明治時代に入って行われた廃仏毀釈が、正直よくわからなかったのです。
ようやく、なぜ行われたかわかったので、備忘録で記します。
江戸時代までは、神社とお寺はとても仲良しだったとのことです。しかし、明治政府は、天皇中心の日本を作るため、アマテラススメラミコトの子孫であるとする天皇家の格を上げるために、庶民から支持を得ていたお寺を弾圧して神社の格をあげることをしたのだそうです。
(なるほど、そうだったんだと思いました。)
しかし、人間にとってフレンドリーな教えって、きっと仏教ですよ。だって、神道の祝詞聞いても、チンプンカンプンですもの。
もちろん、始めから格が上なのは神道なのでしょう。仏教が普通の庶民でもわかる教えになってなるのが、その際たる証拠だと思われます。
百田史観の日本国紀では、日本の禅僧の問答のレベルの高さに触れています。日本の仏教を軽蔑する記述はほとんどないので、廃仏毀釈についても、期待したのですが、ほとんど触れていません(1)。ただ、世の中には、個人史観で学術書でなくとも、なかなか、鋭いことを書いている本も数多あります。
ここで私が学んだことは、大日本帝国憲法に価値を置けば、明治以降の歴史が天皇中心の記述になり、天皇を重要視せず個人の正しい行いについての教えを展開した仏教は弾圧するということです。その愚劣な行為を隠蔽するために、廃仏毀釈への言及はしなくなるということです。
一方、日本国憲法に価値を置けば、庶民を無視した天皇家と政府への批判が中心になるのだろうと考えられます。そして、この立場を取った時に見えてくる神道と仏道(教)の関係が、とても生き生きと私に迫ってくる感じがしました。
時空を超えたハルマゲドンで、過去生でも光と悪の戦いが繰り広げれれているそうです。親鸞さんは仏魔に敗れ、日蓮上人も聖明王も敗れました。
親鸞さんは、本当にチヤホヤされて甘やかされたお坊さんという印象を持っています。これは、法然上人とは決定的に違うと思います。
日蓮上人は、「南無妙法蓮華経」って、お経を拝むのを奨励しました。
師匠がおっしゃったのは、
“お経は唱えるものであって、拝むものではない”
とのこと。
「確かにな!」
と思いました。お経を唱えることを推奨したのは、法然上人でしたが、もうそれしか道がない疲弊した人たちに阿弥陀仏(多分、お釈迦様とほぼ同一)への帰依を宣言するお経「南無阿弥陀仏」を推奨されました。余力のある人には、いろいろな勉強を奨励していましたよ。
なんで、日蓮上人は、こういう顛末を辿られたのでしょうか?
彼らは、現代人として、転生していると思います。それなりの名声を得ていることでしょう。それらの転生が全て連動しておかしくなっているはずです。そして、その呪縛はきっと現代にも、重くのしかかっているでしょう。
参考文献)
1)百田尚樹『日本国紀』が書けなかった日本近代史の真実とは?(https://note.com/horishinb/n/ne29abe0b9b61)