公理主義は、20世紀初め、数学者ヒルベルトらによって確立されました。
絶対に疑わない基本のルール(公理)を複数決め、この公理のをひとつの集合Aとみなします。この集合によって生み出される集合Bがあり、集合Bを数学では構造と呼びます。この集合Aが関数の束であろうと、実体のない数論の羅列であろうと、その掲げられた公理の中で論理的に正しいことが、その構造(集合B)では真であるとするのが公理主義です。
平面空間について考えると、私たちは平たい土地や下敷きなどを思い浮かべますが、公理主義によって座標の集合が平面空間であるとされるのです。しかし、本来は平面空間の各場所に座標を割り当てたというのが順番であって、(x, y)座標の集合が平面であるというのは、逆転の発想であるとしっかりと認識されていれば公理主義は問題はなく、学術を飛躍的に推し進めるための、きわめて高度で正当な「技術的ブレイクスルー」だったと言えるのです。公理主義自体が悪いわけでは決してありません。
しかし、たとえ現実離れしていても、公理(ルール)に矛盾がなければ「数学的に正しい」と認めるまでは良いのですが、この「公理の集合」を「空間」という言葉で置き換えたことに、数学と他の分野との乖離が生じたのでしょう。
それはどういうことかと言えば、本来、「空間」とは「地」そのもので、そこには上下があり、奥行きがあり、私たちの肉体が介在する圧倒的な現実がありました。つまり、空間は人間の感性に強く根付いている言葉ですが、数学者が作った公理によって作られる構造の大元である「公理の集合」に絶対的現実に根ざす空間という言葉を当てはめてしまったのです。そのため、公理の集合でしかないものが空間へとすり換えられてしまい、現実を蔑ろにする数学へと変貌を遂げてしまったのではないでしょうか?このすり替えが成功したのはまずは数学においてで、これによって、数学が現実を追う他の自然科学や科学技術とずれが生じてしまったであろうと推察しています。現在、数学の「公理の集合」が極めて現実と乖離していると言わざるを得ない状況だと感じています。これを、「公理の集合」を空間と置き換えさえしなければ、数学者の現実世界軽視は少し是正されていたであろうと考えています。
公理主義による、手触りのある現実世界の徹底的な無視の結果、固定ベクトルという非常に重要な概念が消滅の危機にあったことは否定できないと考えており、数学がこのような公理主義一辺倒で不規則性をノイズとして排除し続ければ、重要な概念の消滅だけでなく、既存の公理系を超えた未知の法則や、生命・環境が持つ動的な本質の発見を遅らせることになるでしょう。
majime_na_hanashiさんへ
かなりボリュームアップして書き直しました。もらった原稿と異なることは書いていないつもりです。このままコピペでいけるかなというくらい読み直したので、誤字脱字はないと思います。ただ好きなように直してもらって構いません。とても大切な内容なので、たくさんの人たちの目に触れるように記事にしました。