわりに、とらわれることである。
しきたりや苦行など、いろいろなことにとらわれ、こだわることである。

4.欲貪(よくとん)
激しい欲のことである。

5.瞋恚(しんに)
激しい怒りのことである。

②“五つ(の束縛)を捨てよ”の五つ(の束縛)は、五上分結と言い、魂を上界(色界と無色界)に結びつける5つの煩悩です。大切なことは、これらは五下分結と違い、捨てるものだということです。ということは、つい心に持ってしまうものだということです。

1.色貪(しきとん)
色界に対する執着のことで、色界の禅定のすばらしさに対する執着である。

2.無色貪(むしきとん)
無色界に対する執着のことで、無色界の禅定のすばらしさに対する執着である。

3.掉挙(じょうこ)
私は到達した、というような心のたかぶりの感覚である。掉挙とはあまり使わない言葉であるが、心のたかぶりを指している。
私はこの段階まで達したというような達成感のような、心のたかぶりの感覚である。
欲界でも掉挙はあるが、ここでは色界、無色界のかすかで微妙な心のたかぶりである。

4.我慢(がまん、慢)
私がなした、というような慢心の感覚である。ここでは、慢心のことを我慢と呼んでいる。
欲界でも慢はあるが、ここでは色界、無色界のかすかで微妙な慢心である。

5.無明(むみょう)
どうしても最後まで、僅かに残っている根本の無知のことである。


③“五つ(のはたらき)” 悟りを得させる5つの力(五根)のこと。信(正しいことを信じる)、精進(正しい精進をする)、念(正しい思いを持つ)、定(心を集中し乱さないこと)、慧(正しい知恵を持つ)。ここで使う正しいとは、法則から外れないということです。ですから、方便等の概念は含みません。正しいものは正しいという立ち位置に立つことです。7項目からなる悟りのよすが、八正道、五根の比較をhttps://newbuddhawords.blogspot.jp/2018/05/blog-post.htmlで行いましたので、ご覧ください。

④“五つの執著”は、貪り、怒り、迷妄、高慢、誤った見解です。

以上を元に、文章を整えます。


白洲次郎さんと軍国主義、軍の暴走、日本国憲法

白洲次郎さんと軍国主義、軍の暴走、日本国憲法


 私が子供の頃は、第二次世界大戦、太平洋戦争当初から軍部の暴走があって、天ちゃんの言うことを聞かなかったように、TVのドキュメンタリー番組が放送されていたような気がします。家がアカだったからかな、そんな番組をよく見ていただけかもしれません。
 学校の授業では、(子供が感じる程度の)報道ほどヒステリックさはなかったとは思いますが、なんせそんな部分は年度末にちょこっと教科書すら追わずにすっ飛ばす部分なので、あまりよく覚えていません。私は、大学入試にも、日本史を使いませんでしたから
、日本史のまっとうな勉強は中学が最後です。
 要するに、子供の時の「軍はおっかない」がそのまま心に残ってしまっています。

 白洲次郎さんの「プリンシパルのない日本」という本、主人が好きで買ってきたので読みました。だいぶ前ですが、その当時は、すごい人だったのかなと思ったのです。しかし、その後、色々な情報が入ってきて、私が白洲次郎さんを批判したことも覚えているのですが、私のあの批判は正しかったのかな?と今になって不安になってきました。そして、以下の二つのサイトに行き着きました。


 特に、①は、私の心情をそのまま記してらっしゃる感じです。

 私には、白洲さん自身は、自己陶酔が強い人というイメージがありました。まあ、容姿がとても優れてらっしゃり、お洒落ですから、そう感じるのかもしれません。
 それにしても、東北電力の初代会長だったというのが、どうしても、いいイメージがわかないのです。電力会社ですから。
 東京電力と、東北電力時代の白洲次郎さんがもめたのは有名な話です。東京電力は確かに嫌な会社ですよ。

 東京電力フクイチは原発事故(テロだったという噂もありますが、まあ、津波の付随事故だったのではないかという思いの方が強いです。)だった一方、東北電力の女川原発はどうして無事だったのかしら?ってずっと思っていました。白洲次郎さんが安全を重んじる人だったので、その彼の影響が社風に生きていると、このサイトでは書かれています。

 また、白洲次郎さんと憲法についてですが、彼は、敗戦から、憲法が公布される前後で、GHQとの交渉の最前線に立っていました(この立場が一番有名ですね。)。

 最近、憲法を自分なりに考えてみようと思って、読んでみたりしているのですが、どうしても嫌いになれないのです。以前、私は日本国憲法は光からの贈り物だという旨を書いたと思うのですが、それに異論はないのです。白洲次郎さんも私が抱いた感覚と同様に感じてらしたようで、

「白洲は、『押し付けられたのは事実だし、素人が作った憲法だが、内容は良い。人の良いアメリカ人が占領軍となって作ったから、ずいぶん助かったんだ』と話していました」特に9条を評価していたという。(②)
 
と、書いてありました。私の感覚がそんなに的外れでなかったと知って、とても嬉しかったです。
 日本国憲法がソ連政府や中国共産党に作られたらそりゃ一大事ですが、中国なんてほぼ敗戦国みたいなもので、ソ連は不可侵条約を破ったとんでもないヤクザ国家ですから、作る立場にはいなかったのでしょう。本当にラッキーでした。

「プリンシパルのない日本」を、私が読んだ時期は、今よりずっと平和でしたから、あまり、軍や自衛隊を合憲にする必要はなく、平和を尊重したいと思っていました。今のような危機感がなかったのです。でも、今現在は、戦争放棄、自衛隊はどうしても引っかかるのです。それについて、しっくりとした言葉が、
現在の厳しい国際情勢は、9条制定当初からは一変している。(②)
と書いてありました。

(これ、これ、ここが違うのよ!って拍手喝采です。)

 日本を背負った白洲さんや吉田茂さんが、光と闇の両方を持ち合わせてなかったはずはなく、
白洲が一筋なわでは理解できない人物であったことは、確かだ。(②)

という言葉に尽きると思うのです。

 ***************************
先日、


 

というメッセージが届いた時に、日本政府も悪い連中(現天皇派)ばかりの牙城ではなく、いい人たちも活躍していた、そしていい人たちが悪評価されていたのだと、改めて気づきました。しかし、いい人たちは、悪い部分も持ちながら、日本を守ってきているのだなって、私はまだまだわからなかったんだなって未熟さ、浅はかさを痛感しました。

 白洲次郎さんは、軍の暴走が日本を守るために別の系統の陣頭指揮の下で行われたことや、あの戦争の本当の敵が誰だったのか、よく知ってらしたのではないかと思うようになりました。

 さらに、白洲さんは、日本国憲法を「国の根幹にかかわるものなのに、細かく書かれすぎている。もっとザックリ書けば良かった」とも述べているそうです(①)。

 これについては、憲法学者からたくさんの異論が出ていますが、私は、第九条をとって言えば、

第九条 
第一項 永久にこれを放棄する
第二項  全般(第二項は削除が好ましい?)

は細かすぎる記述だと思います。

 以下に第九条を載せます。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 そして、平和憲法の9条は、前述の別系統の陣頭指揮を将来的に封じ込めるために練りこまれた困った部分だとも思っていらしたのが、②でわかります。

「この憲法は占領軍によって強制せられたものである」「歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大なる罪悪である」

 後年そのごまかしが事実と信じられるような時がまさに今なのですが、その当時から、これを予言するのは、もはや神業だとしか言えないです。

 たかが、ファーイーストの小さな国に、こんな憲法まで作って押し付けて、武力封鎖させる必要があったのでしょうか?しかも、基本的に日本人は温厚です。何を恐れたのでしょうか?何を恐れて2発の原爆を落としたのでしょうか?白洲次郎さんはその答えを知ってらっしゃると思います。

 日本人の宝のような白洲次郎さんだったのかもしれないと思えてきました。誤解が解けて私にとってはとてもよかったです。

最後に、
 白洲次郎さんが、
一筋縄では理解できない人物であったこと、
そして日本を守ろうと懸命に生きた志士であった事は、
確かだ。

と書き記して、おしまいにします。

2018年4月24日火曜日

一言黒板

2018/4/24(火)
人間の私たちが誠意を見せないと、アマテラス尊達は岩戸から出てこれない。
岩戸に入られたのは、人間にもかなりの責任があるというか、人間の責任なんでしょう。
そうなんだ。よくわかりました。

2018/4/25(水)
最近は、当を得た、素晴らしいサイトが沢山あり、驚いています。足元にもおよびません。
また、修行を開始したならば、満業しないといけないのです。次には主婦業も大切です。
ご迷惑、ご心配をおかけしますが、ツイートも真理のことばに関するツイートに照準を絞ることが増えると思います。
でも、仏教の勧誘ではないので、お嫌いでない方は、たまに覗いてください。

2018/4/27
 明日から、GWですね❤️
 飲み過ぎなどには、お気をつけください。
 皆様、楽しい休暇をお過ごし下さい🙏🙏🙏
 では、おやすみなさい💤💤💤

2018年4月12日木曜日

PTAが悪いのではなかったのですね

 PTAが悪いのではなかったのですね。
 悪霊能師の業で、PTA活動が不快なものになっていったのです。
 この互助の活動で、精神的に成長する人もいたし、精神的に助かった人もいるはずです。私もそうでした。新たな出会いがなければ、それらはなかなか促進されませんよね。しかし、NWOを促進するグレイやアカにとって、この組織はとても邪魔でした。なぜなら、霊格の高い人が、私たち修行者のような専業主婦を助けてくれる組織だったからです。
 そこで、悪霊能師がPTAに入ることによって、スムーズに進んでいた流れが滞りました。10年前、私がPTAの委員をやった時に比べたら、昨年は、本当に妨害や脱線が多くひどかったし、引き継ぎ資料が破茶滅茶でした。私一人では運営がはかどらないところか、座礁でした。しかし、めげずにコツコツ活動を続けたおかげで、助け舟も出ました。

 めげない(実際はかなりめげていましたが、)ことと、
 コツコツと体を動かして活動すること、そして
 他者への配慮を怠らなければ、

 突破口はあるようです。
 
 そして、PTAの運営を苦しめている最大の原因は、出家者のような専業主婦が激減したことでしょう。8割の人が道理を理解すれば、悪党と手先の2割はなかったことにできるのです。只今、PTAではこの構成が逆転中ですから辛いのです。

 PTA活動を劣化させた原因として、女性の社会進出、男女雇用機会均等法などによって、女性が女性として考えることを軽視させたことが第一に挙げられると思います。これらの風潮は、「子供を産んだ女性の最大の役割は、その人の願いがどうであれ、子育てです」という長らく人類が大切に守った道徳規律を破壊しました。どうして、私一人が、子育てで自分の能力を生かせる職業につけないのかしら?って今の教育を受けてきた人たちは考えがちですが、昔は、厳然と男性>女性と教えられていましたが、子育ては、相当、能力を使うことをみんなはよく知っていて、お母さんの女性の人権が蹂躙されていたとは思えないのです。群馬近辺は、どう見ても、やはりかかあ天下でしたよ。ご主人だって、浮気でよその女性となんてことは稀でした。今は、逆に、私のような専業主婦の生き方をしている人の人権が蹂躙されていると感じるのですが。

 話は変わりますが、子育てを保育園に委託して、親が責任を負わなくなった結果が、中学生らが本名や写真を載せてツイッターやる低脳さに現れていると思います。子供達のIQの低下を感じます。
 目立つ、自分を知らしめるということ以外に、人間として生きる本質は見出せないのかな?この本質を探るのが、あなたの人生の目的です。そのためには手段として目立つとか、陰で努力するとか沢山の相が用意されているということを、大人は子供に言葉でも行動でも教えてあげなくてはならないのです。
 そして、目立つと言う相は陰で努力する相より遥かに少ないし、若いあなたたちは、人生80年を見越して、今は色々な力を養わなければならないインプット時期であって、アウトプット時期ではないと。そして、人生において、どの相も精一杯頑張るんだよって教えて上げたいです。

 生きるって本当に大変ですね。最近は、私も頻繁に逃げ出したくなります。

 そして、最後に、一つ言えることは、少子化で良かったということです。

 教育の犠牲で、お一人様になったシングルや、どちらかが不妊の夫婦は、産まないのではなく産めないのですが、それを余所に、すでにだいぶ前から、産める人はポコポコ産んでいます。私だって、若くて問題なく子供が産めたらもう一人ぐらい産んでいたと思います。でも、次々と生む人に対しては、「そんなに産んでどうするの?〇〇を量産しても仕方ないじゃん、もう少し、丁寧に育ててあげたら?」って…。だから、私が思うには、生む環境が整えば、女性もポコポコ生むんです。なので、実は保育所で少子化が防げるっていう理屈は、私は多少、怪しいと思うのですよね。だって、保育所の問題が浮上していた時から、すでに産める人はポコポコ産んでいたし、私のように暇なし子ちゃんは、それを横目で羨んでいたのが事実なのですから。現在、少子化でなければ、低IQの人間が増える一方で、その交通整理に労力が必要になり厄介になります。これだけは、勘弁してほしいな

2018年3月27日火曜日

ひふみ神示 富士の巻より

ひふみ神示 富士の巻より
http://hifumi.uresi.org/03.htmlさんより引用
   第十六帖 (九六)
 あらしの中の捨小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにも分かるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶(かじ)も櫂(かい)さへ折れた舟、何うすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして肥料になりと思へども、肥料にさへもならぬもの、沢山出来て居らうがな、北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意をいそぐぞよ。八月二十四日、  の一二か三。

   第十八帖 (九八)
 神々様みなお揃ひなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合はしなされて、今度の仕組の御役きまりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。辛酉(かのととり)はよき日と知らしてあろがな。これから一日々々烈しくなるぞ、臣民 心得て置いて呉れよ、物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいと云ふことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食ひ物、足りるやうに作らしてあるに、足らぬと申してゐるが、足らぬことないぞ、足らぬのは、やり方わるいのざぞ、食ひて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。それぞれの神様にまつはればそれぞれの事、何もかなふのぞ、神にまつはらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、底知れてゐるのでないか。戦には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の神様 御怒りなされてゐるから早やう心入れかへてよ、この神様お怒りになれば、臣民 日干しになるぞ。八月の辛酉の日、ひつくのか三さとすぞ。

① トランプ大統領がついに動き出しました。糸は完全に切れました。光の制御は厳しいと思います。
 鉄鋼関税は韓国、メキシコ、カナダには優しく、日本に厳しいとか…。別に、鉄鋼は日本にとって、アメリカは大きな輸出相手国ではないので、多少の痛手はあるのでしょが、日本に貿易赤字の是正を求めるには、もっと有効な品目があったはずです。当初は韓国やカナダへの圧力でしたが、筋が違ってきました。

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180327/mca1803270500006-n1.htm

②  世界戦争のために、ロシアもアメリカと組んで、世界を乱し始めました(ロシアは昔っからか…)
 http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/nms/news/post_152046

③   ロシアのプーチン大統領は、続投。

④   中国の習近平主席は、長期政権の樹立。

⑤ 打って変わって、日本でも、森友を安倍ゲートと意味不な命名で、騒ぎだし、首相下ろしが激しくなってきています。安倍首相では、日本を世界大戦の火中の栗にできないからです。安倍首相は、世界大戦回避で動いています。

 ①〜⑤ から、もはや、世界が混乱するのは避けられなくなってきました。大難の部類に突入する可能性が高いとも考えています。アセンションが遅れているのですから、それを考えたら楽勝戦ではないのです。大難の可能性があると思って、気を引き締めて生活しないとならないということです。この世の自分に望みを残してはいけなくなってきました。
 アメリカを支えていた柱は、完全に日本に移りました。ドイツを支えていた柱も日本に移りつつあります。十柱が揃う場所は日本です(私としては、“かな”くらいで言い切りたくないのですが、こうなります。)。

 神示には、きちんと結果が書いてあります。これをひっくり返すのは、非常に困難だと思いますが、止められないのでしょうか?

 小難のシナリオはトランプ大統領の選出時に書き換えられたのかもしれないです。
 

2018年3月9日金曜日

「真理のことば」における存在の分類 ver.1(作業順序の予定)

 (「真理のことば」における存在の分類 (作業順序の予定)に改訂を加えました。)

「真理のことば」の“第5章 愚かな人”を考え終えたところで、残りのところを見渡しました。そして読誦時代から不明瞭に感じていた点を思い出しましたので、これを機に整理して行こうと思います。
 “第5章 愚かな人”では、人間を含めた多種多様な存在の中で、愚かな人と命名される種類の存在についての特徴を記述している章です。他にも、同様な章が6章があります(下記の参照)。不明瞭であった点とは、各種類の存在の共通点や相違点が読誦しているだけでは、漠然としていてはっきりしないということなのです。例えば、“修行僧”や“道を実践する人”や“出家者”、そして“バラモン”などなど、どの様な線引きで分類されているのか、ちょっと分かりにくいのです。

 どうも不明瞭になってしまう最大の原因は、章が離れているからだと思っています。“第5章 愚かな人”の見直しを終えたのを機会に、
“第5章 愚かな人”
“第6章 賢い人”
“第7章 真人”
“第14章 ブッダ”
“第19章 道を実践する人”
“第25章 修行僧”
“第26章 バラモン”
という順番で見直し作業を進めます。この見直し作業とは、各章の各詩から必要なものや不要なものを考察するということです。

 私は、
①本質的な魂の分類
②立場の分類(役職的立場とただの立場)
が混在しているという立場で、それぞれの言葉を下記の4点を論点として仕分けし、図の様に整理しました。 

(1)“愚かな人”、“賢い人”、“真人”は魂の発達段階の分類とします。“真人”には、“賢い人”という相は含まれています。
 また、“賢い人”は、“愚かな人”を概ね理解しますが、“真人”の全ては理解できません。しかし、“真人”は“愚かな人”と“賢い人”を完全に理解します。

(2)仏典によれば、真人とブッダは同類と考える向きがありますが、私は“真人”は、修行完成者で非超人的な存在、“ブッダ”は魂としては“真人”と同類ですが、超人的な存在として考えます。

(3)仏教が起こった頃は、インドでは「“賢い人”=“ブッダ”としていた」と言いますが、これについても、私は“ブッダ”に“賢い人”の相は含まれますが、同等とはせず、
“ブッダ”>“賢い人”とします。
 
(4)“修行僧”、“バラモン”は、私は役職的な立場の名称と理解します。そして、“道を実践する人”や“出家者”は、ただの在家か出家者かという立場の名称と理解します。




2018年3月7日水曜日

強制不妊手術

 最近の話題で、強制不妊手術がありますが、昨日の朝日新聞の夕刊でようやくアウトラインが見えました。
 知的障害者等の障害のある人の出産という壁ですね。
 

 障害のある方にも人権を含めて保障されるべきことはあると思います。何よりも、最期の瞬間に生まれて来て、生きて人生を送れてよかったな!という境地でこの世を去っていただけたらベストです。これは、私にしたって同じです。健常者と言われる人たち全てにとって同じです。ですから、それに向かうために、公は公費を投入して、障害のある人たちへの必要な援助・支援をすることは、公の義務だと思います。
 では、自分に障害があることがわかった時に、健常者と同様に子供を出産する権利があるのか?という問いは、人の生死を語るのでとても難しいことで、安易には語れないのが恐ろしいところです。しかし、自分の生を20歳〜50歳台で、かなり健常者より多く他所様の手を借りないといけない、自分の両親は歳をとって行くところで、果たして、その人たちが子育てを健常者と同等にこなせ、自分の子供を健常者として育て上げる事ができるのか?というところに、優生保護法の強制不妊手術の意図があったのかとも思います。

 正直言って、健常者と言われる私たち(私はかなり変ですが!!!)ですら、子育ては大変です。公立学校は何を教えているのやら???というご時世もお手伝いしてくれて、基本的な勉強まで家庭での協力が必要なのですよ。もちろん、乳幼児時代に、正しい日本語を語りかけて、子供が日本語を覚えるようにしなくてはなりません。これは、言語能力の発育にとても重要だと考えています。はじめに言葉ありきで、そこから思考の広がりができてくるのです。これらのことを考えると、やはり軽度であっても、知的障害がある人が子供を産んで育てるのは無理があるのではないかとも思うのです。

 私が知る明らかに知的障害を持つ母親の二人の小学生の子供は、障害のあるクラスにいます。PTAのお手伝いにも来てくれるお母さんですし、他の健常者で群れている感じの悪い人たちより真面目に仕事をしてくださるので、よほどマシですが、一つ一つの指示を出さないと動けないのです。そして、こちらが指示を出さないことや群れていて働かない人たちに、不満の態度を露骨に出します。私としては、「山住みの作業プラスこの人の相手か!」という気分でした。この女性が産んだ子供だって、似たか寄ったかで、彼女が子供を産まなければ、1名で済んだところを3名になってしまったのだと思うと、やはり大変な思いが頭をよぎりました。

 また、このような方々へ支出する公費も、健常者の税金ですから、知的障害者の結婚は素晴らしいけれど、出産は控えたほうが、ご自身も周りも楽だという考え方にも一理あるかと思われます。
 
 ただ、この朝日新聞の記事に紹介されている、現在60代で15歳で強制不妊手術を受けた女性は、知的障害を持っているのにも関わらず、自分の意思で60代になって裁判を起こすのは考えにくいですよね。彼女を利用している悪い人たちの想像も容易につくところが恐ろしくもなります。

2018年2月28日水曜日

昨夜の夢

昨夜の夢
 とても広い草原があります。
(下の写真みたいな場所ですhttps://4travel.jp/travelogue/11030087さんより)


 夜、この草原で私が一人で立っているのです。夢の中では、それが地球のどの地域かわかっているのですが、今ははっきり思い出せないのです。きっと、中国かな。
 空には、雲が三割ぐらい出ています。月が満月で黄色く明るく輝いています。

 突然、空から閃光と大きな音がしました。とっさに空を見上げたら、4回対称の光と物体が降りて来ました。とても大きいのです。UFOです。私から200メートルほど離れて着陸しました。着陸したとき、声が聞こえました。「あなたも、月がこのように光り輝いているときに、UFOで地球に降り立ちました。だから、あなたのハンドルネームに月夜が入っているのです。」4回対称を見て、私の出自である仲間であることはわかりました。仏教系は、基本的に卍を見ればわかるように四回対称の図形を使うことが多いのです(神道系は三回対称が多いかなと。自然とは言い難いですが、神道には五回対称もあります。)。

 ずっと、グレーやアカい人たちをやり過ごしながら、進めてきました。
 でも、まっとうな人が壊滅的に減ってきていて、周りは悪魔ばかりになったと思いながら、夢路に着いたのです。本当に世も末だと思いつつ。だから、こんな夢を見たのかしら。バックに控えているから安心してと言うことかしら。すごく、エネルギッシュな夢でしたが、UFOの乗組員の方々とは会いませんでした。

2018年2月23日金曜日

うわべだけの自由によって、(本当の)自由を粉砕することは、実に容易である。

うわべだけの自由によって、(本当の)自由を粉砕することは、実に容易である。

 本当にやるべき事は、人によってまちまちです。また、行うと決めたとき、それを追行するためには時間が必要です。それをやるかやらないかの個人の選択は自由です。ですから、憲法18条では、その自由の権利を守るため、

第十八条
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

と定められています。

 しかし、邪魔されます。実際には、何かと非常に拘束されます(PTAもあまり強要すると憲法違反になるんですね。役員の皆様、学校関係者の皆様、お気をつけください。まあ、私のように手を挙げ、学ぶ機会にもなるにはなるんですが。)。最近の私は本当にひどいしがらみっぷりです。

 悪魔の常套手段で、何が善なのか見失った人間を使って、本当の自由を追い求める人を邪魔しに入るのです。その時に、悪魔や悪党は、うわべだけの自由(奴隷解放とか女性解放とか)を振りかざし、意義のある自由を踏みにじり、魂の成長を妨害するのです。でも、手先になっている人間の狂気は手に負えないですが、
「あなたの要求には答えられない」とか、
「あなたとは共に進めない」
とはっきり言ってください。結構、助けてくれる神様がいらっしゃるものですよ、恐れないで言うのも大切な勉強だと身にしみる昨今でした。


2018年2月16日金曜日

新羅・百済・高句麗(366〜670白村江の戦い)

1.新羅・百済・高句麗の年表

366年 一次羅済同盟の結成
369年 高句麗は百済を攻め雉壌の戦いで敗北する。
371年 百済は高句麗の平壌城を攻め、高句麗故国原王戦死
372年 東晋は百済王余句(近肖古王)を鎮東将軍領楽浪太守にする
384年 晋から百済に仏教(仏魔)伝来
397年 百済は倭国と通好し、太子腆支を人質とする

[400-α 新羅の裏切り(高句麗への接近?真は不明)により一次羅百済同盟の決裂]

433年 二次羅済同盟の結成
455年 高句麗は百済を撃ち、新羅が百済を救う
490年 北魏の数十万騎が百済を攻める(南斉書)
493年 新羅・百済婚姻により同盟強化(新羅が百済へ花嫁を送る。)
495年 高句麗、百済の雉壌城を攻め、新羅が百済を救援する。
503年 百済王武寧、倭国に遣使
523年 百済聖王(聖明王)即位
538年 百済聖王は遷都し、国号を南扶余と号す。
548年 高句麗は百済を攻撃し、新羅が百済を救援する。
551年 百済聖王、新羅と伽耶の援助により高句麗軍を破る。

554年 百済聖王、新羅の管山城を撃ち敗死。⇦百済の発狂現象開始
562年 高句麗、百済の熊川城を攻撃。
616年 百済が新羅の母山城を攻撃。
618年 鮮卑系国家唐の建国
638年 百済が新羅の独山城を攻撃。
642年 百済と高句麗が新羅を攻める。
643年 百済と高句麗と同盟(麗済同盟)。
655年 百済と高句麗が新羅を攻める。
660年 唐・新羅連合結成
660年 唐・新羅連合軍(唐・新羅の同盟)、百済を滅ぼす。
663年 倭国の百済救援軍、白村江で唐軍に大敗。
[新羅への度重なる唐からの属国要求がある。]
670年 唐・新羅戦争で朝鮮半島は完全に唐の属国となる。

894年 遣唐使は菅原道真公により廃止
907年 鮮卑系国家唐の滅亡


2.〜523年までの新羅と百済と高句麗と日本

古い時代においては、新羅と百済は南下してくる高句麗(女真系ツングース系)と必死で戦って来たのが見えてくるでしょう。“倭”とは日本のことですが、その他のネット上の文献を見ると、新羅と百済と伽耶は倭という国と国交を持っていて頻繁に行き来をしていたようです。年表では、397年の百済のことを書いておりますが、他にも沢山の情報がネットに載っています。したがって、この時代は日本と新羅と百済は、関係が悪い状態であったとは考えにくいです。

 このような関係に、多分、はじめに影がさしたのが、
372年 東晋は百済王余句(近肖古王)を鎮東将軍領楽浪太守にする
384年 晋から百済に仏教(仏魔)伝来
でしょう。この出来事の後も100年以上は羅済同盟(新羅と百済の同盟関係)は続きますが、この仏魔により百済国が徐々におかしくなっていきます。私の推論ですが、一次羅済同盟の決裂もこれが原因ではないかと思っています。
 百済は常に先制攻撃の対象になっていますが、これを新羅が助ける形が多いです。
 一方、日本と極めて縁が深いとされる百済王武寧から聖明王の期間では、新羅と百済は同盟を組んで頻繁に高句麗と戦っています。この当時、新羅と百済の多くの人が日本に渡ってきていたようです。桓武天皇の母上は、高野新笠というお名前ですが、百済王武寧の末裔が日本で帰化した家の出自という伝承があります。これについては定かではないのですが、荒野新笠さん自体の先祖は彼女を遡ること200年以上は日本で暮らしているということです。したがって、羅済同盟と日本との関係が良好であった百済王武寧時代の西暦500年頃に百済、もしくは新羅から日本に帰化した朝鮮人の末裔が高野新笠さんということになります。したがって、高野新笠さんにもかなりの日本人の血が流れているであろうこと、そして日本と友好的な朝鮮人が祖先であったことが推察できます。高野新笠さんの家は、お名前の“新”の字から考えると、新羅出自かなとも思われますが、一応、一般的には百済出自の家柄ということになっています。どちらの国でも、この当時は日本と友好的であったと考えて差し支えないでしょう。
 このことから、桓武天皇のお母上が、100%の朝鮮人とも考えにくく、また朝鮮人として思い浮かべる現皇室やチョンと言われる人種とは、全く異なっているということが容易に推論でき、さらに、考えを広げて、現皇室やチョンと言われる人種は高句麗や高麗の流れを汲む民族であろうということが容易に推察されます。

2.523年以降の百済の変貌と朝鮮半島

 ここからが悲劇です。523年以降、百済聖明王が即位してから、百済に渡った仏魔の発現により、百済の動きがおかしくなります。その最たるものが以下のものです。
 554年 百済聖王、新羅の管山城を撃ち敗死。⇦百済の発狂開始
 結局は、百済は新羅を裏切り、高句麗と同盟を組みます。この時、既に日本では神道の守り手の物部氏が乗っ取られ滅亡し、なんとか正しい仏法を保ち正しい統治を行なっていた聖徳太子と蘇我氏(秦氏出自)一族も百済経由の仏魔(チョン+チョン藤原氏)との苦戦を強いられていました。これにより、苦しい立場の立たされた新羅は、唐に助けを求めます。しかし、中国は既に前漢を最後にまともな王朝が途絶え、その後は、鮮卑系の王朝が続いて、唐もこの中の一つです。結局は、新羅が唐の助けを借りて、白村江の戦いに勝利しましたが、悪魔のシナリオ通り、鮮卑系王朝唐の属国と化して行きます。それに争うように
670年 唐・新羅戦争で朝鮮半島は完全に唐の属国となる。
 という戦いをおこしますが、新羅の力は及ばず敗北を喫します。そして、高句麗は朝鮮半島から退散しましたが、朝鮮半島が鮮卑系王朝唐の支配下に下るのです。

3.感想

 新羅は、最後まで本当によく頑張りました。そして、百済も悪い印象ばかりだったのは、“2.  523年以降の百済の変貌と朝鮮半島”の部分しか知らなかったからです。新羅、百済、伽耶という朝鮮半島の国々と日本は仲が良かったということを知ることができて、よかったです。
 百済、日本と仏魔に落ちて新羅がどんなに苦しかったか、それを思うと涙が出てきます。そして、物部氏を頼りとして帰化した技術と仏法を持って渡来した人たちと庶民が、物部氏の復活を心から待ち望みながら、奈良の飛鳥で光を保つ政を必死で守った映像が頭の中を駆け巡ります。私は、普通の名もない家の出自で家系図を元に宣言するのではありませんが、神道はさほど馴染みがなくとも否定的ではないし、真面目な仏教徒ですから、間違えなく秦氏の末裔でしょう。奈良に旅行に行った時の、湧き上がる悲しさと懐かしさの謎がようやく解けてきました。
 また、桓武天皇のお母上が、現皇室のようなチョンではなく、きちんとした朝鮮人の末裔であったということが調べられてとても有意義でした。