2019年4月19日金曜日

大阪の歴史と現在の関係についての私見

 大阪の字は、もともと、大坂です。大阪市のお隣の市は堺。
 両者とも土へんが共通です。
 地名が土へんということは、国府津神由来の土地ではないかと考えました。
 そこで、この地域を治める神社を調べようと思いしなに、即刻、PC画面の上にある「古代より鎮座なさる生國魂神社(いくくにたま)」の一文が目に入って来ました。とても恐ろしく神々しいお名前の神社です。やはり、千葉や伊勢は天津神由来の土地柄だと感じているのですが、大阪はというより、難波の濃いオーラは国府津神さんだと思いました。

 では、難波が大坂になった経緯から順に調べたので、記します。

 蓮如という一人の浄土真宗の宗家みたいな人が潰れそうな浄土真宗を立て直します。初めは越前吉崎で教団をまとめましたが、そこを追われて、京都に山科本願寺を建てたようです。1496年に難波に入って来て、生國魂神社に隣接して浄土真宗石山道場を建てます。1532年証如山科本願寺から移り、石山本願寺となったことから寺内町として仏教の治める土地になりました。この頃から、難波と呼ばれていた場所が大坂となったそうです。

 さすがに、信長は伝統仏教に敏感なので、石山道場を攻めて、十年以上の歳月をかけて一応勝ちとなります。どちらかというと引き分け的だったようですが。

 その後も目を光らせておけば良かったのですが、信長は本能寺の変で死にます。秀吉は信長の叩いた石山道場跡地に、本能寺の変の翌年、大坂城(1583~1598)を建て始めるのですが、石山道場の隣にあった生国魂神社を現在の場所に移動させて、大阪城に石山道場を飲み込む形で大坂城を建て我が住処とします。結局、関ヶ原で敗れた後には、徳川家が大阪城を大々的に改修しています。

 ここからは、私の頭の中でできたストーリーを中心に話を展開します。

 仏魔仏教の力を借りて浄土真宗を蓮如が再興したのでしょう。不自然すぎます。ちなみに、蓮如は明治天皇より慧燈大師の諡号が与えられています。今の皇室メンバーは、仏魔に諡号を与えるような、所詮そんな連中なのです。速くメンバー交代して欲しいです。
 この時、すでにあまり元気がなかった生國魂神社に戦いを挑みに、仏魔教の浄土真宗が生國魂神社の隣に西山道場を建てたのです。信長は、仏魔を知っていたようですから、それを阻止するために戦いました(結構、まともです。)。そして、古来の神様から仏魔が治める土地になったのを契機に、難波から大坂へと地名が変更されます。
 次に、猿のヒデキチ(豊臣秀吉)は、生國魂神社を移動し、自分の住処の大坂城に仏魔を取り込んでしまった。これが身の破滅の最大の要因だったことでしょう。ヒデキチって、きっとこの程度の人で、三次元の世界しかわからないのかもしれないです。トップクラスの指導者は、この世を中心に物事を考えていても、この世を包み込むもっと大きな目には見えないものを感じ大切ににしないとなれないのです。ヒデキチが日本の頭領になれなかったのは、凡夫すぎて仏魔の傀儡と化していたからかもしれないですし、元々、仏魔の化身だったのかもしれないです。ただ、朝鮮出兵とか、意味不明にやり出すあたりは、大陸の悪魔の配下になってしまっていたことは確実です。今の橋下徹氏とかを観察していると、多分、この二人はよく似ていて前者が実情ではないかと私は思います。もっと恐ろしい連中を呼び込んでしまった感じです。

 話を古代に戻します。
 聖徳太子様は難波で日本を治める作業をなさいました。そして、奥の院の奈良や日本の各所を守っていらしたのです。私の予想ですが、聖徳太子様は、ほぼほぼ大坂在住に近い状態で働いてらしたと思います。逆に自宅があった奈良には出張くらいな感じです。さらに、これも私の想像ですが、神武天皇もここを重要拠点になさっていたと思われます(生國魂神社の歴史から。)。ここが仏魔の侵入口(難しい波が押し寄せる地;難波)だったからでしょう。ここから入れば、日本の要所である畿内と瀬戸内海への侵入口となりうるので、当時の日本の主要部(https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/09/06_sakaehara.pdfさんより P66 右段)に入り込みやすかったのです。結局、大化改新で聖徳太子と蘇我氏が負けたので、仏魔は侵入したのですが、いよいよ、蓮如あたりから、難波の地が仏魔支配の地へと転落したのを表すのが、大坂への名称変更なのでしょう。大坂市と堺市の、漢字の作りをとると、反界です。土へんまで考えると、この世の大きな反界(反世界)と言う意味です。あっちゃっちゃ。一つか二つ上の神界で名前は決められちゃうことが多いので、この世の本人たちは気づかないでしょう、きっと。

 大阪が何となく常識的な範囲から逸脱しているというのが大坂と堺の字が表している反界と一致してなりません。

 そして、維新と公明がよく比べられてしまいますが、バラマキ的な政治手法が共通なんですよね。公明党は貧乏人へ、維新は社会的弱者へ。また、公明は創価学会という比較的まともな仏法が付いてきて、維新は政治的議論(餌付け型分断論)が付いてくるという部分が大きな違いです。
 仏魔の化身が維新ではないかと私は感じているのですが、もちろんその影響は大阪自民にも色濃く出ていて、戦後からの悪の蓄積で維新へのバトンタッチと相成りました。
 多分、維新では大阪はさらに悪くなると思いますが、今のままの大阪自民でもダメだと思います。これからは膏薬塗りでは無理だと、日月神示に書いてありましたよね。きちんとした霊統と血統がないとリーダーとなり得ないのでしょう。国政を見ていれば、霊統は維新ではなく自民ですし、多分、血統もだと思います。維新は、若い府知事で自慢げですが、普通の人が頑張っていい大学入って政治を志しても、あの年齢であの要職って、えこひいき感満点な組織なの丸出しという誰だってわかることがわからないところが痛い。当たり障りなく、年齢いったの出してきたらいいと思うのですが。
 ま、大阪自民の再生なくして大阪再生は難しいけれど、それを超えて、大阪自民の再生が難しいのかもしれないです。頑張っちくれ、大阪自民!
 大阪が良くなって、神武天皇や聖徳太子が目指した政策を進められるのは、大阪自民が今のところ一番近いとは思うのですが、それでも何光年?って感じなのかな。
 大阪が難波に戻ってくれたら、奈良ではなく、生國魂神社に聖徳太子様のお参りに行きたいです。今生は無理かな。もちろんこのまま維新で日本の東西分断を今生で体験するという悲運があるやもしれないですが。
「そこは断固阻止するから、維新の皆様も早いところ拝む先を変えてください。」とおっしゃっています(神武天皇 or 聖徳太子様?)。
「待ってるよ、月夜」とも…。
「敬礼、家族で行けるように、お金を貯めます!」

追伸)無党派層の大阪の人に読んでもらえるとなおのこと嬉しいです。