真理のことば
第25章 修行僧(元データと判定・解釈・考察と書き換え)より抜粋 詩370
***(書換え詩)*************
まず、五下分結を断ち、次に、五上分結を捨てよ。
さらに、信、精進、念、定、慧による五つ(のはたらき)を修めよ。
そうすれば、修行僧は、五つの執著-貪り、怒り、迷妄、高慢、誤った見解-を超え、<激流を渡った者>とよばれる。
***(元データ)*************
370)五つ(の束縛)を断て。五つ(の束縛)を捨てよ。さらに五つ(のはたらき)を修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、<激流を渡った者>とよばれる。
***(判定)*************
370)B
***(コメント)*************
370)これは、お釈迦様がおっしゃったとは、到底、考えられません。しかし、後代になってできた教えだとしても、仏教に携わった霊能師全てがイカサマなわけではないのです。むしろ、良心的な霊能師が多かったと、私は確信しています。その人たちが、原始仏教の阿含経(真理のことばやブッダのことば)の教えから、大乗仏典へと仏教を発展させたのでしょう。そして、それを陣頭指揮なさったのも、お釈迦様ではないかと思っています。お釈迦様の肉体は滅びましたが、厳然と生きてらっしゃる気がしてなりません。
壮大な話は止めておきましょう。私は、阿含経が大乗仏典より優れているとは考えていません。どちらかと言えば、進化系の大乗仏典の方が優れているとは思うのですが、量が莫大なので、はじめの一歩である阿含経の中の真理のことばを、大乗仏典の教えや日月神示の内容を踏まえて検証するのが、効率的ではないかと思うのです。今さら、原点に立ち返るのは悔しいのですが、、仏魔に憑かれた今の仏教の見直しをするには、これしか、方法がないと思っています。
私の力では、“真理のことば”ですらやりきれるか、現在のところ非常に不安です。でも、たくさんの人が、頑張って活動しれらっしゃいますので、私もなんとか終わらせたいと思っています。
次に、詩を具体的に読み進めるために、中村氏の注釈の書き下しと、http://way-to-buddha.blogspot.jp/2011/05/blog-post_1655.html さんよりの抜粋でご紹介いたします。このサイトはとてもよく書いてあると思いますので、ぜひ立ち寄ってご一読ください。書き下し部分や引用部分は青字で記します。
まず、三界ですが、欲界、色界、無色界と呼ばれる3つの世界のことを指します(下図参照)。最下層が欲界、その上が欲界、さらにその上が無色界となっていますが、この三界に属している状態は、ニルバーナ(涅槃)=安らぎ、や 解脱状態ではありません。
①“五つ(の束縛)を断て”の五つ(の束縛)は、五下分結と言い、魂を欲界に結びつける5つの煩悩です。5つの煩悩とは、以下のものです。
1.身見(しんけん:有身見)
私という不変の存在があるという見解のことである。
私(私の身体、私という心身の集合体)など、とにかく私というものが変わらず存在すると思うことである。
無知に分類される、誤った見解・邪見である。
2.疑惑(ぎわく:疑)
何が真実か分からない状態のことである。
仏道の真実が分らない無知な状態といえる。
3.戒取(かいしゅ:戒禁取見)
こだわりに、とらわれることである。
しきたりや苦行など、いろいろなことにとらわれ、こだわることである。
4.欲貪(よくとん)
激しい欲のことである。
5.瞋恚(しんに)
激しい怒りのことである。
②“五つ(の束縛)を捨てよ”の五つ(の束縛)は、五上分結と言い、魂を上界(色界と無色界)に結びつける5つの煩悩です。大切なことは、これらは五下分結と違い、捨てるものだということです。ということは、つい心に持ってしまうものだということです。
1.色貪(しきとん)
色界に対する執着のことで、色界の禅定のすばらしさに対する執着である。
2.無色貪(むしきとん)
無色界に対する執着のことで、無色界の禅定のすばらしさに対する執着である。
3.掉挙(じょうこ)
私は到達した、というような心のたかぶりの感覚である。掉挙とはあまり使わない言葉であるが、心のたかぶりを指している。
私はこの段階まで達したというような達成感のような、心のたかぶりの感覚である。
欲界でも掉挙はあるが、ここでは色界、無色界のかすかで微妙な心のたかぶりである。
4.我慢(がまん、慢)
私がなした、というような慢心の感覚である。ここでは、慢心のことを我慢と呼んでいる。
欲界でも慢はあるが、ここでは色界、無色界のかすかで微妙な慢心である。
5.無明(むみょう)
どうしても最後まで、僅かに残っている根本の無知のことである。
③“五つ(のはたらき)” 悟りを得させる5つの力(五根)のこと。信(正しいことを信じる)、精進(正しい精進をする)、念(正しい思いを持つ)、定(心を集中し乱さないこと)、慧(正しい知恵を持つ)。ここで使う正しいとは、法則から外れないということです。ですから、方便等の概念は含みません。正しいものは正しいという立ち位置に立つことです。7項目からなる悟りのよすが、八正道、五根の比較をhttps://newbuddhawords.blogspot.jp/2018/05/blog-post.htmlで行いましたので、ご覧ください。
④“五つの執著”は、貪り、怒り、迷妄、高慢、誤った見解です。
以上を元に、文章を整えます。

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